〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

啄木文学散歩

2013年暮れの「石川啄木終焉の地」---<1>

啄木文学散歩・もくじ 終焉の地の通り。 地下鉄丸ノ内線「茗荷谷」駅から徒歩10分。春日通りを行き、小石川5丁目の信号を左に折れる。 この地、小石川区久堅町 74の46(現・文京区小石川 5-11)で、石川啄木は 1912 年(明45)4月13日、26年と53日の生涯を閉…

福岡の啄木歌碑 <その2>

啄木文学散歩・もくじ 福岡市城南区南片江にある啄木歌碑-2 「啄木歌碑 2」説明プレートの左にある、半ば土に埋もれた大きい石が啄木歌碑。 かにかくに渋民村は恋しかり おもひでの山 おもひでの川 石川啄木 枯れ葉を払って読む。 この字は、「渋民の斎藤家…

福岡の啄木歌碑 <その1>

啄木文学散歩・もくじ 福岡市城南区南片江にある啄木歌碑-1 「片江風致公園 案内板」 エントランス広場、駐車場、ベンチ、トイレ完備の立派な公園である。「文学の林」と名づけられた森の中にたくさんの石碑が建っている。 近くには油山団地があり、他にも大…

現在の「石川啄木終焉の地」 東京都文京区小石川 <1>

啄木文学散歩・もくじ <動画 52秒>(街の音はありますが、音声はありません)啄木終焉の地 啄木は、明治44年(1911)8月7日、喜之床の二階からこの地の借家に移り、翌明治45年4月13日午前9時30分、病没するまで居住した。 地下鉄丸ノ内線「茗荷谷」駅から…

啄木一家が間借りした喜之床跡 東京都:文京区<2>

啄木文学散歩・もくじ <動画 39秒>(街の音はありますが、音声はありません)喜之床跡 = 理容 アライ本郷三丁目角の「かねやす」を過ぎ、春日通りを後楽園方向に進む。200mほど歩くと左側に「理容 アライ」の三色ねじり棒が見えてくる。この二階に啄木は…

切通坂の啄木歌碑 東京都:文京区<3>

啄木文学散歩・もくじ 湯島天神 切通坂の歌碑 切通坂 右が春日通り、左側が湯島天神の石垣。 左手前にあるのが石川啄木歌碑。目立たないので、通り過ぎてしまいそうになる。 切通坂(きりどおしざか) 湯島三丁目30と四丁目6の間 「御府内備考」には「切通は…

森鴎外記念館 東京都:文京区<4>

啄木文学散歩・もくじ 文京区立 森鴎外記念館 記念館の正面外観(大観音通り) 記念館は生誕150年を記念して、森鴎外の旧居「観潮楼」の跡地に2012年11月1日オープンした。地下2階には約 1万点に上る資料があり、石川啄木からの書簡なども収蔵されている。 1…

東京銀座 朝日新聞社跡の啄木歌碑と風景印

啄木文学散歩・もくじ 啄木歌碑の風景印朝日ビル内郵便局で押印。 啄木歌碑・街灯・朝日ビルとその周辺が描かれている。 啄木歌碑の建っているすぐ前のビルが朝日ビル。 朝日ビル内郵便局(地下1階) 東京都中央区銀座6-6-7 銀座並木通りの啄木歌碑<碑文…

沖縄の啄木歌碑 那覇市 < その3(終わり)>

啄木文学散歩・もくじ 啄木碑を建てることに尽力した山城正忠の歌碑 波上宮(なみのうえぐう 那覇市若狭1-25-11)の一の鳥居と二の鳥居。 波上宮は那覇港が見える高台にあり、沖縄総鎮守として親しまれている。真教寺からは600〜700mほどの距離。 大きな一…

沖縄の啄木歌碑 那覇市 < その2 >

啄木文学散歩・もくじ 新しき明日の来たるを信ずといふ 啄木 真教寺境内の啄木歌碑 「啄木 うたの風景 第29回」 岩手日報 第三部 苦闘の果て(1) 太栄館(東京都文京区) 上京後の啄木は、小説の評判が芳しくなく、焦りと挫折感を歌を詠むことで紛らわせた。…

沖縄の啄木歌碑 那覇市 < その1 > 

啄木文学散歩・もくじ 日本最南の啄木歌碑 <動画 43秒>[那覇市 真教寺にある啄木歌碑] 沖縄県那覇市の啄木歌碑は、ゆいレール「旭橋」駅から泉崎交差点へ進み、左折して西消防署通りを海の方向へ行く道沿いの左側にある。「旭橋」駅から約700mの距離。 「…

我孫子の楚人冠と啄木と <その 3(終)> (講演会 1/6)

啄木文学散歩・もくじ 千葉県我孫子市に啄木を訪ねて <その 3 (終)> 「澤の家」 大正11年に新築したもので、現在記念館にある建物の中では一番年代が古い。門から入ると、左手に母屋(記念館)、右手の坂を下って「澤の家」という配置になる。 展示 ◎ 啄…

我孫子の楚人冠と啄木と <その 2 >

啄木文学散歩・もくじ 千葉県我孫子市に啄木を訪ねて <その 2 > 「サロン」 サロンは明るく広い。楚人冠が「ジャーナリズム文庫」「新聞紙文庫」と名付けた蔵書などが収められている。 写真の反対側には楚人冠自慢の大きなマントルピースがある。 「日の差…

我孫子の楚人冠と啄木と <その 1 >

啄木文学散歩・もくじ 千葉県我孫子市に啄木を訪ねて <その 1 > 「我孫子市ゆかりの文化人紹介板 JR 我孫子駅前」 杉村 楚人冠(すぎむら そじんかん) 1872年(明治5) - 1945年(昭和20)。 新聞記者、随筆家、俳人。本名 杉村 廣太郎(すぎむら こうた…

札幌は秋風の国なり <その 5(終) >

啄木文学散歩・もくじ 北海道札幌市に啄木を訪ねて <その 5 >「大通公園の啄木像」 坂坦道 作 1981年制作 中央区大通西3丁目 地下鉄「大通」駅6番出口 「石川啄木歌碑」 しんとして幅廣き街の 秋の夜の 玉蜀黍の焼くるにほいよ (玉蜀黍=とうもろこし) 「…

札幌は秋風の国なり <その 4 >

啄木文学散歩・もくじ 北海道札幌市に啄木を訪ねて <その 4 >「橘家庭園の前」 地下鉄東豊線「東区役所前駅」または、「環状通東駅」で下車、徒歩10分。 石川啄木が函館区立弥生尋常小学校に代用教員として採用されたとき、同じ学校に橘智惠子が訓導として…

札幌は秋風の国なり <その 3 >

啄木文学散歩・もくじ 北海道札幌市に啄木を訪ねて <その 3 >「天神山緑地」 地下鉄南北線「南平岸駅」下車、徒歩15分ほどの豊平区平岸に天神山緑地があり、その中に「札幌平岸林檎園記念歌碑」がある。 「札幌平岸林檎園記念歌碑」 右は、添碑。中央は、…

札幌は秋風の国なり <その 2 >

啄木文学散歩・もくじ 北海道札幌市に啄木を訪ねて <その 2 > 「偕楽園緑地」 札幌市北区北6条西7丁目。啄木下宿跡から西側300mほどの場所で、北海道大学のすぐ近く。 《偕楽園跡の説明板》 「明治4年(1871年)開拓使によりこのあたりに公園が設けられた…

札幌は秋風の国なり <その 1 >

啄木文学散歩・もくじ 北海道札幌市に啄木を訪ねて <その 1 > 「 JR タワー展望室 T38より北方向を望む」 北海道の天空にいちばん近い場所が、ここ。タワー最頂部の高さは 173mあり、展望フロアは 160mある。 写真中央よりやや右あたりに橘智恵子の生家(…

会津の名刹「法用寺」によくマッチする「啄木歌碑」<その 3 (終)>

啄木文学散歩・もくじ 福島県会津美里町の法用寺に啄木歌碑を訪ねて <その 3 (終)> 「三重塔」福島県指定重要文化財 法用寺は、境内に入ったときから厳かな空気が漂っていた。三重塔は木組みが複雑で、つい見とれてしまうほど美しかった。 この写真でい…

会津の名刹「法用寺」によくマッチする「啄木歌碑」<その 2 >

啄木文学散歩・もくじ 福島県会津美里町の法用寺に啄木歌碑を訪ねて <その 2 > 「石川啄木歌碑の案内柱」伝説のある「虎の尾桜」を見ながら鐘楼を過ぎると、池のほとりに立派な案内柱があった。新しいように見えたので、今年(2012年)5月に立てられたもの…

会津の名刹「法用寺」によくマッチする「啄木歌碑」<その 1 >

啄木文学散歩・もくじ 福島県会津美里町の法用寺に啄木歌碑を訪ねて <その 1 > 「法用寺三重塔」 法用寺は会津では二番目に古い寺である。会津唯一の三重の塔は高さ19mあり、町の景色によく似合う。 「階段から仁王門」 重要文化財という石柱の立つ階段を…

上野駅の啄木歌碑のこと

啄木文学散歩・もくじ JR上野駅15番ホーム車止め前にある啄木碑写真の左側が15番ホーム(高崎線など)、右が16番ホーム(常磐線など)。[1985年(昭和60)3月14日、東北新幹線上野乗り入れが実現した。これを記念して、同年3月19日に建立。歌碑は直径120cm…

啄木に会いに 旭川 <その 3 (終)>

啄木文学散歩・もくじ 横からみる啄木像の隣の席は・・・ 「啄木さんの隣の座席が空いています。どうぞ一緒に記念撮影して下さい」という表示板が出ている。 歌碑像は高さ2.3m、幅1.6m、奥行き1mのアルミ製。明治時代の座席の雰囲気が感じられる。 作者の…

啄木に会いに 旭川 <その 2 >

啄木文学散歩・もくじ 啄木は雪の結晶に囲まれた窓から外を見ている像を建立したのは、「旭川に石川啄木の歌碑を建てる会」(会長・相川正志さん)。2010年に、旭川市出身で国際啄木学会前会長の近藤典彦さんが「旭川駅前に『啄木歌碑』を建てませんか」と提…

啄木に会いに 旭川 <その 1 >

啄木文学散歩・もくじ 2012年4月13日 旭川駅に誕生した石川啄木像 新装なったJR旭川駅 鉄道高架化工事が完了し、2011年10月に新駅舎が開業。「川が見える駅」は珍しいとのこと。 駅舎のすぐ後ろに忠別川が流れている。忠別川方面の北口駅前広場の整備はこれ…

野口雨情の住んでいた家 宇都宮市<その 2 (終)>

啄木文学散歩・もくじ 野口雨情詩碑「あの町この町」 鹿沼街道沿い旧居前の鹿沼街道を挟んだ向こう側(約80m右方向)に詩碑がある。1958年(昭和33)、雨情詩碑建設委員会が建てた。 あの町 この町 日が暮れる 日が暮れる 今きたこの道 歸りやんせ 歸りやん…

野口雨情の住んでいた家 宇都宮市<その 1 >

啄木文学散歩・もくじ 石川啄木と野口雨情 1907年(明治40)21歳の石川啄木は25歳の野口雨情と、北海道「小樽日報」の創業時に記者として出会う。 啄木の日記によれば、知り合って十日目「野口君と予との交情は既に十年の友の如し」。「共に豚汁を啜」り、「…

啄木文学散歩 岩手県盛岡市 啄木であい道 <その 4 (終) >

啄木文学散歩・もくじ <啄木であい道><その 4 (終) >初秋やまさぬ一夜を髪を梳き/かなしとききぬ歌やこほろぎ 石川節子 啄木の父一禎 〈注:五行ほどあるが「啄木の父一禎」のほかは読みにくい〉 朝日影/流石に雲井に/輝きて/岩手の山の/峰のしら雪…

啄木文学散歩 岩手県盛岡市 啄木であい道 <その 3 >

啄木文学散歩・もくじ <啄木であい道><その 3 > 夕ぐれの夢/盛岡中学時代の雅号 翠 /明治三十四年九月/回覧雑誌 秋草より 啄木 花ひとつ/さけて流れてまたあひて/白くなりたる/夕ぐれの夢 石川翠江 今日もまた胸に痛みあり/死ぬならば/ふるさと…