〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

札幌は秋風の国なり <その 5(終) >

啄木文学散歩・もくじ


北海道札幌市に啄木を訪ねて <その 5 >

大通公園の啄木像」

  • 坂坦道 作 1981年制作
  • 中央区大通西3丁目 地下鉄「大通」駅6番出口



石川啄木歌碑」


   しんとして幅廣き街の
   秋の夜の 
   玉蜀黍の焼くるにほいよ

   (玉蜀黍=とうもろこし)





ハマナスの白い花と赤い実の向こうに…」

(「秋風記」の一部が歌碑側面に彫られている)

「秋風記」より
札幌は寔(まこと)に美しき北の都なり。初めて見たる我が喜びは何にか例へむ。アカシヤの並木を騒がせ、ポプラの葉を裏返して吹く風の冷たさ。札幌は秋風の国なり、木立の市(まち)なり。おほらかに静かにして人の香よりは樹の香こそ勝りたれ。大なる田舎町なり、しめやかなる恋の多くありそうなる郷(さと)なり、詩人の住むべき都会なり。此処に住むべくなりし身の幸を思ひて、予は喜び且つ感謝したり。あはれ万人の命運を司どれる自然の力は、流石に此哀れなる詩人をも捨てざりけらし。
石川啄木全集 第四巻「秋風記」  筑摩書房



(「秋風記」つづき)
札幌に似合へるものは、幾層の高楼に非ずして幅広き平屋造りの大建物なり、自転車に非ずして人力車なり、朝起きの人にあらずして夜遅く寝る人なり、際立ちて見ゆる海老茶袴(えびちゃばかま)に非ずして、しとやかなる紫の袴なり。不知(しらず)、北門新報の校正子、色浅黒く肉落ちて、世辞に拙く眼のみ光れる、よく比札幌の風物と調和するや否や。
石川啄木全集 第四巻「秋風記」 筑摩書房



「後ろ姿」

啄木の右肩すぐに小さく見える像は「泉の像」で、作者は本郷新。
三人の乙女が手を上げ踊る姿を毎日啄木が見ている(……かもしれない)。


「泉の像」は、「前からそこに在った、今も在り、明日もそこに在り続ける」という彫刻の永遠性を強く意識して制作されたという。(本郷新記念 札幌彫刻美術館)





大通公園を染める紅葉」
 1907(明治40)年9月14日、函館から札幌に来た啄木は21歳だった。ちょうど2週間の滞在で27日には小樽に向かった。21歳の目に映った札幌についての文を読むと、驚きのほかない。

改札口から広場に出ると、私は一寸立停つて見たい様に思つた。道幅の莫迦に広い停車場通りの、両側のアカシヤの街樾は、蕭条たる秋の雨に遠く/\煙つてゐる。其下を往来する人の歩みは皆静かだ。男も女もしめやかな恋を抱いて歩いてる様に見える。蛇目の傘をさした若い女の紫の袴が、その周匝の風物としつくり調和してゐた。傘をさす程の雨でもなかつた。
『この逵は僕等がアカシヤ街と呼ぶのだ。彼処に大きい煉瓦造りが見える。あれは五号館といふのだ。……奈何だ、気に入らないかね?』
『好い! 何時までも住んでゐたい――』
 実際私は然う思つた。

(「札幌」石川啄木 青空文庫 作品ID:45463)

(札幌は秋風の国なり (終))