〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

啄木と青森県野辺地町との縁について ⑤ (おわり)

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常光寺境内の地蔵様 -第五日本海丸遭難者供養のため建立- 常光寺境内に地蔵様の立像がある。明治42年(1909)、青森県平内町で第五日本海丸が火災を起こして沈没し漁夫228名が溺死し、その供養のために建立されたもの。この第五日本海丸遭難者合同慰霊祭は、葛原対月と弟子である一禎らが野辺地常光寺で執行した葬儀となる。(『啄木の父 一禎と野辺地町』 高松鉄嗣郎著)

石川啄木と父、伯父 ―― 野辺地の縁 ⑤

対月、一禎の影響 文化、文学振興に寄与

  • 石川啄木の伯父・葛原対月や父・一禎の滞在は野辺地町にどんな影響を与えたのか。野辺地町立歴史民俗資料館長などを歴任した高松鉄嗣郎の著書「啄木の父一禎と野辺地町」によると、一禎は同町で啄木と同年代の野辺地学生会の会員と親しく交流していたという。
  • 野辺地学生会は1902年、結成集会を対月が住職を務めていた常光寺で開いている。会員の団結による智徳体の錬磨が目的で、会員は35人。会長の松本彦次郎は当時、東京帝国大学史学科に在籍していた。同会は夏期講習会を開催。会報に英語、代数、幾何などの指導者は記されているが、漢文の欄が空白になっている点について、高松は著書で「おそらく対月和尚が担当し、一禎も協力していたのではないだろうか」と推測する。
  • 野辺地は当時、大阪商人との付き合いから俳句が盛んだった。00年に結成された俳句結社「笹鳴会」は03年、県内活版印刷では初の俳句同人雑誌「菅菰(すがごも)を創刊している。学生会会員も俳句をたしなむ人が多かったという。
  • 同町出身の民俗学者の中市謙三は対月の書を啄木の親友だった盛岡市出身の言語学者金田一京助に紹介した際の金田一からの返書を「野辺地町郷土史資料」に載せた。金田一は一禎や啄木が和歌に親しんだ背景として対月の影響を指摘している。(兼平昌寛)

(2021-10-09 東奥日報

(おわり)

 

 

 

 

地元出身の啄木・賢治も愛した山 岩手山を守り伝える

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ススキ

~美しい山を次世代に~ 日本山岳遺産基金

文豪も愛した美しい自然を守り・伝える。岩手山地区パークボランティア連絡協議会|日本山岳遺産の横顔 vol.11

豊かな自然や文化を有する山岳エリアを認定する日本山岳遺産。それぞれの認定地では美しい山を次世代へつなげる活動が行なわれている。第11回は、奥羽山脈岩手山周辺で登山道補修や外来植物駆除などをしている岩手山地区パークボランティア連絡協議会を紹介する。

  • 奥羽山脈北部に位置し、岩手県の最高峰として堂々とそびえる岩手山。噴火を繰り返してできた成層火山で、多様な地形・地質が育む数々の高山植物は登山者を魅了してやまない。また秀麗な山容は、仰ぎ見る人々の心に触れ、古くから多くの文学・芸術作品にも登場してきた。地元出身の石川啄木宮沢賢治も愛した山である。
  • そうした貴重で美しい自然を守り、伝えているのが「岩手山地区パークボランティア連絡協議会」。現在32人がメンバーとなっている。活動は大きくふたつ。ひとつは、岩手山南麓にある網張(あみはり)ビジターセンター主催のイベントのサポート。そして、もうひとつが環境整備。
  • 会長を務める家子賢一さんは会の様子をこう話す。「活動参加は強制ではないのですが、メンバーが自然と集まってくれます。会で活動をする理由についての話になると、『健康のため』と口をそろえますよ(笑)。メンバーは高齢化してきていますが、元気で今の取り組みをこれからも継続していくことを大事だと考えています」
  • 無理なく、楽しみながら続ける活動が、「縁の下の力持ち」として大きな役割を果たしている。 

(2021-10-22 YAMAKEI ONLINE)

 

文豪も愛した美しい自然を守り・伝える。岩手山地区パークボランティア連絡協議会|日本山岳遺産の横顔 vol.11 YAMAYA - ヤマケイオンライン / 山と渓谷社

 

 

 

 

啄木と青森県野辺地町との縁について ④

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ハマナスの花のむこうに松林 水平線の続く陸奥湾のブルーが美しい

石川啄木と父、伯父 ―― 野辺地の縁 ④

「北の浜辺」とは 函館有力?野辺地説も

  • 「潮かをる 北の浜辺の砂山の かの浜薔薇(はまなす)よ 今年も咲けるや」。石川啄木の処女歌集「一握の砂」に収められているこの歌について、弘前市立郷土文学館の櫛引洋一企画研究専門官は「啄木がかつて浜辺を散策し、自然や海、ハマナスの美しさに心打たれたことを懐かしんでいる」と解説する。
  • 野辺地町愛宕公園にこの歌の歌碑があるほか、北海道函館市大森浜にある啄木小公園にもこの歌が刻まれている。では、北の浜辺は、野辺地町「十符ケ浦」と函館市大森浜」のどちらを指すのか。

 青森市の口語歌人・川崎むつをは野辺地説を主張。
 啄木の義弟・宮崎郁雨も函館説に疑問を呈す。
 国際啄木学会会長を務めた岩城之徳は函館追慕の情を叙したとみるべき。
 八戸高専教授などを務めた四辺俊一も函館説の立場。
 青森市の生協さくら病院の西脇巽名誉院長は「一般的には函館が有力と言われている。ただ、野辺地に行ったことは間違いないし、情景も一致している。否定する根拠はない。野辺地、函館両方だとしてもおかしくない」と語る。(兼平昌寛)

  *この連載は5回の予定です。

(2021-10-08 東奥日報

(つづく)

 

 

 

啄木と青森県野辺地町との縁について ③

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常光禅寺 葛原対月が住職をしていた寺で 啄木の父一禎が身を寄せていた。

石川啄木と父、伯父 ―― 野辺地の縁 ③

対月開山 和歌短冊も 天間山正洞院

  • 七戸町(旧天間村)の曹洞宗の寺院「天間山正洞院」は、石川啄木の伯父・葛原対月(かつらはらたいげつ)が1901年に布教所を造り、開山した。開山当時から、対月のおいで、養子となった2代目住職の葛原禅之(ぜんし)が正洞院での仕事をこなした。
  • 対月と啄木の母、禅之の母はきょうだい。啄木の父・一禎が渋民村の宝徳寺にいたころ、禅之が啄木らと一緒に暮らしていた時期もあったという。禅之の四男・四津男は本紙に「当時の印象を、禅之は『一(啄木)は、実に賢くて人なつこい。かわいい顔をした子だった』ともらしていた」と記している。
  • 現在の4代目住職・葛原隆男さんは対月について「盛岡の道場で剣道をやり、指南もしていた。和歌を詠んだり、茶道もしていたと聞いている」と話す。同寺には今も、対月が書いた和歌の短冊や写真などが多く残っている。
  • かつては啄木が禅之に宛てた手紙もあったが、47年の火事で燃えてしまったという。隆男さんは「大概は借金の申し込みだったようだ」と話す。禅之は啄木に関し「社会で言われているような反体制的な人間ではなかった」という話もしていたという。(兼平昌寛)

    *この連載は5回の予定です。

(2021-10-07 東奥日報

(つづく)

 

 

 

秋! 啄木の歌にちなんだ限定スタンプを集めましょう♪ 石川啄木記念館

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啄木スタンプラリー チラシ

石川啄木記念館

11/3(水・祝)文化の日限定「啄木スタンプラリー」 ※無料開放日※

開催日:令和3年11月3日(祝・水)

時間:9:00~16:30

場所:石川啄木記念館敷地内

料金:無料 ※当日はどなた様も無料でご入館いただけます※

定員:なし。※プレゼントはスタンプを3つ集めた先着30名様。

当館周辺もちょっとずつ秋めいてきました。芸術の秋、食欲の秋、スポーツの秋、様々な秋の一ページに当館もぜひいかがでしょうか。

さて、今年も文化の日恒例の「啄木スタンプラリー」を開催します!

記念館敷地内をめぐりながら啄木の歌にちなんだこの日限定のスタンプ3つを集めましょう♪先着30名様に当館職員手づくりの啄木キーホルダー(非売品)をプレゼントします。

(2021-10-17 石川啄木記念館)

 

11/3(水・祝)文化の日限定「啄木スタンプラリー」 ※無料開放日※- 石川啄木記念館

 

 

 

 

啄木と青森県野辺地町との縁について ②

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常光寺境内にある葛原対月の墓(前列右) 「前總持 當寺十六世佛禎對月大和尚 禅師」

石川啄木と父、伯父 —— 野辺地の縁 ②

旅の途中 心和らぐ 滞在30時間余

  • 野辺地町立歴史民俗資料館長などを歴任した高松鉄嗣郎は著書「啄木の父一禎と野辺地町」で、石川啄木の同町での滞在時間は合わせて「30時間余にすぎない」と推測している。
  • 最初に訪れた1904年は、啄木にとって初めての北海道訪問で、すぐ上の姉・トラが嫁いだ山本千三郎を訪ねる途中、野辺地町に寄っている。
  • この際、啄木は浜辺を散策している。弘前市立郷土文学館の櫛引洋一企画研究専門官は同町には啄木にとって引かれる存在だった海やハマナスがあることを挙げ「自然の風物に触れた良い時間だった。慌ただしい旅の途中でも心が和らぐひとときで、のんびりとした時間を過ごしたのだろう」とみる。
  • 続いて訪れたのは06年2月。最後の訪問は翌07年8月。函館市に新居を構えた啄木がカツを迎えに父母と対月がいる常光寺を訪ねた。
  • 対月や一禎にとっての野辺地とは。国際啄木学会評議員で、青森市の生協さくら病院の西脇巽名誉院長は「対月にとっては自分を住職として受け入れてくれた場所。一禎にとっては最後に頼れる恩師がいる場所。ただ、2人ともやはり本当は盛岡にずっといたかったのではないか」と話した。対月は盛岡で亡くなっている。(兼平昌寛)

   *この連載は5回の予定です。

(2021-10-06 東奥日報

(つづく)

 

 

 

 

穏やかで平和なスイーツ男子/石川啄木 アイドルグループメンバー

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サクラ

函館発偉人アイドルグループ《HAKOMEN》がデビュー!10月14日(木)にデビュー曲「君とHAKO☆DATE」MVを公開!

  • 北海道函館市は、本日10月14日(木)12:00より、デビュー曲「君とHAKO☆DATE」のミュージックビデオの公開をもちまして、函館発偉人アイドルグループ《HAKOMEN(ハコメン)》がデビューすることをお知らせいたします。
  • 函館市は新たな観光コンテンツとして、函館にゆかりのある歴史上の偉人をキャラクターにして結成させた二次元アイドルグループ《HAKOMEN(ハコメン)》を9月に発表しました。あなたの「推しメン」を見つけて《HAKOMEN(ハコメン)》を応援してください。
  • 《HAKOMEN(ハコメン)》とは? メンバーは、戊辰戦争最後の戦いである箱館戦争旧幕府軍として戦い、最期の地が函館となった新選組副長「土方歳三」、旧幕府軍を率いて土方と共に箱館戦争を戦った「榎本武揚」、戦いの拠点となった五稜郭を設計した「武田斐三郎」、鎖国時代の函館に黒船で来航したアメリカ海軍提督「ペリー」、函館をこよなく愛した天才歌人石川啄木」の5人です。中空土偶はプロデューサーとして彼らをサポートしていきます。

メンバー紹介

   ムードメーカーの切り込み隊長/土方歳三
   向上心が高いまとめ役/榎本武揚
   穏やかで平和なスイーツ男子/石川啄木
   明るくグルメな天然キャラ/ペリー
   包容力があるお兄さんキャラ/武田斐三郎

(2021-10-14 PR TIMES

 

函館発偉人アイドルグループ《HAKOMEN》がデビュー!10月14日(木)にデビュー曲「君とHAKO☆DATE」MVを公開!|函館市観光部のプレスリリース

 

 

 

 

「たはむれに 母を背負ひて…」の歌も この頃に生まれた

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コアカソ

乗りものニュース

下町の"狭隘"バス新路線 文京区「本郷・湯島ルート」運行開始 文豪が愛した坂は一方通行


東京都文京区のコミュニティバス「B-ぐる」が、2021年9月30日から新路線「本郷・湯島ルート」の運行を開始しました。

(2021-10-08 乗りものニュース

 

下町の"狭隘"バス新路線 文京区「本郷・湯島ルート」運行開始 文豪が愛した坂は一方通行 | 乗りものニュース

 

 

 

 

ZARD 坂井泉水の歌詞は啄木短歌から得ていたかもしれない

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ムクゲ

明治大学教養論集

啄木短歌とZARD坂井泉水の歌詞の考察

            池田 功

はじめに

  • 明治時代の文学者石川啄木1886年明治19年〜1911年・明治45年)と、昭和と平成の時代に歌詞を書きそれを歌った ZARD のボーカル坂井泉水(いずみ)(1967年・昭和42年〜2007年・平成19年)との間には、80年から90年ほどの時代的な隔たりがある。また男性と女性ということや、歌という定型文学に才能を発揮した啄木と、曲に合わせて歌う詞に才能を発揮した坂井との相違もある。

  • ところが坂井は ZARD のメンバーに、啄木短歌が好きで啄木の歌集『一握の砂』に胸を震わせ、「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ/花を買ひ来て/妻としたしむ」が特に好きだと語っている。そしてそれは、坂井の歌詞「君がいたから」に、「友達(ひと)が自分より偉く見えたよ」と、ほとんど同じような表現となっている。これ以外にも、明らかに啄木短歌に共鳴を受けて自らの歌詞に取り入れていると思われる言葉を数多く見つけることができる。

  • そこで本稿では、坂井の全歌詞を調べ啄木短歌の言葉とどのような類似性があるのかを調査したいと思う。

 

1 膨張としぼみの時代背景
2 類似する言葉たち
 (1)街・都市の風景
 (2)都市の通勤労働者哀歌
 (3)競争社会の中で生きる
 (4)鏡に映る自分
 (5)「明日」へ
 (6)懐かしい故郷
 (7)癒しとしての海と砂・砂浜
 (8)嬉しい時の口笛
 (9)キス
 (10)ポプラ
 (11)胸に残る言葉

  • 啄木短歌に「かの時に言ひそびれたる/大切の言葉は今も/胸にのこれど」がある。この歌は『一握の砂』の第四章「忘れがたき人人 二」にあり、この22首すべては啄木が函館弥生尋常小学校の代用教員をしていたときの同僚の訓導、橘智恵子に捧げられている。啄木と智恵子とは全く純粋な関係であり、啄木が上京してからは会うこともなく手紙のやりとりをしているだけである。岩城之徳は「大切な言葉」とは、「いうまでもなく愛の告白」であるとしている。

  • 一方、坂井の「遠い日の Nostalgia」には、「あの日言えなかった言葉は今も/この胸の中で眠っている/あの時もう少し勇気を出せば 君を失わずにすんだかも」とあり、言えなかった言葉が胸に残っているという部分は全く同じである。なお、 ZARD のプロデューサー長戸大幸が、ZARD の音楽の柱になったのは「平成に生きる昭和の女」であるという興味深いことを語っている。長戸によれば、平成に生きる「“昭和の女”とは、好きな男の夢のために身を引く女で」あるという。「主人公がいて、恋愛対象の男の子がいる。彼は、ちょっとはにかみ屋で、いつまでも少年の瞳を持ち続けて」いる。そのため女の子は「彼を応援し続ける」だけで、恋を打ち明けることができないのである。坂井が書く歌詞には、そういう主人公の女の子が多く、大ヒット曲となった「負けないで」も同じテーマになっていると語っているが、この「遠い日の Nostalgia」の歌詞にも似たようなところがある。

  
3 啄木短歌と坂井以外の歌謡曲の歌詞との類似性
石原裕次郎「錆びたナイフ」
谷村新司「昴」「群青」
大津美子倍賞千恵子「純愛の砂」
橋幸夫「孤独のブルース」

 

おわりに

 評論家・松岡正剛『うたかたの国 日本は歌でできている』

  • 「そもそも日本の歌は時や所を超えて継承されていくものだ。歌はもともと『うたた』するものなのだ。
  • 『うたた』というのは『転』という漢字をあてる。歌は転々と『うたた』をしていくものなのである。『うた』(歌・哥・咏)という言葉の成立が『うたた』から転じたという語源説もある。
  • 元歌や本歌を真似ながら、捻りながら、先送りしながら、歌は転々と『うたた』をまどろみつづけたのである。

 

  • 少なくとも今回の坂井泉水の歌詞にみられる類似性に関して、インスピレーションを啄木短歌から得ていたかもしれないと思うと、啄木研究者としては嬉しくなる。おそらく啄木が生きていたら、啄木もそんなふうに思ったのではないだろうか。

明治大学教養論集 通巻554号(2021・9)

「啄木短歌とZARD坂井泉水の歌詞の考察」

 池田 功(いけだ・いさお)明治大学政治経済学部教授

 

 

 

 

 

啄木と青森県野辺地町との縁について ①

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青森県野辺地町愛宕公園の石川啄木歌碑

石川啄木と父、伯父 ——野辺地の縁 ①

3度来町 没後に脚光 啄木の歌碑建立

  • 「潮かをる 北の浜辺の砂山の かの浜薔薇(はまなす)よ 今年も咲けるや」。野辺地町愛宕公園の中腹に、明治の歌人石川啄木の歌碑が立つ。啄木の没後50年を迎えた1962年に建立され、現在も町の観光スポットの一つになっている。
  • 啄木は3回、同町を訪れている。最初は04年9月29日。
  • 啄木と同町の関わりは深い。啄木の母・カツの兄に当たる葛原対月が1895年、盛岡の龍谷寺住職から野辺地の常光寺住職として転住。15年間滞在し、その間、父一禎が師僧である対月を慕って3年ほど身を寄せていた。啄木が野辺地を訪ねた3回とも対月が同寺住職を務めていた間。
  • 昭和30年代に入り、野辺地町と啄木との縁について話題が上り始め、1958年に同町初の「啄木会」が開かれた。61年に歌碑建設の会の創立総会が開かれた。
  • 町歴史を探る会の鈴木幹人会長は「歌碑建立には、啄木とのゆかりを大事にしようという野辺地の人たちの思いがあったのではないか」とみる。(兼平昌寛)

  *この連載は5回の予定です。

(2021-10-05 東奥日報

(つづく)