北海道札幌市に啄木を訪ねて <その 2 >
「偕楽園緑地」
札幌市北区北6条西7丁目。啄木下宿跡から西側300mほどの場所で、北海道大学のすぐ近く。
《偕楽園跡の説明板》
「明治4年(1871年)開拓使によりこのあたりに公園が設けられた。「民と偕に楽しむ」と言う意味から「偕楽園」と名づけられた。日本で最初に計画的に造成された公園と言われる」
「石川啄木歌碑」
《「啄木 うたの風景」岩手日報2012年8月15日より》
「建碑の中心となっている札幌啄木会代表の太田幸夫さんは「札幌駅から徒歩圏内で明治の面影を残している唯一の場所。下宿からも近く、啄木はおそらく散歩しただろう」と語る」
アカシヤの街樾(なみき)にポプラに
秋の風
吹くがかなしと日記に残れり
ポプラの木をイメージした形の御影石に歌を刻む。
「碑陰」
歌集「一握の砂」より
文字は啄木の直筆から集字
「歌碑の案内パネル」
左 石川啄木肖像画 岡田和紀 (湘南啄木文庫所蔵)
右 石川啄木之像 藤沼源三 1977
「歌碑の案内パネル」
《石川啄木の歌碑》
国民的詩人の石川啄木(1886〜1912)は、明治40年から1年足らずであるが函館、札幌、小樽、釧路と生活のため北海道を流浪した。
啄木が札幌駅に降り立ったのは明治40年9月14日である。
翌日には市内の大通り・創成川近辺を散策し、その印象を日記に残した。
アカシヤの街樾(なみき)にポプラに
秋の風
吹くがかなしと日記に残れり
この歌は、啄木の代表的な歌集「一握の砂」(明治43年12月発行)に掲出されている一首である。
啄木が札幌に滞在したのはわずか2週間にすぎないが、札幌の深まりゆく秋を情感豊かに謳いあげた秀歌として知られる。
今年は啄木が27歳で東京にて没し100年の記念すべき年にあたるとともに「札幌啄木会」結成10周年の年でもある。
啄木の文学的偉業を顕彰し、後世に語り継ぐため、ここに啄木歌碑を建立する。
平成24年9月15日
札幌に啄木の歌碑を建てる会(札幌啄木会有志)
「歌碑の案内パネル」
国際啄木学会の益々の発展を祈念しここに4か国語の翻訳文を記す
英語・中国語・韓国語・ロシア語
偕楽園緑地は静かな雰囲気。
啄木歌碑は、写真の左から数えて3本目と4本目の木の間に黒い人影のように写っている。
(つづく)