〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

2012-06-01から1ヶ月間の記事一覧

雑記帳:啄木記念館にキツツキの親子すみ着く 盛岡

「一握の砂」などで知られる歌人・石川啄木のふるさと、盛岡市の啄木記念館の桜の木に、ペンネームの由来となったキツツキの親子がすみ着き、観光客らを楽しませている。 結核のため自宅で療養し、人生に悩んでいた啄木は、キツツキが木をたたく音を聞いて心…

短歌月評:啄木と現代=大辻隆弘

永井祐の第一歌集『日本の中でたのしく暮らす』(ブックパーク)が出た。 日曜の夕方吉祥寺でおりてそこにいるたくさんの若い人たち 鼻をすすってライターつけるおいしいなタバコってと思って上を向く 本屋さんを雨がさらってその前の道にたばこの箱が落ちて…

啄木作品は昭和歌謡に影響を与えた -北海道新聞-

[ナナカマド] 《啄木特集》啄木と音楽啄木と音楽−。意外な組み合わせと思われるかもしれないが、両者は太い線で結ばれている。叙情性に富んだ啄木作品は、昭和歌謡史を彩る歌手や作詞家、作曲家に影響を与えた。啄木自身も妻となった節子に感化され、西洋音…

『ガン50人の勇気』病みてあれば心も弱るらん

[ベニバナヤマボウシ] 《作品に登場する啄木》 『ガン50人の勇気』 柳田 邦男 (著) 文藝春秋 < しなやかな心 >(P.73) 白血病のため十一歳で亡くなった横浜市の宮上裕君の日記『おにいちゃんは一ばんぼし』(創芸社)は、そういう中でも広く知られた記録…

「啄木没後100年記念「明星」からスバルへ」盛岡 6/26~10/22

盛岡てがみ館 第38回企画展 石川啄木没後100年を記念し、与謝野鉄幹・晶子夫妻をはじめとする、「明星」・「スバル」の文豪たちの手紙や原稿を通して、今も色褪せることのない啄木像を浮かび上がらせます。 2012年6月26日(火)〜2012年10月22日(月) 学芸…

<ふるさとの訛なつかし> 上野は今も北の玄関

[ピエール・ド・ ロンサール] 談話室 〈ふるさとの訛(なまり)なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく〉。啄木の歌碑が上野駅ホームそばに建つ。東北人にとってのみならず、上野は今も北の玄関である。新幹線開業までは山形への特急始発駅もそこだった…

講演会「野村胡堂と石川啄木」 野村胡堂・あらえびす記念館 6/24

野村胡堂生誕130年記念事業 平成24年度胡堂講座 第1回 2012年6月24日(日)午前10時〜 会場 野村胡堂・あらえびす記念館ホール 講師 太田愛人氏 牧師・エッセイスト・日本エッセイストクラブ常務理事。 問い合わせ 特定非営利活動法人野村胡堂・あらえびす記…

『啄木「ローマ字日記」を読む』 西連寺 成子(著)

教育評論社 2012年4月発刊 1,890円(税込) 啄木23歳の春に“ローマ字”で書かれ、貧困、借金、放蕩、家族、自殺願望、書けない小説・・・、様々な想いが詰め込まれた「ローマ字日記」。漢字仮名交じり文での翻刻全文を掲載し詳細な注と解説で読み解く。 目次 …

上野駅の啄木歌碑のこと

啄木文学散歩・もくじ JR上野駅15番ホーム車止め前にある啄木碑写真の左側が15番ホーム(高崎線など)、右が16番ホーム(常磐線など)。[1985年(昭和60)3月14日、東北新幹線上野乗り入れが実現した。これを記念して、同年3月19日に建立。歌碑は直径120cm…

東北本線と「はつかり」の時代 みちのく路の大動脈 写真特集

「東北本線」「はつかり」−−。ある世代までの「みちのく出身者」にとって、それは決してただの路線名、列車名ではなく、ある種の特別な感情を運んでくるキーワードだ。 明治以来、東京の「北の玄関口」上野駅に到着する列車は、みちのくの空気、におい、言葉…

かなしくも/夜明くるまでは残りゐぬ/息きれし児の肌のぬくもり  石川啄木

[ヘラオオバコ] 照明灯 石川啄木は長男の真一を生後3週間余りで亡くしている。直後に出版した初めての歌集「一握の砂」に「亡児真一に手向く」と書いた。 「一握の砂」に、真一の最期を詠んだ数首がある。二三(ふたみ)こゑ/いまはのきはに微(かす)かに…

近年の啄木祭を振り返る ズームアップいわて

啄木の古里玉山で長年開かれている啄木祭は、多彩なイベントで啄木の魅力を探り、顕彰する役割を果たしてきた。近年のイベントを振り返ると、啄木の魂は決して色あせることなく、現代を生きる人々の心に共鳴していることが分かる。 2003年、啄木同様に短い人…

いのちなき砂のかなしさよ -高田松原の啄木碑

[ミズナラ] 河北春秋 <いのちなき砂のかなしさよ さらさらと 握れば指のあひだより落つ>。石川啄木の秀歌を刻んだ碑が陸前高田市の名勝・高田松原にあった。66年に建てられたが、東日本大震災の津波で約7万本の松林とともに流失した。この歌碑は2代目。最…

卓上四季


白熱電球 独り身になったつもりで小説を書いて一旗揚げる―。そんな野心を胸に、石川啄木が、母と妻子を函館に残し、上京したのは1908年(明治41年)4月のことだった。東京に出た啄木は、千駄ケ谷の与謝野寛・晶子宅に身を寄せた。3年ぶりの訪問。四畳半の書…

「啄木 うたの風景 第 10 回」岩手日報

[ブルーベリー] 第 10 回 第一部 青春の輝き(6) 遊座さん(国際啄木学会元会長)インタビュー 古里の美しさ教わる少年時代の啄木が詩想をはぐくんだ故郷・渋民。啄木が育った宝徳寺(渋民)に生まれた啄木研究者の遊座昭吾さんに啄木と渋民について聞いた。 …

絵本「サルと人と森」が好評

石川啄木の短編小説「林中の譚」をアレンジ、「自然観、見つめ直して」 /岩手 啄木の没後100年となる今年、啄木が生前書き残した短編小説「林中(りんちゅう)の譚(たん)」を現代風にアレンジした絵本「サルと人と森」(NPO法人森びとプロジェクト委員…

啄木に会いに 旭川 <その 3 (終)>

啄木文学散歩・もくじ 横からみる啄木像の隣の席は・・・ 「啄木さんの隣の座席が空いています。どうぞ一緒に記念撮影して下さい」という表示板が出ている。 歌碑像は高さ2.3m、幅1.6m、奥行き1mのアルミ製。明治時代の座席の雰囲気が感じられる。 作者の…

台日文学者交流会:台湾の文学者ら、震災語り合う

義援金に感謝、先月訪台の大槌高生徒と /岩手 「台日文学者交流会」で来県中の台湾の文学者らが11日、大槌町の県立大槌高校を訪れ、生徒らと震災について語り合った。 一行は詩人で団長の陳義芝さんら6人。大槌町には台湾から多額の義援金が寄せられ、同高…

啄木に会いに 旭川 <その 2 >

啄木文学散歩・もくじ 啄木は雪の結晶に囲まれた窓から外を見ている像を建立したのは、「旭川に石川啄木の歌碑を建てる会」(会長・相川正志さん)。2010年に、旭川市出身で国際啄木学会前会長の近藤典彦さんが「旭川駅前に『啄木歌碑』を建てませんか」と提…

啄木が見たかるた会再現 釧路 6/24

歌人石川啄木が見学したかるたを再現しようと、歌留多会が24日午後1時から、真如山本行寺(釧路市弥生2)で開かれる。 石川啄木没後100年を記念したもので、同寺と北海道百人一首かるたジュニア伝承会の主催。啄木はかるた好きだったといい、釧路滞在中も日…

《私の中の啄木》(4).(5)

(4)釧路時代 76日間 小樽に家族を残し、1908(明治41)年1月21日夜、啄木は釧路に着く。寂しいという第一印象とは違い、釧路での生活は華々しい。釧路新聞の職場で編集長格で活躍し、地域の有力者とも語り、高級料亭に通い続ける。 しかし、主筆に対する…

啄木に会いに 旭川 <その 1 >

啄木文学散歩・もくじ 2012年4月13日 旭川駅に誕生した石川啄木像 新装なったJR旭川駅 鉄道高架化工事が完了し、2011年10月に新駅舎が開業。「川が見える駅」は珍しいとのこと。 駅舎のすぐ後ろに忠別川が流れている。忠別川方面の北口駅前広場の整備はこれ…

《私の中の啄木》(3)小樽時代 115日間

1907(明治40)年9月27日、小樽に着いた啄木は、中央小樽駅長に就いていた義兄夫婦を訪ねた。小樽日報社に勤め、家族もそろい、つかの間のだんらんの時期だ。しかし、1カ月ほどで友人と主筆の排斥を企てる。啄木は三面主任として活躍し、主筆は解任された。 …

「啄木 うたの風景 第 8・9 回」岩手日報

[エッ?] 第 8 回 第一部 青春の輝き(4) 岩手公園(盛岡市) 中学時代の思い刻む 1898(明治31)年春。12歳の啄木は盛岡尋常中学校(現・盛岡一高)に入学する。当時の学校は現在の岩手銀行本店が建つ一角にあった。洋風の木造2階建て校舎は「白亜城」と呼ば…

《私の中の啄木》(2)札幌時代 14日間

1907(明治40)年9月14日、函館を発った啄木は、札幌に到着し「北門新報社」で働き始める。数日後には、友人とともに小樽で発刊されるという「小樽日報」に転職することを密談する。2週間後には、小樽日報に入社するため札幌を離れる。滞在期間は、わずか14…

「啄木 うたの風景 第 6・7 回」岩手日報

[ツバメ] 第 6 回 第一部 青春の輝き(2) 渋民小(盛岡市玉山区) 守り継ぐ先輩の感性 渋民・宝徳寺の長男として成長した啄木は1891(明治24)年、就学年齢より1年早く、5歳で渋民尋常小学校に入学する。入学当初、それほど優れた成績ではなかったが、3、4年…

《私の中の啄木》(1)函館時代  没後100年に 企画特集1

(1)悩みもがく姿 教え続け JR函館駅から約1キロ南東の大森浜。100年ほど前に歌人石川啄木が散歩した場所に、故郷・岩手県の方向に背を向けるように啄木像が立つ。 潮かおる北の浜辺の/砂山のかの浜薔薇(はまなす)よ/今年も咲けるや 「函館を懐かしく…

野口雨情の住んでいた家 宇都宮市<その 2 (終)>

啄木文学散歩・もくじ 野口雨情詩碑「あの町この町」 鹿沼街道沿い旧居前の鹿沼街道を挟んだ向こう側(約80m右方向)に詩碑がある。1958年(昭和33)、雨情詩碑建設委員会が建てた。 あの町 この町 日が暮れる 日が暮れる 今きたこの道 歸りやんせ 歸りやん…

企画展「没後100年 石川啄木と小樽啄木会展」 6/2~7/8

○ 小樽市立小樽文学館 電話 0134-32-2388 ○ 2012年6月2日(土)〜7月8日(日) すでに天才歌人として知られていた石川啄木は、小樽日報社に赴任するために、明治40(1907)年、釧路に向かうまでの4ヶ月ほどを小樽で過ごしました。小樽で新聞記者として活動し…

啄木の歌碑建立へ 建てる会が計画 -札幌

石川啄木の没後100年を記念し、札幌市北区北7西7の「偕楽園緑地」に歌碑を建てることが決まった。 札幌啄木会は設立10年を迎えたこともあり、「札幌に啄木の歌碑を建てる会」を設立して建設を計画。9月15日に除幕式を予定。御影石製。 また、札幌を訪れる外…