〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

我孫子の楚人冠と啄木と <その 2 >

啄木文学散歩・もくじ


千葉県我孫子市に啄木を訪ねて <その 2 >


「サロン」
 サロンは明るく広い。楚人冠が「ジャーナリズム文庫」「新聞紙文庫」と名付けた蔵書などが収められている。
写真の反対側には楚人冠自慢の大きなマントルピースがある。





「日の差しこむ長い廊下」
廊下の途中に白い案内表示板が見える。その部屋が、企画展「楚人冠と啄木をめぐる人々」の展示室となっている。


展示
◎ 啄木を抜擢した渋川玄耳書簡
石川啄木歌人としての才能を認め、朝日歌壇の選者にした渋川玄耳。玄耳の相談相手が、最も強い信頼で結ばれた杉村楚人冠だった。

拝啓。御手紙並に文芸日本拝見しました。多謝。石川啄木君に和歌の選者を頼む時、流石に英断果決の渋川君もちと突飛の抜擢と考へたか、どうだろうかと僕に尋ねました。僕は歌も分らず石川君の事もよくは知らぬが、兎に角才能によって異数の抜擢を行ふという事にいふべからざる興味をもって、僕は言下に賛成の意を表しました。それが幸にして成功であった事を今に痛快に感じてゐます。
(杉村広太郎書簡 吉田孤羊宛 大正15年12月6日 盛岡てがみ館所蔵 -展示目録 及び 企画展解説書-)



「外から展示室を見る」

展示
◎ 啄木と善麿と楚人冠
社会主義者幸徳秋水堺枯川と親しかった楚人冠、幸徳が処刑された大逆事件を通して関心と思索を深めた啄木、啄木晩年の親友であり楚人冠から堺を紹介してもらった土岐善麿。三人の接点の一つは、社会主義への関心だった。

   売ることを差止められし本の著者に路にて会へる秋の朝かな
    (『石川啄木集・土岐善麿集』現代短歌全集第10巻、129頁)
明治43年9月)6日に発売禁止になった本 8 冊を啄木は「日本無政府主義者陰謀事件経過及び附帯現象」と題した原稿の中に書いている。その著者のうち、啄木と直接面識があるのは楚人冠と西川光二郎の二人である。「路にて会へる」という状況を考えると、この歌のモデルは同僚である楚人冠である可能性が高いといえるのではないだろうか。
(-展示目録 及び 企画展解説書-)




「書斎」
のちに増築された二階建ての建物で、一階が書斎、二階は寝室・居室になっている。

展示
◎ 啄木の病と楚人冠
病に苦しむ啄木のため、社内で義金を募った楚人冠。その義金を受け取った礼状に啄木が書いたのは無政府主義者クロポトキンの本を買ったこと。啄木が買った最後の贅沢品がこの本だった。

取分け重病の母に薬価や滋養品の事について余計な心配をさせなくても済む事になつたのが、有難くて仕方がありません。あの幾枚もの紙幣を見せてワケを話した時には、母は泣き笑いして有難がりました。それから、止さうか止すまいかと何度も考へた末に、とうとう昨日本を一冊買ひました。クロポトキンの、Russian literature これは病気になる前から欲しい欲しいと思つてゐた本の一つでした。
石川啄木書簡 杉村広太郎宛 明治45年1月31日 -展示目録 及び 企画展解説書-)


(つづく)