〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

2015-07-01から1ヶ月間の記事一覧

「青森の海を臨む 石川啄木歌碑」 <その8>

啄木文学散歩・もくじ 青森県上北郡野辺地(のへじ)町 愛宕公園-1愛宕公園入口 野辺地町愛宕公園は、1884年(明治17)に町を一望できる高台に造られた。 一禎が野辺地を訪れたのは、1879年(明治12)だから、まだこの公園は造られていなかった。 石川啄木…

漱石「こころ」の "K" の「モデルは石川啄木である」

[バナナ? (カツラの実)] 梅光・佐藤教授が「文学の力とは何か」を出版 山口 夏目漱石の研究で知られる梅光学院大学大学院客員教授の佐藤泰正さんが、市民向けの公開講座や講演録などをまとめた「文学の力とは何か」を出版した。漱石や宮沢賢治らの作家・…

「青森の海を臨む 石川啄木歌碑」 <その7>

啄木文学散歩・もくじ 青森県上北郡野辺地(のへじ)町 常光寺-3常光寺本堂左側の樹は季節になると華やかに咲く枝垂れ桜。 一禎と野辺地とその最期 1879年(明治12)、一禎は行脚僧として野辺地常光寺に逗留。1906年(明治39)、一家の苦境をしり目に家出し…

「青森の海を臨む 石川啄木歌碑」 <その6>

啄木文学散歩・もくじ 青森県上北郡野辺地(のへじ)町 常光寺-2常光寺境内にある「銘馬御座碑」 六地蔵の祀られているお堂の隣に、背の高い形の変わった碑があった。それが「銘馬御座碑」である。「高さ七尺五寸、横四尺五寸、大字八行の銘があり字形奇偉…

「青森の海を臨む 石川啄木歌碑」 <その5>

啄木文学散歩・もくじ 青森県上北郡野辺地(のへじ)町 常光寺-1常光寺 常光寺は、啄木の父・一禎ゆかりの寺である。 野辺地駅より北東1.5kmほどのところにあり、後に紹介する愛宕公園に近い。ここ野辺地に「父一禎は約三年間逗留し、啄木は三度、延べにして…

「短歌甲子園2015」盛岡二高 9回目の出場

[モモ] 盛岡二高 10代の心三十一文字に 2年連続2つの短歌甲子園へ 盛岡二高の文学研究部は、8月に全国で開かれる二つの「短歌甲子園」に2年連続で出場する。8月18日から宮崎県日向市で開かれる「第5回牧水・短歌甲子園」と翌19日から盛岡市で開かれる「短歌…

死に急ぐな!若者よ!啄木を読もう!

『石川啄木 若者へのメッセージ』 西脇 巽著 桜出版戦争や貧困の時代を、個人の不条理な宿命を、人間関係の苦闘を生ききった石川啄木。そんな啄木のトリビアがつまったメッセージを紹介。たいへんな時代を生きる若者たちへ、ベテラン精神科医が処方する「読…

啄木の盛岡中学時代の恋愛、文学 -盛岡てがみ館特別展- 〜9/1

多感な青春像に迫る てがみ館特別展啄木をめぐる人々 盛岡市文化振興事業団主催の特別展「啄木をめぐる人々〜盛岡中学時代〜」が、同市の盛岡てがみ館で開かれている。知人・友人による手紙や原稿を通して、本県出身歌人・石川啄木の原点となった盛岡中学時…

南部陽一郎さん訃報「研究がうまくいかない日、啄木の「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ……」

[ヒペリカム] 天声人語 >朝日新聞 日本の戦後は焼け跡から始まり、戦後の物理学もそこから始まった。ノーベル賞に名を刻む物理学者、南部陽一郎さんの論集『素粒子論の発展』に当方の頭でも分かるくだりがある。戦後すぐに陸軍から戻って東大の助手に就くと…

「石川啄木を沖縄県の中学生で知っている人がいるか楽しみ」

[アカツメクサ] 沖縄・うるまとの友好に決意 市教育長を表敬 派遣の盛岡市内中学生 盛岡市が友好都市同盟を結んでいる沖縄県うるま市に4日間派遣する盛岡市内の中学生10人は14日、千葉仁一同市教育長を表敬した。2012年から派遣し、今年で4年目。25日からう…

啄木記念館の宮崎郁雨展<天窓> ~9/6

[ガクアジサイ] 天窓 > 盛岡タイムス 盛岡市渋民の石川啄木記念館に立ち寄り、周辺を少し歩いてみた。旧玉山村の役場庁舎は岩手山を真西に、北側には渋民公園啄木歌碑がある。 北上川、鶴飼橋、姫神ホール、宝徳寺、愛宕山・生命の森など啄木ゆかりの建物や…

「 啄木ゆかりの地巡りバスツアー」

[イタドリ] 啄木の足跡たどる 盛岡・玉山バスツアー 盛岡市玉山区の石川啄木ゆかりの地を巡るバスツアーは11日行われた。県内外から32人が参加。石川啄木記念館の森義真館長が案内役を務めた。 渋民駅がなかった時代、啄木が乗降していた好摩駅の待合室では…

「青森の海を臨む 石川啄木歌碑」 <その4>

啄木文学散歩・もくじ 青森県 上北郡 野辺地(のへじ)町 野辺地駅野辺地は父・一禎が野辺地の常光寺に寄寓した関係で、啄木も3回訪れた地である。 野辺地駅 2010年(平成22)東北新幹線の全線開業に伴い、東北本線が青い森鉄道に移管された。「野辺地駅」は…

「青森の海を臨む 石川啄木歌碑」 <その3>

啄木文学散歩・もくじ 青森県青森市 合浦公園(がっぽ こうえん)(つづき) ハマナスの花。 ハマナス(浜茄子、浜梨) 夏に赤い花(まれに白花)を咲かせる。根は染料などに、花はお茶などに、果実はローズヒップとして食用になる。晩夏の季語。 「ハマナス…

「青森の海を臨む 石川啄木歌碑」 <その2>

啄木文学散歩・もくじ 合浦公園(がっぽ こうえん)(つづき) 中央が石川啄木歌碑 『啄木文学碑紀行』浅沼秀政 著妻子を盛岡の実家に、老母を渋民の知人宅に託して啄木が妹光子とともに新しい運命を開拓すべく津軽の海を越えたのは明治四十年五月四日であっ…

「青森の海を臨む 石川啄木歌碑」 <その1>

啄木文学散歩・もくじ 青森県青森市 合浦公園(がっぽ こうえん) 合浦公園は、市街地の公園としては全国でも珍しい海浜公園で明治27年に造られた。平成元年「日本の都市公園100選」に選ばれた。 松と石碑の多い公園で石川啄木や松尾芭蕉等の石碑や句牌・胸…

石川啄木は「借金魔」だった

[ユーフォルビア・レウコケファラ] 「小社会」 高知新聞 石川啄木は「借金魔」だった。金田一京助ら友人知人に借りまくり、重ねた不義理は数知れず。新聞社から前借りした月給は妻子に送るべきところを、すぐさま酒色に使い切る。それで平気の平左かというと…

石川啄木が通った旧制盛岡中の図書庫、盛岡に戻る

[ニガナ] みちのく建物探訪 盛岡市・旧制盛岡中図書庫 解体の危機、市民救う 盛岡駅から北上川沿いを車で10分ほど下ると、湧き水が流れる共同井戸や町家が並ぶ通りがある。城下町の風情を残すこの場所は、鉈屋町(なたやちょう)だ。一番端にある町家の通り…

石川啄木を見いだした渋川玄耳の記事を連載

[コバノガマズミ] =音信= 渋川玄耳短歌誌「夜行列車」に連載 「詩形文学」会員 関家さよ子さん 新日本歌人協会佐賀支部の元事務局長で「短詩形文学」会員の関家さよ子さん=佐賀市=が、武雄市西川登町出身で石川啄木を見いだした明治のジャーナリスト渋川…

石川啄木は砂山で「ピストル」を見つけた

[マツモトセンノウ] 風土計【岩手日報】 砂の中からは、時に物騒なものが出てくる。石川啄木は砂山を掘っていて「錆(さ)びしピストル」を見つけた。石原裕次郎は「錆びたナイフ」だ。 いずれもさびついているからいいものの、これがぴかぴかしたピストルと…

啄木の学んだ「江南義塾盛岡高校」で啄木祭

[アジサイ] 高校で「啄木祭」(岩手県) 118年前の6月30日は、詩人・石川啄木が当時の予備校だった盛岡市の「学術講習会」に入塾した日だ。それを記念して啄木の後輩にあたる現役の高校生たちが啄木の功績を称える「啄木祭」を開いた。この「啄木祭」は、「…