〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

切通坂の啄木歌碑 東京都:文京区<3>

啄木文学散歩・もくじ


湯島天神 切通坂の歌碑


切通


右が春日通り、左側が湯島天神の石垣。
左手前にあるのが石川啄木歌碑。目立たないので、通り過ぎてしまいそうになる。





  切通(きりどおしざか)
             湯島三丁目30と四丁目6の間
「御府内備考」には「切通は天神社と根生院との間の坂なり、是後年往来を開きし所なればいふなるべし。本郷三、四丁目の間より池の端、仲町へ達する便道なり、」とある。湯島の台地から、御徒町方面への交通の便を考え、 新しく切り開いてできた坂なので、その名がある。
初めは急な石ころ道であったが、明治37年(1904)上野広小路本郷三丁目間に、電車が開通してゆるやかになった。
映画の主題歌「湯島の白梅」“青い瓦斯灯境内を 出れば本郷切通し”で、坂の名は全国的に知られるようになった。
また、かつて本郷三丁目交差点近くの「喜之床」(本郷2-38-9・新井理髪店)の二階に間借りしていた石川啄木が、朝日新聞社の夜勤の帰り、通った坂である。
   二晩おきに夜の一時頃に切り通しの坂を上りしも 勤めなればかな
                  石川 啄木


        ― 郷土愛をはぐくむ文化財

       文京区教育委員会 平成11年3月



碑の下部にある歌碑の説明板

この歌は、石川啄木(一八八六 〜 一九一二)の明治四十三年(一九一〇)の作で、『悲しき玩具』に収められている。文字は、原稿ノートの自筆を刻んだ。
当時啄木は、旧弓町の喜之床(きのとこ)(現本郷二ノ三八ノ九・新井理髪店)の二階に間借りしていた。そして、一家五人を養うため、朝日新聞社に校正係として勤務し、二晩おきに夜勤もした。
夜勤の晩には、終電車で上野の広小路まで来たが、本郷三丁目行きの電車はもう終わっている。湯島神社の石垣をまさぐりながら、暗い切通坂を、いろいろな思いを抱いて上ったことであろう。
喜之床での二年二か月の特に後半は、啄木文学が最高に燃焼した時代である。この歌は、当時の啄木の切実な生活の実感を伝えている。
文京区内で、最後に残っていた啄木ゆかりの家 "喜之床" が、この三月十八日に、犬山市の博物館「明治村」に移築、公開された。

   昭和五十五年五月三日
               文京区教育委員会



歌碑

   二晩おきに
   夜の一時頃に切通の坂を上りしも──
   勤めなればかな。
           石川啄木

『悲しき玩具』の歌稿ノートの啄木自筆を拡大した文字。





湯島天神の絵馬
願いをこめた絵馬が分厚い。
学業成就・合格祈願・初宮詣・家内安全・厄除祈願・交通安全・開運祈願・・・。
祈りたいことはそれぞれだが、ここは学問の神様の菅原道真公を祀っているから、合格祈願が特にたくさんあった。