2012-02-01から1ヶ月間の記事一覧
[赤煉瓦] 石川啄木没後100周年記念企画・対談 「啄木と賢治 新しき『明日』に向けて」 2012年4月14日(土)13:30〜16:00 会場 新宿農協会館(渋谷区代々木2-5-5 JR新宿南口より徒歩5分) 啄木と賢治の人生とその歴史的背景・宗教・自然・労働・新しき明日…
[大正ガラス] 《作品に登場する啄木》 『橋のない川』 住井すゑ 新潮社 (つづき) <その7>第五部 《落花の賦》孝二たちは夕日にきらめく校舎の窓をうしろに、やがて大橋を西に越えた。 西の山なみ──金剛、葛城、二上、生駒は、きょうもその存在のままを…
[スダジイ] 《作品に登場する啄木》 『橋のない川』 住井すゑ 新潮社 (つづき) <その6>第三部 《影踏み》 孝二はおぼえている。 新しき明日の来るを信ずといふ 自分の言葉に 嘘はなけれど── 歌集 “ 悲しき玩具 ” に収められている啄木の歌だ。 孝二もや…
[狐の嫁入り] 《作品に登場する啄木》 『橋のない川』 住井すゑ 新潮社 (《海酸漿》つづき) <その5> 孝二はふとんにうつ伏せた。孝二は思いきり泣きたかった。けれども啄木がその歌でうたっているように孝二には泣けない。孝二は、 死ぬまでに一度会は…
[ひな祭り] 国際啄木学会 2012年 台北大会 開催地 「台湾」国立台湾大学(台北市) 期日 2012年5月10日(木)〜13日(日) 日程 10日(木) 日本出発 → 台北へ 11日(金) 実地踏査(平和記念館、故宮博物院、淡水方面など) 12日(土) 大会(会場 国立台湾…
石川啄木(1886-1912)の没後100年(4月13日)を前に22日、盛岡市内の小中学校計43校で、啄木の歌集「一握の砂」に収録された食べ物に関する短歌を基にした給食が出された。啄木はハイカラなものが好きで歌にもパンやハムが登場する。 市栄養士会が考案した…
[つるし飾り] 中央区観光協会オフィシャルブログ 没後100年----石川啄木 「東海の小島の磯の白砂にわれ泣き濡れて蟹とたはむる」 「砂山の砂に腹這ひ初恋のいたみを遠くおもひ出づる日」 などの歌で知らぬ人のない程有名な明治期の詩人・歌人の石川啄木は岩手…
戦前のプロレタリア文学作家、日本共産党員だった小林多喜二が特高警察に捕まり虐殺されたのは1933年2月20日です。薄曇りの寒い日だったといいます。 多喜二が4歳だった1907年末、一家は秋田から小樽に移住しました。当時、石川啄木もこの町で暮らしていまし…
[ウメ] 「いただきます 2月」 盛岡市立桜城小学校2012年2月22日(水) パン・啄木スープ・ハムのチーズ焼き・サラド・ハムやき・かりんとう・牛乳 ◎ 盛岡の先人…「石川啄木」給食 明治19年2月20日盛岡市玉山区渋民生まれ。詩集「あこがれ」「一握の砂」「悲…
啄木生誕祭「啄木かるた」大会は18日、盛岡市玉山区の市渋民文化会館で開かれ、市内の小中学生ら249人が石川啄木の歌を味わいながら、熱戦を繰り広げた。 昨年北海道函館市で開かれた函館・盛岡啄木交流かるた大会で優勝したチーム「わんぱくASL」(函館市)…
[フクジュソウ 花言葉は「幸福・思い出」] 2012年2月20日 啄木の誕生日は1886年、明治19年の今日。 26年と53日を走り抜けた人だった。 啄木の生まれた1880年ころの平均寿命は37歳位、啄木が亡くなったころは44歳位だったらしい。乳幼児の死亡率が高かったか…
[氷の花] 《作品に登場する啄木》 『橋のない川』 住井すゑ 新潮社 (つづき) <その4> 《海酸漿》 貞夫と恒太郎は神功皇后を祀る社殿のうしろで弁当をひろげた。緑一色の耕地の中に点在する家々の白壁。四すじのたて縞のように盆地を走る葛城、曾我、飛…
[ウメ] 「文庫日和」(週刊読書人 2012年2月17日号) 石川啄木著・近藤典彦編『復元 啄木新歌集』(桜出版) 啄木愛好家も、研究者も必読のテキスト 啄木没後百年、「悲しき玩具」が生まれ変わり、幻の歌集「仕事の後」の復元が叶った! 本書は、従来「悲し…
天声人語 2/17 今年が没後100年の石川啄木に、梅を詠んだ、どこかおかしくて淋しい一首がある。〈ひと晩に咲かせてみむと、/梅の鉢を火に焙(あぶ)りしが、/咲かざりしかな。〉。3行書きだが、改行と読点をとばして読むと三十一文字(みそひともじ)のリ…
[シードラゴン] 《作品に登場する啄木》 『橋のない川』 住井すゑ 新潮社 (つづき) <その3>ところで放課後、学級日誌を記入する孝二を、貞夫は今日も教室の片隅で待ち合わせていたが、 「孝やん、ここに、ええのがあるで。」と、歌集のとある頁をゆびさ…
[スイセン] ◎ 石川啄木没後100周年・「悲しき玩具」発刊百年 啄木の魅力をうたう小川邦美子コンサート 啄木が没して100年、いろあせぬ歌の数々・・・ 短歌だけではなく詩の魅力もお楽しみ下さい。 ショパン・エチュード、昴、ほうせんか、・・・ 様々に啄木を歌い…
[1円玉と大イチゴ] 盛岡循環バス「でんでんむし」レトロに変身 盛岡市内の循環バス「でんでんむし」に新デザインの車両が登場し、13日、JR盛岡駅前で出発式があった。 「でんでんむし」7台のうち1台を、従来の白色から深緑色に変え、レトロ調のデザインに…
「いわてデスティネーションキャンペーン」 JRグループでは、岩手県、岩手県観光協会、岩手県に隣接する青森県八戸市、秋田県鹿角市、小坂町の各自治体および関係事業者などと連携し、観光による地域活性化策「いわてデスティネーションキャンペーン」(以下…
[運搬船] 《作品に登場する啄木》 『橋のない川』 住井すゑ 新潮社 (つづき) <その2>貞夫もひととき一緒に笑っていたが、 「もう一つまねして作ったろか。“一度でも我に頭を下げさせし 人みな死ねと いのりてしこと” というのを、“一度でも我を小森と嘲…
[ウメ] 命の歌を読む:雪の中で=東直子 今年の冬は例年より寒く、日本海側では大雪が続いている。生き物にとって、試練の季節である。雪の中の命を探りたい。 子を負ひて 雪の吹き入る停車場(ていしゃば)に われ見送りし妻の眉かな 石川啄木 東北に生まれ…
[要望書を手渡す大室精一東京支部長、佐藤勝理事、 飯坂慶一会員(撮影・山田武秋会員)] [在りし日の石碑 2000年5月 啄木の息管理者撮影] 啄木終焉の地の石碑再建要望書を提出 国際啄木学会東京支部長らが、2月10日、文京区役所に「啄木終焉の地における石…
歌人石川啄木の没後100年に合わせ、旭川出身の啄木研究者の近藤典彦さんが、第1歌集「一握の砂」の原型といえる歌集「仕事の後(のち)」を復元した。 「一握の砂」は1910年(明治43年)12月に東雲堂書店から刊行した。啄木はこれに先立つ8カ月前、別の出版…
[ミツマタ] 《作品に登場する啄木》 『橋のない川』 住井すゑ 新潮社 <その1> 第二部 《竹馬 一》 この手紙といっしょに送る歌集は、豊さんがくれたもので、作者の石川啄木という人も、幸徳秋水に心を傾けていた一人やそうです。こういう歌なら、お前はん…
[より高く] 啄木の2歌集を再構成 近藤さんが刊行 国際啄木学会元会長の近藤典彦さんが研究成果に基づいて啄木の歌集を再構成した「復元 啄木新歌集」(桜出版)が刊行された。 「一握の砂以後(四十三年十一月末より)」と「仕事の後」の二つの歌集で構成。…
『復元 啄木新歌集』を読む -「啄木の息」管理者 (啄木が)氷嚢の下から、どんよりした目を光らせて、いくたびもうなづいた。…「それで、原稿はすぐ渡さなくてもいゝのだろうな。訂さなくちやならないところもある。癒つたらおれが整理する」と言った。(土…
今年没後100年を迎えた函館ゆかりの歌人、石川啄木を再認識してもらう文学講座が4日、函館市文学館で開かれた。「石川啄木連続講座」の第1回目。 啄木研究家の桜井健治さんが講師を務めた。最初に「一握の砂」を取り挙げ、啄木が上京していた1908(明治41…
[記念硬貨「世界遺産平泉」中尊寺 金色堂と毛越寺 曲水の宴] 岩手日報 風土計 今年は歌人石川啄木の没後100年。盛岡市と石川啄木記念館などは、新たにつくる「啄木かるた」に使う歌を公募している。 啄木碑は石川啄木記念館が確認しているだけで全国に165 ほ…
[春は名のみの] 「文の京(ふみのみやこ)ゆかりの文人銘菓」を募集 東京都文京区 数多くの文学者を育んできたまち、文京区。その魅力を高め、観光振興に資することを目的に、区内の菓子製造・販売店に、区ゆかりの代表的な文人に関連した土産菓子の開発を支…
[いさりのりんご(盛岡市猪去(いさり))] 「啄木と海」 命の鼓動 魂の叫び 歌人石川啄木の足跡を手繰っていくと、キーワードの一つとして海が浮かび上がってくる。海をめぐる不思議な縁から「啄木特集」をスタートさせたい。(編集委員 黒川伸一) 啄木は釧…
[からすなぜなくの] *カウンセリング研究会【くりのみ】4月定例学習会*《啄木没後100年記念講演会》『啄木と道元』 曹洞宗寺院に生まれた啄木の詩歌には、仏教用語が多く見られるものの、その作品にどのような影響を及ぼしているか、具体的な研究はほとん…