啄木文学散歩
啄木文学散歩・もくじ 青森県上北郡野辺地(のへじ)町 常光寺-3常光寺本堂左側の樹は季節になると華やかに咲く枝垂れ桜。 一禎と野辺地とその最期 1879年(明治12)、一禎は行脚僧として野辺地常光寺に逗留。1906年(明治39)、一家の苦境をしり目に家出し…
啄木文学散歩・もくじ 青森県上北郡野辺地(のへじ)町 常光寺-2常光寺境内にある「銘馬御座碑」 六地蔵の祀られているお堂の隣に、背の高い形の変わった碑があった。それが「銘馬御座碑」である。「高さ七尺五寸、横四尺五寸、大字八行の銘があり字形奇偉…
啄木文学散歩・もくじ 青森県上北郡野辺地(のへじ)町 常光寺-1常光寺 常光寺は、啄木の父・一禎ゆかりの寺である。 野辺地駅より北東1.5kmほどのところにあり、後に紹介する愛宕公園に近い。ここ野辺地に「父一禎は約三年間逗留し、啄木は三度、延べにして…
啄木文学散歩・もくじ 青森県 上北郡 野辺地(のへじ)町 野辺地駅野辺地は父・一禎が野辺地の常光寺に寄寓した関係で、啄木も3回訪れた地である。 野辺地駅 2010年(平成22)東北新幹線の全線開業に伴い、東北本線が青い森鉄道に移管された。「野辺地駅」は…
啄木文学散歩・もくじ 青森県青森市 合浦公園(がっぽ こうえん)(つづき) ハマナスの花。 ハマナス(浜茄子、浜梨) 夏に赤い花(まれに白花)を咲かせる。根は染料などに、花はお茶などに、果実はローズヒップとして食用になる。晩夏の季語。 「ハマナス…
啄木文学散歩・もくじ 合浦公園(がっぽ こうえん)(つづき) 中央が石川啄木歌碑 『啄木文学碑紀行』浅沼秀政 著妻子を盛岡の実家に、老母を渋民の知人宅に託して啄木が妹光子とともに新しい運命を開拓すべく津軽の海を越えたのは明治四十年五月四日であっ…
啄木文学散歩・もくじ 青森県青森市 合浦公園(がっぽ こうえん) 合浦公園は、市街地の公園としては全国でも珍しい海浜公園で明治27年に造られた。平成元年「日本の都市公園100選」に選ばれた。 松と石碑の多い公園で石川啄木や松尾芭蕉等の石碑や句牌・胸…
啄木文学散歩・もくじ <古房地公園の石川啄木歌碑> 古房地公園(こぼうち こうえん) 1971(昭和46)年開園 所在地 茨城県日立市大甕(おおみか)町4丁目 大甕駅は上野駅から常磐線特急で約1時間半。 石川啄木歌碑のある古房地公園は、駅前から海岸方向に1…
啄木文学散歩・もくじ 「君は若き女にして、我は若き男に候ひけり」と長い恋文を書いた啄木。 その相手は女を装った男だった……。 かつて木造三階建の旅館「高盛屋」を購入し味噌屋の看板を掲げた あらためて石川啄木全集(筑摩書房)の日記と書簡から平山良…
啄木文学散歩・もくじ 「君は若き女にして、我は若き男に候ひけり」と長い恋文を書いた啄木。 その相手は女を装った男だった……。 与謝野晶子から平山良子(良太郎)宛の手紙明治42年2月25日 この手紙の宛名も平山「良子」となっている。 店主が見せてくださ…
啄木文学散歩・もくじ 「君は若き女にして、我は若き男に候ひけり」と長い恋文を書いた啄木。 その相手は女を装った男だった……。 臼杵新聞 明治(42年、または、43年。読み取ることができない)1月1日付 上記、臼杵新聞の左中央部分(ちょうど光が当たってい…
啄木文学散歩・もくじ 「君は若き女にして、我は若き男に候ひけり」と長い恋文を書いた啄木。 その相手は女を装った男だった……。 明治41年12月5日、啄木より平山良子宛の書簡 封筒表書き 豊後国臼杵町 唐人町 平山良子様 (消印) 41年12月5日 明治41年12月5…
啄木文学散歩・もくじ 「君は若き女にして、我は若き男に候ひけり」と長い恋文を書いた啄木。 その相手は女を装った男だった……。 啄木に送られた“平山良子”の写真 実は、この写真は祇園の芸者「芝池栄美(しばいけ えみ)」という女性の姿だった。 この頃、…
啄木文学散歩・もくじ 「君は若き女にして、我は若き男に候ひけり」と長い恋文を書いた啄木。 その相手は女を装った男だった……。 店内の展示 右の大きい額 石川啄木による「みひかり会員」の詠草添削 中央柱の小さい説明ボード 「ようこそ啄木茶房へ」 その…
啄木文学散歩・もくじ 「君は若き女にして、我は若き男に候ひけり」と長い恋文を書いた啄木。 その相手は女を装った男だった……。 石川啄木による「みひかり会員の詠草添削」 明治41年11月15日 石川啄木による「みひかり会員の詠草添削」 明治41年11月15日 良…
啄木文学散歩・もくじ 「君は若き女にして、我は若き男に候ひけり」と長い恋文を書いた啄木。 その相手は女を装った男だった……。 ふしみやの店先にある説明板。 臼杵商工会議所ニュース 平成25(2013)年9月25日 臼杵の老舗企業 「明治18年創業 木造三階建の…
啄木文学散歩・もくじ 「君は若き女にして、我は若き男に候ひけり」と長い恋文を書いた啄木。 その相手は女を装った男だった……。 啄木エピソードとして有名なこの手紙を飾る、大分県臼杵市を訪ねた。 中央の木造三階建の家が「啄木茶房 ふしみや」。 老舗「…
啄木文学散歩・もくじ 『一握の砂』の序文を書いた“渋川玄耳”のふるさとを訪ねて [玄耳墓所近くに咲く「キバナシュクシャ」] いつ読んでも斬新で面白い 渋川玄耳(藪野椋十)の序文 ◎…… 藪野椋十(渋川柳次郎)の序文は、その後無数に書かれた『一握の砂』評…
啄木文学散歩・もくじ 『一握の砂』の序文を書いた“渋川玄耳”のふるさとを訪ねて [佐賀県武雄市の観光パンフレット] 啄木日記のなかの渋川玄耳 明治四十二年当用日記三月一日 月曜 昼飯をくつて電車で数寄屋橋まで、初めて滝山町の朝日新聞社に出社した、 佐…
啄木文学散歩・もくじ 『一握の砂』の序文を書いた“渋川玄耳”のふるさとを訪ねて 澁川玄耳文学之碑 白木原集落の角に建つ渋川玄耳文学碑。 小田志小学校跡から100メートルほど北へ行ったところ。 カーブした道の角に文学碑がある。 “われかつてここにすめり”…
啄木文学散歩・もくじ 『一握の砂』の序文を書いた“渋川玄耳”のふるさとを訪ねて 渋川玄耳が入学した小学校を訪ねて、佐賀県武雄市西川登町小田志(ニシカワノボリチョウ コタジ)に行く。墓所から南方向(直線10数kmほど)のところ。 八坂神社への階段。右…
啄木文学散歩・もくじ 『一握の砂』の序文を書いた“渋川玄耳”のふるさとを訪ねて 墓所近くの風景。 <漱石の朝日時代とその周辺> 濱川博(大妻女子大学紀要) (渋川が)法務官から新聞記者への転身話がまとまったのは、明治三十九年の末ごろで、渋川は三十…
啄木文学散歩・もくじ 『一握の砂』の序文を書いた“渋川玄耳”のふるさとを訪ねて 坂道を上ったところは静かな林になっている。墓所はこの先。 「渋川玄耳夫婦の墓」の表示板。 <『評伝 渋川玄耳』 著者 古賀行雄> 文芸社 大正11年、病に倒れ、房総半島の鴨…
啄木文学散歩・もくじ 『一握の砂』の序文を書いた“渋川玄耳”のふるさとを訪ねて 渋川玄耳といえば、朝日歌壇の選者に当時無名24歳の石川啄木を起用した人。 啄木の歌集『一握の砂』は玄耳の勧めにより始まり、刊行のときには玄耳が序文を書いた。 玄耳の祖…
啄木文学散歩・もくじ 仙台文学館・開館15周年記念特別展 「石川啄木の世界〜うたの原郷をたずねて」 啄木の声が聞こえる 展示の最後に、テーブルがあり録音テープが聴けるようになっていた。 啄木の声は、日本音響研究所の鈴木松美所長が啄木の顔の形や骨格…
啄木文学散歩・もくじ 仙台文学館・開館15周年記念特別展 「石川啄木の世界〜うたの原郷をたずねて」 啄木ゆかりの「晩翠草堂」をたずねる 入口の説明板。「晩翠草堂」は仙台駅の西1kmほど、青葉通りと晩翠通りが交叉したところにある。 土井晩翠 1871年(明…
啄木文学散歩・もくじ 仙台文学館・開館15周年記念特別展 「石川啄木の世界〜うたの原郷をたずねて」 土井晩翠と啄木 [仙台文学館ニュース 第26号] 土井八枝(土井晩翠の妻) 1905年(明治38)5月、啄木は自らの結婚式に出席するために帰郷の途中、仙台で下…
啄木文学散歩・もくじ 仙台文学館・開館15周年記念特別展 「石川啄木の世界〜うたの原郷をたずねて」 啄木書簡 啄木の書簡は1896年(明治29)から亡くなる年までの17年間にわたり、512通ほどが残されている。 (他の文学者と比較すると)啄木と同じ27歳の時…
啄木文学散歩・もくじ 仙台文学館・開館15周年記念特別展 「石川啄木の世界〜うたの原郷をたずねて」 仙台文学館は仙台駅から4〜5 km北、広大な台原森林公園の一部にある。 常設展では、井上ひさし・佐伯一麦・伊坂幸太郎・俵万智・伊集院静など、仙台と関わ…
啄木文学散歩・もくじ この緑の土地に高齢者の施設をつくり、その一角に「啄木終焉の地」を示す歌碑を建てることになっている。 以前、「国有地」の表示だった。 現在は「区有地」になっている。 土地の東側の塀に取り付けられている案内板。 工事が始まれば…