〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

古典講座 『一握の砂』『悲しき玩具』を中心に 3/20

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シダレウメ

古典講座 第6回

近代文学黎明期の文学者と語る

石川啄木~『一握の砂』『悲しき玩具』を中心に~」

講師 鈴木タキさん
日時 令和3年3月20日(土)午後1時30分~午後3時
会場 カダーレ3階「自然科学学習室2」
     秋田県由利本荘市中央図書館

由利本荘市中央図書館)


申込等詳細

https://www.city.yurihonjo.lg.jp/honjo/tosyo/chuo-koten2103.jpg

〈… その子、五歳になれり。〉子をうるさきものと思ふ啄木だが…

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チャペルのステンドグラス 藤城清治美術館 

談話室 山形新聞

  • 石川啄木の第2歌集「悲しき玩具」は肺結核のため26歳で没した2カ月後に刊行された。闘病から最期を迎えるまでの生活を詠んだ歌は、必然的に哀調を帯びる。ほほ笑ましいわが子の成長ぶりが題材だったとしても。
  • 例えばこうだ。〈病みて四月-/その間にも、猶(なお)、目に見えて、/わが子の背丈のびしかなしみ。〉。こんな歌にも寂寥(せきりょう)感が漂う。〈いつも子を/うるさきものに思ひゐし間に、/その子、五歳になれり。〉。子を疎んじていたことを悔いても、自身に残された時は少ない。
  • そのような状況で幼子の愛らしさに改めて気付いたのであろうか。〈五歳になる子に、何故(なぜ)ともなく、/ソニヤといふ露西亜名(ろしあな)をつけて、/呼びてはよろこぶ。〉。幼児の笑顔は親をも無邪気にさせる力がある。福岡県篠栗町で餓死した5歳男児も本来はそうだったはずだ。

(2021-03-04 山形新聞

 

談話室|山形新聞

啄木のエッセイからのメッセージを3件…

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ひなまつり

岩手経済研究 2021年2月号

[巻頭言]

啄木からのメッセージ

   石川啄木記念館館長 森 義 真

はじめに

  • 今年(2021年)は郷土の先人・石川啄木が亡くなって109年になる。啄木の作品は作られてから100年以上も経つが、今でも新聞の一面コラムなどに、短歌や評論の一節が引用されて、現代の世相について、コラム子の見解が述べられることが多い。そうしたことは、いわゆる三大紙のみならず、経済紙や地方紙でも時折り見受けられる。
  • 例えば、「はたらけどはたらけど猶(なお)わがくらし楽にならざりぢつと手を見る」という短歌を糸口に、現代の若者に多い非正規労働による貧困、ワーキング・プアの現状を分析し、それを打破するための提案がなされたりする。
  • この他にも、啄木からのメッセージがコラムなどに反映される例は多く、啄木の場合には短歌や評論の他にも、詩、小説、日記、手紙などからの引用例がある。この稿では、エッセイ「一握の砂」からのメッセージを3件、述べたい。

  「高きを見給へ」
  「爾の立つ所を深く掘れ」
  「林中の譚(たん)」

*詳細は下のリンクへ
(2021-03-02 keizai report.com)

 

https://www.iwatekeizai.org/files/research/2021/kantou_202102.pdf

一葉・啄木・賢治の住んだ「菊坂」と明暦の大火

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カワヅザクラ

江戸を焼き尽くした「明暦の大火」はなぜ起こった? ヒントは文京区本郷の特殊な地形にあるのかもしれない

 本郷三丁目交差点近くにある「菊坂」と明暦の大火の関係について、地形散歩ライターの内田宗治さんが考察します。

  • 江戸の町に80日以上雨が降らず、寒空のなか、町が乾燥しきっていたときに起きた大惨事があります。今からちょうど364年前、明暦3年1月18日(新暦では1657年3月2日)に発生した明暦の大火です。この大火事では、江戸の町の約6割が焼け、死者は数万人から10万人と推定されています。
  • 火元は3か所とされていますが、そのうちのひとつ、最初に出火したのが本郷(文京区)の菊坂にあった本妙寺です。明治・大正時代では、樋口一葉石川啄木宮沢賢治が、菊坂周辺に住んでいました。一葉が使っていたという井戸や彼女が通った質屋(建物が現存)、啄木や賢治の下宿跡など、文学散歩スポットや下町的風情の地が点在し、それらを散策する人の姿もよくみかけます。
  • 菊坂周辺を歩いてみると、一葉の住宅も賢治の下宿も、菊坂下通り沿いにあることが分かります。啄木が下宿していた赤心館や蓋平館(がいへいかん)も、菊坂下通りではありませんが、近くの崖下付近に立地しています(案内板がある地からの推定)。
  • 蓋平館で啄木は木造3階建ての3階に住み、富士山が見えたといいますが、広さは3畳半でした。3人とも肺を病んで短命(肺結核などに罹患)だったことにもつい思いをはせてしまいます。

(2021-03-02 urban life metro)

 

江戸を焼き尽くした「明暦の大火」はなぜ起こった? ヒントは文京区本郷の特殊な地形にあるのかもしれない | アーバン ライフ メトロ - URBAN LIFE METRO - ULM

啄木が 玉置照信作「少女の絵」を評価したのはなぜ?

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カワヅザクラ

骨董漫遊

【26】石川啄木の日記 その二 絵を評価した理由とは

  • 京都の骨董(こっとう)祭で、初恋の人に似た少女の絵を購入した私は、絵のサインの「T・TAMAKI」なる人物について調べた。「美術年鑑」などから、和歌山市出身の玉置(たまき)照信と推定した。
  • さて、前回の原稿で紹介した石川啄木の日記に記されている少女の絵は、私が所有する絵だったのか-。
  • 玉置の地元の和歌山県立近代美術館に写真を送り、問い合わせた。玉置の絵を数枚、所有するが、彼に関する調査は進んでいないとのことだった。ただ、「絵柄から可能性は十分にある」との返信をいただいた。
  • 啄木は玉置らの作品について、日記に「色彩の使い方如何(いかが)はしく旧派に属す」と記している。明治期の西洋画における「旧派」とは、褐色調の暗い画面が特徴的な作品を意味する。玉置が学んだ黒田清輝は、フランス印象派の影響を受けた「新派」を代表する画家だったが、啄木の目には「旧派」と映ったようだ。
  • それにしても、啄木が少女の絵を「やや見るべし」と評価したのはなぜか。もしかして私と同じ理由? つまり、好きな女性(後の妻節子)と似ていたから…。単なる臆測である。

 (骨董愛好家、神戸新聞厚生事業団専務理事)
(2021-03-01 神戸新聞

 

神戸新聞NEXT|連載・特集|骨董漫遊|【26】石川啄木の日記 その二 絵を評価した理由とは

「見よ、今日も、かの蒼空に 飛行機の高く飛べるを」啄木の感動

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会式一号飛行機(1911)原寸大レプリカ

[日本初の国産軍用機] 明治44年、徳川好敏大尉の設計・製作により日本で初めて作られた。この前年に代々木練兵場で日本での初飛行に成功した「アンリ・ファルマン機」を参考にして製作。(所沢航空発祥記念館にて撮影)

高く飛べるを 岩手もりおか航空史①
 空の黎明に啄木感動 愛橘の働きで東大研究所

 今年は1910(明治43)年に日本に飛行機が登場して111年目。この間、岩手県人がわが国の航空界に大きな足跡を残している。71(昭和46)年7月には雫石町全日空機と自衛隊機が衝突し当時、世界最大の航空機事故から50年目にあたる。空の安全と発展のために岩手、盛岡から日本の航空史を見てみよう。(鎌田大介)=毎月1回連載します。

  • 晩年の石川啄木は、日本の空の黎明に大きな感動を覚えていた。1911(明治44)年に名詩「飛行機」を書き、「見よ、今日も、かの蒼空に 飛行機の高く飛べるを」と当時の文明の最先端に憧れた。その年4月2日の啄木の日記には「新聞には花の噂と飛行機の話が出ていた」とあり、歌人の好奇をうかがわせる。
  • 1910年12月19日、東京の代々木練兵場で陸軍の徳川好敏と日野熊蔵の両大尉がわが国初飛行に成功。機体はフランス製「アンリ・ファルマン」とドイツ製「グラーデ」。2人は臨時軍用気球研究会の委員だった。日本の航空界は、この研究会を母体に生まれた。
  • 二戸市出身で、盛岡の藩校に学んだ東大教授の田中舘愛橘はいち早く航空の可能性に目覚めていた。東京の第一高校でグライダーの試験飛行も行い、当時、校長の新渡戸稲造も立ち合った。愛橘は佐々木信綱に学んだ歌人でもあった。「富士の山 あおぎ見ればあま雲のたゆるあたりに飛行機の見ゆ」。盛岡中学時代の啄木の恩師、冨田小一郎とも交わった。

(2021-02-27 盛岡タイムス)

 

高く飛べるを 岩手もりおか航空史① 空の黎明に啄木感動 愛橘の働きで東大研究所 | 盛岡タイムス Web News

函館野外劇 「土方歳三」「石川啄木」役などを募集中

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ひなまつり

函館野外劇、出演者を募集 3月14日にオーディション 12日締め切り

  • NPO法人市民創作「函館野外劇」の会は今夏の公演の出演者を募集している。メインキャストのオーディションを3月14日午後2時から五稜郭桜交流ハウス(函館市五稜郭町)で行う。
  • 募集するのは「土方歳三」や「石川啄木」などせりふがあり、事前に演技の練習が必要な14役。

(2021-02-26 北海道新聞

 

函館野外劇、出演者を募集 3月14日にオーディション 12日締め切り:北海道新聞 どうしん電子版



「FMくしろ」釧路の啄木歌碑巡り 他

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カワヅザクラ

FMくしろ

「釧路歴史探訪」一覧

*啄木歌碑吟行

2021/2/8 釧路歴史探訪

釧路市内に啄木歌碑が28基あります。設置されてある歌碑を巡り、生涯学習資源に活用してみましょう。


*啄木「西の空」碑

2021/2/1 釧路歴史探訪

釧路市に「休坂」があります。そこに立つ碑を紹介します。


*啄木「浪淘沙」碑

2021/1/25 釧路歴史探訪

わが釧路市には数多くの歌碑があります。市内の碑をめぐり歩くツアーです。

(「釧路歴史探訪」FMくしろ

 

FMくしろ」の上記番組が聴けます

釧路歴史探訪 | FMくしろ

『句集 偶詠』ご希望の方 どうぞ

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(帯) 著者自選十二句

錦が丘在住・小木田さん 俳句歴30年分の思いを一冊に 「分かりやすく余韻残る」350点収録

  • 横浜市港北区内在住で、俳句団体の代表も務める小木田久富さん(77)が、俳句人生約30年の中から選りすぐりの作品を収録した『句集 偶詠』(鋭文社)を昨年12月に上梓した。
  • 誰にでもわかりやすく、かつ読んだ人の心に余韻が残る俳句という意味の「平明にして余韻のある句」を掲げてきた小木田さん。
  • 小木田さんは小学生時代の担任の影響から元々短歌を詠んでいたが、国際啄木学会の会員だった知人から俳句を勧められたことを機に5・7・5の世界へ。もう一つのきっかけは、当時15歳だった息子の死。「どこかに思いを吐き出さないとやり切れなくて。俳句に思いをしたためた」。
  • 自費出版のため店頭販売はしていないが、50冊ほど在庫があり「ご希望の方にはお譲りします」と小木田さん。希望者はメール(件名を「句集 偶詠希望」とする)、または電話で問い合わせを。

* 小木田さん[メール]ogita@fc.netyou.jp[電話]045・433・5553

 

・『偶詠』 小木田 久富 著

・発行所 鋭文社 発行 令和2年12月20日

 

【Web限定記事】錦が丘在住・小木田さん 俳句歴30年分の思いを一冊に 「分かりやすく余韻残る」350点収録 | 港北区 | タウンニュース

「啄木ゆかりの地めぐり」盛岡てがみ館 〜5/24

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ウメ

企画展「啄木ゆかりの地めぐり」盛岡市

  • 盛岡市出身の歌人石川啄木の生涯を、ゆかりの土地とともに紹介する展示会が開かれています。会場の盛岡てがみ館では、啄木にまつわる写真や手紙117点が盛岡・東京・北海道と過ごした土地ごとに展示されています。
  • 1902年、16歳で上京した啄木は、駅を見て歌集・一握の砂に収められている「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」を詠んだとされています。

 *展示会は5月24日まで。

(2021-02-23 岩手朝日テレビ

 

動画あり

県内ニュース | IAT岩手朝日テレビ