啄木の息

─ いまもなお瑞々しく語りかけてくる啄木の魅力を追い その息づかいに触れてみたい ─

釧路 啄木22歳の新聞記者時代 - 心ときめく76日間 <8>

 ◎啄木文学散歩・もくじ https://takuboku-no-iki.hatenablog.com/entries/2017/01/02

 

釧路 啄木22歳の新聞記者時代 - 心ときめく76日間 <8>

  • 「啄木の息HP 2006年夏」からの再掲 + 2018年夏 )
  • 写真について 撮影年が記されていないものは2006年撮影
  • 「1~25」のナンバーは、「くしろウォーキングまっぷ・石川啄木文学コース」(釧路観光協会 平成16年9月発行)による。また、2018年釧路文学館編集の「啄木歌碑・記念碑マップ」も全て同じ順序で並んでいる。

 

19 米町一丁目

f:id:takuboku_no_iki:20181019061254j:plain

ふるさとふれあい
街並み整備事業の歌碑

 

f:id:takuboku_no_iki:20181019061420j:plain


出しぬけの女の笑ひ


身に沁みき


厨に酒の凍る真夜中


 所在地 釧路市米町1-1先


 建立  1991年(平成3)12月24日

 

 
20 浦見八丁目(1)

f:id:takuboku_no_iki:20181019061442j:plain

ふるさとふれあい
街並み整備事業の歌碑

 

f:id:takuboku_no_iki:20181019061501j:plain

 

よりそひて


深夜の雪の中に立つ


女の右手のあたたかさかな


 所在地 釧路市浦見8-2先


 建立  1991年(平成3)11月18日 

 

 

釧路時代の啄木については映画やラジオとか有名無名作家の釧路紀行文に屡々描かれてはいますが、案外に的外れのものが多くて何時も失望ばかりして居ります。(中略)
余り有名になった人には誰でも縁故を主張するものでしょうが、私と石川さんのお交際(つきあい)は第三者が考えるよりも淡々としたもので、何と云いましょうか丁度女学生と文学の教師が特別親しく往来が在った位と推量して頂けば本当のところです。(中略)
自作の歌を一首御披露して結びます。

 六十路すぎ


 十九の頃を泌々と


 君が歌集に偲ぶ思い出

(「文藝 石川啄木読本」昭和30年発行『私の知っている啄木』近江じん(=小奴))


 
 交差点角に寄り添って立つ石二つ。歩道も車道も広く建物は低い。このあたり一帯が静かで広々としている。

 

 

f:id:takuboku_no_iki:20181019061553j:plain

釧路文学館 石川啄木来釧110周年記念展示(2018年)(チラシ)

 「啄木とさいはての女たち」 

 

関連イベント(これから開催されるもののみ)

◎ 2018年11月10日(土)13:30〜 会場 釧路文学館

講演「(仮)高田松原歌碑拓本について」

 安部孝氏(書道家)が東日本大震災津波に遭った啄木碑について詳しく解説

◎ 2018年11月18日(日)13:00〜 会場 釧路文学館

朗読会

 朗読グループ名優座「明治四十一年戊申日誌」石川啄木全集第5巻日記 I より抜粋

 
21 浦見八丁目(2)

f:id:takuboku_no_iki:20181019061620j:plain

ふるさとふれあい
街並み整備事業の歌碑

 

「しゃも寅の井戸」の半丸形の石が右に見える。
石の前を右に曲がるとすぐに「井戸」がある。

 

 

f:id:takuboku_no_iki:20181019061639j:plain

 

葡萄色の


古き手帳にのこりたる


かの會合の時と處かな


 所在地 釧路市浦見8-2先


 建立  1990年(平成2)11月8日
 

 

【歌意】えび色の古い手帳に残っている、彼女との人目を忍ぶあいびきの時と処であることよ。
【観賞】初出「東京朝日新聞明治43年5月7日号。「手帳の中より」五首中の一首。紅燈の巷に出入りした釧路時代の思い出を歌ったもの。「會合の時と處」になまめかしい女たちとの過去の思い出が走馬燈のように浮かび上がる。啄木が「釧路新聞」に連載した「紅筆だより」はこのあいびきの思い出の背景となる釧路花界の動静を伝えて興味深い。
(「石川啄木必携」 岩城之徳・編)

 

22 料亭しゃも寅跡

f:id:takuboku_no_iki:20181019062254j:plain

 

料亭しゃも寅跡近くの道


啄木は、この「しゃも寅」と、百米ほど離れた「喜望楼」と、そのすぐ隣りの「鹿島屋」というふうに、狭い地域を中心に行動していたようである。よく云われるが、近くにある“しゃも寅の井戸”は、この料理屋の構内にあった昔からの自然噴井戸である。
(「石川啄木-その釧路時代」鳥居省三)

 

 

f:id:takuboku_no_iki:20181019062312j:plain


火をしたふ蟲のごとくに


ともしびの明るき家に


かよひ慣れにき


 所在地 釧路市浦見8-2 料亭しゃも寅跡


 建立  1983年(昭和58)8月5日

 

f:id:takuboku_no_iki:20181019062328j:plain


しゃも寅の井戸

 


喜望楼は釧路で一、二の料亭で、啄木もよく出入りしたところ。しゃも寅は小奴がいたことで知られる料亭で、酔った啄木がそこの水を飲んで酔いをさましたという。“しゃも寅の井戸”には、今も冷水が湧き出している。
(「啄木文学碑紀行」浅沼秀政)

 

 
 

 

「しゃも寅の井戸、がけ地の補修工事へ」
かつて釧路の名水で知られ、石川啄木ともゆかりが深い市内浦見八の「しゃも寅(とら)の井戸」について、釧路市は新年度、周辺のがけ地の補修工事を行う。同井戸は、水質の悪化で人気が薄れているが、周辺の環境を整備することで、観光スポットとしての復権が期待されている。
(2001年 釧路・根室の出来事(今日のニュース)釧路新聞WEb )

 

 


23 浦見8丁目

f:id:takuboku_no_iki:20181019062350j:plain

ふるさとふれあい
街並み整備事業の歌碑


舟見坂を上り 臨港鉄道住宅の脇に建つ碑。
後ろに広がる海とクレーンが印象的。

 

 

f:id:takuboku_no_iki:20181019062406j:plain

 

波もなき二月の湾に


白塗の


外國船が低く浮かべり


 所在地 釧路市浦見8-1先


 建立  1992年(平成4)12月14日


周辺には夏草の緑に仄赤い穂がつき、歌碑の色とよく映っていた。

 

(つづく)

 

「啄木を故郷に帰せ !!!」全国初の啄木歌碑を建立した人々 ~1/20

f:id:takuboku_no_iki:20181019161611j:plain

[ハゼ]

啄木歌碑、礎の物語 盛岡で企画展、建立に焦点

  • 盛岡市渋民の石川啄木記念館(森義真館長)は、企画展「啄木第一号歌碑建立物語~無名青年たちの奮闘」を開いている。啄木の魂を故郷に」と渋民村に全国初の啄木歌碑を建立し、現在まで守り継いできた人々に焦点を当て、その意義を伝える。
  • 現在同館近くの渋民公園にある歌碑は、啄木没後10年の1922(大正11)年建立。「やはらかに柳あをめる 北上の岸邊目に見ゆ 泣けとごとくに」の歌が刻まれ、全国180基超の啄木歌碑第一号として知られる。
  • 建立への道筋は、啄木作品を高く評価していた作家江馬修(なかし)が20(同9)年、「岩手に啄木の歌碑を建てては」と発案したことから始まった。翌21(同10)年に東京、続いて盛岡に「啄木会」が結成され、運動は一気に加速。宮沢賢治や深沢省三さんらも名を連ねた。
  • 企画展は3章構成。「啄木を故郷に帰せ !!!」とうたう起草文や、資金集めのために開かれた講演会のチラシは当時の熱気を物語っている。
  • 碑に使われた石も、地元住民が寄付したもの。姫神山の麓から切り出された高さ約5m、重さ約13トンの巨大な花こう岩は、地元青年団消防団を中心に約200人余が集まって人力で運んだ。運搬時や除幕式の写真には多くの村民が写り、地元を挙げて建立に突き進んだ様子を伝える。来年1月20日まで。

(2018-10-19 岩手日報

啄木歌碑、礎の物語 盛岡で企画展、建立に焦点 | IWATE NIPPO 岩手日報

「啄木歌碑建立の背景」講演会 10/21

f:id:takuboku_no_iki:20180924155338j:plain

第10回企画展関連講演会「啄木歌碑建立の背景」

• 開催日時 平成30年10月21日(日)13:30~15:00
• 場所 渋民公民館 2階大会議室
• 講師 当館 主任学芸員 佐々木裕貴子

  • 大正11年4月13日、啄木の故郷・岩手の渋民村に全国で最初に建てられた「啄木第一号歌碑」。
今もなお多くの啄木ファンが訪れるこの歌碑の建立の背景には、多くの人々の尽力がありました。
「啄木第一号歌碑」建立の背景や意義に迫ります。
  • お申込み・受付方法 当日直接会場にお越しください。

「明星」から「スバル」 啄木との関係を考察 東京セミナー

f:id:takuboku_no_iki:20181018144550j:plain

[ハゼ]


啄木と文芸環境考察

 国際啄木学会 東京セミナー

  • 国際啄木学会(会長・池田功明治大教授)は14日、東京都千代田区の明治大で2018年東京セミナーを開いた。明星研究会との共催で、文芸誌「明星」終刊から「スバル」創刊にかけての環境の変化や、取り巻く人々と啄木の関係を考察した。研究者や啄木愛好家ら全国の約80人が参加。
  • 与謝野晶子研究に取り組む松平盟子さん(歌人、プチ★モンド代表)は「『スバル時代』は晶子が大変転をしていく重要な時期」と指摘。かねてから晶子に特別な親近感を抱いていた啄木が、日記に「作家を職業とする女の風になつた!」とつづっていることを紹介した。
  • 丸井重孝さん(歌人、木下杢太郎記念館)は、一時啄木と疎遠になっていた医師で文学者の木下杢太郎が、大逆事件を契機に再び交流をもったことに着目。社会的なことに興味が薄かった杢太郎に、啄木が影響を与えたと論じた。
  • 森鴎外についての著書がある滝本和成さん(立命館大教授)は「鴎外と啄木の小説は、これから考察されるべき課題。自己認識の違いから、啄木の自己凝視のあり方が見えてくる」と提起。
  • 河野有時さん(都立産業技術高専教授)は「明星を発行していた新詩社は『スバルは機関誌ではない』としている。明星とスバルを論じる上で、新詩社の位置をどう置くかが課題」と指摘した。(学芸部・佐藤瑛子)

(2018-10-17 岩手日報

釧路 啄木22歳の新聞記者時代 - 心ときめく76日間 <7>

 ◎啄木文学散歩・もくじ https://takuboku-no-iki.hatenablog.com/entries/2017/01/02

 

釧路 啄木22歳の新聞記者時代 - 心ときめく76日間 <7>

  • 「啄木の息HP 2006年夏」からの再掲 + 2018年夏 )
  • 写真について 撮影年が記されていないものは2006年撮影
  • 「1~25」のナンバーは、「くしろウォーキングまっぷ・石川啄木文学コース」(釧路観光協会 平成16年9月発行)による。また、2018年釧路文学館編集の「啄木歌碑・記念碑マップ」も全て同じ順序で並んでいる。

 

15 米町四丁目

f:id:takuboku_no_iki:20181014161045j:plain

ふるさとふれあい
街並み整備事業の歌碑


 バス「弁天ヶ浜」の終点。釧路市の啄木歌碑のなかで、釧路駅から一番遠い場所にある。「たくぼくバス」が、ちょうど出発待ちをしていた。写真の中央やや左寄りのこんもりとした緑の中に、歌碑がある。その左の黄色と黒の標識は釧路臨港鉄道の踏切。

 

f:id:takuboku_no_iki:20181014161103j:plain

さらさらと氷の屑が


波に鳴る


磯の月夜のゆきかへりかな


 所在地 釧路市米町4-8先


 建立  1990年(平成2)11月22日
  
 この釧路臨港鉄道の踏切を越えると、写真にも薄く写っている海が広がる。テトラポットが続き、砂浜には昆布取りの人影があった。

 


16 弥生二丁目

f:id:takuboku_no_iki:20181014161134j:plain

ふるさとふれあい
街並み整備事業の歌碑

 

f:id:takuboku_no_iki:20181014161153j:plain


花の下たもとほる子は

行きずりの

袖の香りに物言はせけり


 所在地 釧路市米町4-1先


 建立  1990年(平成2)11月22日

 「ふるさとふれあい街並み整備事業の歌碑」十基は、米町公園近くから始まり弁天ヶ浜、本行寺、しゃも寅の井戸あたりをぐるっと廻って点在していた。

 通りは車も少なく、静かな住宅やお寺が続いていた。また、歌碑の石はどれもよく選ばれていて、色や文様や形が楽しめた。

 

17 米町三丁目

f:id:takuboku_no_iki:20181014161402j:plain

ふるさとふれあい
街並み整備事業の歌碑

 

f:id:takuboku_no_iki:20181014161450j:plain


酒のめば悲しみ一時に湧き来るを


寐て夢みぬを


うれしとはせし

 

 所在地 釧路市米町3-1先


 建立  1990年(平成2)11月22日


18 本行寺

f:id:takuboku_no_iki:20181014161511j:plain

本行寺山門の啄木歌碑

 

 この歌碑は、石川啄木が本行寺での歌留多会に出席したのを記念して建立された。

 

 

f:id:takuboku_no_iki:20181014161536j:plain

 

一輪の赤き薔薇の花を見て

火の息すなる

唇をこそ思へ

 

 所在地 釧路市弥生2-11-22 本行寺門前


 建立  1983年(昭和58)8月5日


  
……釧路座の慈善演劇へ行つた。昨夜よりは見上げる許り上手に演つて居る。同じ桟敷に本行寺といふ真宗の寺の奥様が娘の三尺ハイカラと一緒に居たが、釧路病院の俣野君や太田君も来合せて仲々賑やかであつた。娘の手は温かであつた。帰りは午前一時半。
(明治41.2.11 啄木日記)

 

 

f:id:takuboku_no_iki:20181014161618j:plain

啄木通信の展示

 

本行寺と石川啄木


 啄木は、『明治41年日誌』の3月31日の頃に、「本行寺の歌留多会へ衣川と二人で行ってみたが、目がチラチラして居て、駄目であった」と記しています。
 実は啄木の日誌に、本行寺の名がそれ以前にも出てきています。 それは2月11日のところです。
 この日、啄木は釧路座というところに慈善演劇を観にゆき、本行寺の奥様(伊藤よしえ)とその娘である「三尺ハイカラ」、すなはち本名・小菅マツに会った、というくだりです。この観劇の席で、三尺ハイカラは啄木に手をにぎられ、彼女は啄木に恋心を抱くのですが、その恋は実らなかったとされています。(「本行寺」パンフレット)

 

f:id:takuboku_no_iki:20181014161637j:plain

本行寺20分の1の模型

 
左壁には啄木一人百首の木製かるたが並ぶ。
その右奥の書棚が啄木関係文献になっている。

 


歌留多寺
 第五世菅原弌也住職は、若いころから啄木の歌に親しみをもっていました。このため啄木関係文献を収集して開放していました。そこへ啄木が本行寺での「歌留多会へ行ってみた」という日記の記載。開基住職・伊藤浄栄師ゆかりの人が啄木と出会い、その啄木が本行寺本堂で百人一首カルタ に興じたことに深い因縁を思い、弌也住職は「啄木ゆかりの歌留多寺」を名乗ることを発案しました。
 歌留多寺は本行寺の歴史の一面、歌留多寺の異称によって本行寺を啄木並びに啄木作品を研究・鑑賞、顕彰する拠点のひとつに位置づけようとしたものです。(「本行寺」パンフレット) 

 


啄木一人百首
 本行寺が歌人としての啄木らしさを世に問うものとして試みたのが、生涯を通じて4100首余といわれる作歌のなかから100首を選び、「一人百首」の木製カルタを作ったもので、全国にも例のない貴重なものです。(「本行寺」パンフレット) 

 

 

啄木資料館

 

f:id:takuboku_no_iki:20181014161704j:plain

啄木も参加したカルタ会の復元模型

 
左手前の人物が啄木だと思われる。


 弌也住職が年来、収集してきた啄木関係文献が300点に達したこともあり、昭和61年9月10日、啄木の生誕百年を記念して本 堂の一隅に「啄木資料館」が開設されました。この時、中心となった資料は・啄木資料、啄木関係文献、・啄木一人百首一式、・啄木グッズの簡単なものでし た。
 しかし、平成元年4月13日に啄木が参加したカルタ会の行われた本堂の20分の1の復元模型が展示され、資料館らしくなりました。さらに、平成4年7月に展示全体の改修を行い、「啄木の釧路時代」を中心にした展示情報の一新をはかりました。(「本行寺」パンフレット) 

 

 

f:id:takuboku_no_iki:20181014161721j:plain

啄木顕彰展示室への階段入口

 


 本堂2階の大広間に「啄木顕彰展示室」を増設し、市内にある啄木歌碑の拓本を中心とした展示を行っています。釧路時代の啄木と関わった人たちの資料も、展覧することができます。
(「本行寺」パンフレット)

 

 

f:id:takuboku_no_iki:20181014161817j:plain

「啄木顕彰展示室」2階の大広間   


小菅まさえ


 釧路の「本行寺という真宗の寺の娘」で「背の極めて低い」「東京に行って居たといふのが自慢」なところから「三尺ハイカ ラと綽名され」ていた女性。芝居で同じ桟敷に隣り合わせた啄木を気に入って、何度も訪ねてきたり、啄木への思いを公言してはばからない彼女を、啄木は「獣 の如き餓ゑたる目をした女」と言う。
(「忘れな草 啄木の女性たち」山下多恵子 盛岡タイムス2002.02.20~2004.06.16 「啄木の息」掲載文より)

 


 本行寺の娘「小菅まさえ」は、啄木にひどい紹介のされ方をしている。しかし、本行寺は歌留多寺として、啄木ゆかりの品々を集めて訪れる人に開放した。二階の啄木顕彰室へは、特殊なドアを開けて階段を上っていく。拓本や写真などを自由に見ることができる。啄木関係書籍も豊富で、他の資料もゆっくり見られた。
 啄木がカルタを取った頃の本行寺模型の中では、娘たちや啄木ら若者の木製人形が賑やかに札を拾っていた。

 

 

(つづく)

釧路 啄木22歳の新聞記者時代 - 心ときめく76日間 <6>

 ◎啄木文学散歩・もくじ https://takuboku-no-iki.hatenablog.com/entries/2017/01/02

 

釧路 啄木22歳の新聞記者時代 - 心ときめく76日間 <6>

  • 「啄木の息HP 2006年夏」からの再掲 + 2018年夏 )
  • 写真について 撮影年が記されていないものは2006年撮影
  • 「1~25」のナンバーは、「くしろウォーキングまっぷ・石川啄木文学コース」(釧路観光協会 平成16年9月発行)による。また、2018年釧路文学館編集の「啄木歌碑・記念碑マップ」も全て同じ順序で並んでいる。

 

11 南大通八丁目

f:id:takuboku_no_iki:20181013145234j:plain

“くしろ・歴史の散歩道”の歌碑

 

f:id:takuboku_no_iki:20181013145257j:plain

三味線の絃のきれしを
火事のごと騒ぐ子ありき
大雪の夜に
 
 所在地 釧路市南大通7-2
 建立  1993年(平成5)3月10日


「三味線の絃」の切れたこと、「火事のごと」、「騒ぐ子」、「大雪の夜」のそれぞれの歌語が複合して不気味なイメージを合成していることである。形容として用いられた「火事のごと」が「大雪の夜」の雪明りの中に噴き上げる焔を幻視させる効をあげていて、「騒ぐ子」(芸妓か)の内面の光景をもいろいろに想像させるのである。
(「石川啄木歌集全歌鑑賞」上田博)

 

 

市子(いちこ)= 大和いつ


 市子は、釧路の芸妓小奴と並ぶ花柳界の人気者で、1908年(明治41)当時17歳。市子の無邪気な言葉やふるまいは、時に啄木の微笑を誘ったであろう。市子とふれあうひとときは、心なごむものであったに違いない。
 啄木の市子への眼差しは、歌中「騒ぐ子」の「子」の語に表れているように思われる。釧路で親交のあった女性たちが、みな「女」と歌われるのに対し、市子のみが「子」となっているのは、偶然ではあるまい。
(「忘れな草 啄木の女性たち」山下多恵子 盛岡タイムス2002.02.20~2004.06.16 「啄木の息」掲載文より)

 


12 米町公園

f:id:takuboku_no_iki:20181013145344j:plain
港を背に堂々と

 


「全国の啄木碑」2006年(北畠立朴)によれば
渋民啄木公園内の第1号歌碑から数えて
全国6番目。釧路では最初の建立である。

 


 十二時半頃、小奴は、送つて行くと云ふので出た。菊池とは裏門で別れた。何かは知らず身体がフラフラする。高足駄を穿いて、 雪路の悪さ。手を取合つて、埠頭の辺の浜へ出た。月が淡く又明かに、雲間から照す。雪の上に引上げた小舟の縁に凭れて二人は海を見た。少しく浪が立つて居る。ザザーッと云ふ浪の音。幽かに千鳥の声を聴く。ウソ寒い風が潮の香を吹いて耳を掠める。
 奴は色々と身の上の話をした。十六で芸者になつて、間もなく或薬局生に迫られて、小供心の埒もなく末の約束をした事、それは帯広でであつた。渡辺の家に生れて坪に貰はれた事、坪の養母の貧婪な事、己が名儀の漁場と屋敷を其養母に与へた事、嘗て其養母から、月々金を送らぬとて警察へ説諭願を出された事、函館で或る人の囲者となつて居た事。釧路へ帰つてくる船の中で今の鶤寅の女将と知つた事。そして、来年二十歳になつたら必ず芸者をやめるといふ事。今使つて居る婆さんの家は昔釧路一の富豪であつた事。一緒に居るぽんたの吝な事、彼を自分の家に置いた原因の事。
 月の影に波の音。噫忘られぬ港の景色ではあつた。“妹になれ”と自分は云つた。“なります”と小奴は無造作に答へた。“何日までも忘れないで頂戴。何処かへ行く時は屹度前以て知らして頂戴、ネ”と云つて舷を離れた。歩き乍ら、妻子が遠からず来る事を話した所が、非常に喜んで、 来たら必ず遊びにゆくから仲よくさして呉れと云つた。郵便局の前まで来て別れた。
(明治41.3.20 啄木日記)  

 

f:id:takuboku_no_iki:20181013145423j:plain

 

しらしらと氷かがやき


千鳥なく


釧路の海の冬の月かな


 所在地 釧路市米町1-2 米町公園内


 建立  1934年(昭和9)12月26日

 

 

石川定氏が丹念に考証した啄木の歌稿のなかには


冬の磯氷れる砂をふみゆけば千鳥なくなり月落つる時


釧路潟千鳥なくなる夜の波の此月影を忘れずと言へ


月のぼり海しらじらとかがやきて千鳥来啼きぬ夜の磯ゆけば


などの作品のように、いま知人岬米町公園に建っている啄木歌碑「しらしらと氷かがやき千鳥なく釧路の海の冬の月かな」という歌の原型のようなものを発見することができる。
(「石川啄木 -その釧路時代- 」鳥居省三)

 

 

f:id:takuboku_no_iki:20181013145617j:plain


米町公園から見下ろす釧路重工業と港

 

中央の建物に“釧路重工業”の文字が見える。

 


知人海岸跡(知人町一丁目)


 米町公園啄木歌碑のある岡の北側下で、(中略)啄木はこの海岸を、小奴や梅川操らと月の夜に散歩した。
 現在の釧路重工業作業場及び倉庫の附近で草叢が茂っているが、何となく往時の砂浜を想像することができる。
(「石川啄木-その釧路時代」鳥居省三)

 

 

f:id:takuboku_no_iki:20181013145511j:plain

「元町MAP」(くしろ元町青年団 発行 2018年7月)

 

釧路発祥の地・くしろ元町をたのしむお散歩マップ。

米町公園・知人海岸など、石川啄木も昔デートしていた有名スポットなどもある。

 


13 米町二丁目

 

f:id:takuboku_no_iki:20181013145746j:plain

ふるさとふれあい
街並み整備事業の歌碑

 


 平成元年度から釧路市は「ふるさとふれあい街並み整備事業」として、この米町公園の史跡や文化財を整備して来た。


 この事業の一環として、短期間ではあったが「釧路新聞」の記者として健筆をふるった啄木の歌碑十基を建立した。
(「啄木文学碑紀行」浅沼秀政)


  
 「ふるさとふれあい街並み整備事業」の啄木の歌碑十基は、釧路観光協会(平成16年9月発行)の「くしろウォーキングまっぷ」の < 13・14・15・16・17・19・20・21・23・24 > にあたる。

 

f:id:takuboku_no_iki:20181013145804j:plain

 
春の雨夜の窓ぬらし

そぼふれば

君が来るらむ鳥屋に鳩なく

 

 所在地:釧路市米町2-1先


 建立  1991年(平成3)12月27日

 


14 米町三丁目

f:id:takuboku_no_iki:20181013145830j:plain

ふるさとふれあい街並み整備事業の歌碑

 

 

f:id:takuboku_no_iki:20181013145928j:plain

 

顔とこゑ
それのみ昔に変らざる友にも会ひき
国の果にて
 
 所在地 釧路市米町3-1先
 建立  1992年(平成4)10月30日

 衣川について啄木は着任した日の日記に、次ぎのように書いている。

「驚いたのは、東京で同じ宿に居た事のある、佐藤岩君が三面の記者になって居た事で、聞けば同君は、此処に来てから、料理屋の出前持までやったとの事。」

 佐藤衣川は啄木と同郷、岩手県人である。衣川は後に梅川操との間に妙な事件を起こしてこれが啄木離釧の間接的な理由になったという、人間関係の複雑なところを見せた男である。

 

  顔とこゑ
  それのみ昔に変らざる友にも会ひき
  国の果にて


 この歌は啄木が衣川を詠ったものだが、衣川はのち、啄木の小説「病院の窓」の主人公のモデルとなった。
(「石川啄木 -その釧路時代- 」鳥居省三)

 

 

 (つづく)

釧路 啄木22歳の新聞記者時代 - 心ときめく76日間 <5>

 ◎啄木文学散歩・もくじ https://takuboku-no-iki.hatenablog.com/entries/2017/01/02

 

 

釧路 啄木22歳の新聞記者時代 - 心ときめく76日間 <5>

  • 「啄木の息HP 2006年夏」からの再掲 + 2018年夏 )
  • 写真について 撮影年が記されていないものは2006年撮影
  • 「1~25」のナンバーは、「くしろウォーキングまっぷ・石川啄木文学コース」(釧路観光協会 平成16年9月発行)による。また、2018年釧路文学館編集の「啄木歌碑・記念碑マップ」も全て同じ順序で並んでいる。

 

6 南大通四丁目(釧路信金南支店前)
 

f:id:takuboku_no_iki:20181009152621j:plain

釧路信金南支店前

 

神のごと


遠く姿をあらはせる


阿寒の山の雪のあけぼの


 所在地 釧路市南大通4-8 釧路信金南支店前


 建立  1997年(平成9)10月1日
  

 信用金庫のショーウインドウに「“石川啄木 くしろ おもひで歌綴り”をさしあげます」と書いてあったのを見つけた。時間外だったがベルを押してお願いした。係りの人が、きれいなパンフレットを持って来てくれた。
 編集後記を見たら「平成九年第八回国際啄木学会が釧路で開催された時の資料の一つを、街おこしの一助にと再発行したもの……」とあった。


7 南大通四丁目

f:id:takuboku_no_iki:20181009152731j:plain
“くしろ・歴史の散歩道”の歌碑

 

 

f:id:takuboku_no_iki:20181009152750j:plain
 
わが室に女泣きしを


小説のなかの事かと


おもひ出づる日


 所在地 釧路市南大通4-1


 建立  1994年(平成6)1月31日


「わが室」は釧路区北洲崎町一丁目の関という下宿の一室。この部屋で泣いた女は梅川ミサホ。「小説のなかの事かと」は明治四十一年三月二十一日の啄木日記にある、夜半の小奴と梅川の恋のさやあてめいた事件をいうのであろう。
(「石川啄木必携」 岩城之徳・編)

 

  
奴の温い手にとられて帰つて来て、室に入ると火もあり、湯も沸つて居る。横山と奴と三人で茶を飲んだ。
 兎角して一時となつた。“石川さん、” といふ声が窓の下から聞える。然も女の声だ。窓を開けば、真昼の如き月色の中に梅川が立つて居る。“お客様がありますか” “あります” “誰方?” 此時奴は梅川と聞いて、入れろと云ふ。“お這入りなさい。”
 月は明くても、夜の一時は夜の一時である。女の身として、今頃何処をどう歩いて来たものか一向合点がいかぬ。入口の戸をトント ンと叩いて室に入つた顔を見て驚いた。何といふ顔だらう。髪は乱れて、目は吊つて、色は物凄くも蒼ざめて、やつれ様ツたらない。まるで五六日も下痢をした後か、無理酒の醒めぎはか、さらずば強姦でもされたと云つた様の顔色だ。這入つて来て、明い燈火に眩しさうにしたが、“あまり窓が明かつたもんだから、 遂……” と挨拶をする。“これは梅川さん、これは私の妹” と紹介すると、“おや貴女は小奴さんで” と女は挨拶。顔を上げた時、唯一雫、唯の一雫では あつたが、涙が梅川の目に光つた。
(明治41.3.21 啄木日記)

 

f:id:takuboku_no_iki:20181009152839j:plain

啄木の光と影 彷徨の天才歌人(2018年)

「表情多彩 釧路」

 2018年5月 くしろがいどまっぷ 釧路観光コンベンション協会発行

 

 

8 啄木下宿跡


今夜、佐藤氏の宅から此洲崎町一丁目なる関下宿に移つた。二階の八畳間、よい部屋ではあるが、火鉢一つを抱いての寒さは、何とも云へぬ。
(明治41.1.23 啄木日記)

 

 

f:id:takuboku_no_iki:20181009153658j:plain

シーサイドホテル前
“たくぼくの宿”と書かれてある。

 


 
下宿料が夜具共で一ヶ月十四円五十銭、釧路での啄木の月給は三十円でしたから、下宿料にやや半分を払ったわけです………。
(「石川啄木 -その釧路時代- 」鳥居省三)

 

f:id:takuboku_no_iki:20181009153731j:plain

こほりたるインクの罎を


火に翳し


涙ながれぬともしびの下


 所在地 釧路市南大通5-1 釧路シーサイドホテル前


 建立  1983年(昭和58)8月5日

 


平成14年春、釧路シーサイドホテルのレストランの名前が『啄木の宿』と改名されました。正面入口右横の部屋が啄木に関する資料を展示するようになりました。
(平成14-12-10 港文館だより かわら版12号)


9 啄木ゆめ公園

f:id:takuboku_no_iki:20181009153833j:plain

小さな公園の歌碑


 啄木の名のついた、かわいらしい公園が南大通に面してある。そこの歌碑は、現在(2006年)のところ釧路市内で一番新しい啄木歌碑である。
 ちなみに現在(2006年)・全国最新の啄木歌碑は、2006年5月7日に建立された盛岡第一高等学校正面付近のものである。「盛岡の中學校の 露臺の 欄干に最一度我を倚らしめ」と彫られ、盛岡一高の同窓生有志の力で建てられた。

 

「ゆめ公園に歌碑建立」
 歌人石川啄木ゆかりの地域として、今年商店会名も改名した釧路市南大通の「啄木通り商店会」が二十七日、五丁目の啄木ゆめ公園内に啄木の歌碑を建立、披露式を行った。街路灯に木札やフラッグの形で啄木歌を展示したり、公園を造成してきた同商店会の「啄木通り」整備はハード面では完了したことになる。
(2001-10-28 釧路新聞HP)

 

 

 

f:id:takuboku_no_iki:20181009153855j:plain
 
さいはての駅に下り立ち


雪あかり


さびしき町にあゆみ入りにき


 所在地 釧路市南大通5-2 啄木ゆめ公園内


 建立  2001年(平成13)10月27日


10 南大通七丁目

f:id:takuboku_no_iki:20181009153940j:plain

“くしろ・歴史の散歩道”の歌碑


休み坂入口にある
。

確かに途中で休みたくなるような坂。


 

 

f:id:takuboku_no_iki:20181009153956j:plain


山に居て

海の彼方の潮騒

聞くとしもなく君を思ひぬ


 所在地 釧路市南大通6-2
 

 建立 1994年(平成6)1月31日


啄木釧路の七十六日間が、この厳寒期でなくて、釧路が天下に誇るさわやかな秋であったら、啄木の文学が大いに違ったものになっていたであろうし、文学史上における啄木の位置づけもかなり異なったものになっていたろうと思われるので、それは少なくとも人間関係にも影響して、言 われているほど釧路が啄木にとって嫌な街にはならなかったのではないか、と考えてもいい。
(「石川啄木 -その釧路時代- 」鳥居省三)

 

(つづく)

九戸村で石川啄木ゆかりの地巡り

f:id:takuboku_no_iki:20181011161424j:plain

[トウネズミモチ]

 

 「一握の砂」歌碑に感激 しぶたみ啄木会見学

  • 盛岡市のしぶたみ啄木会は9日、九戸村石川啄木ゆかりの地を巡った。同村小井田立体農業研究所の農場を初めて訪れ、歌碑を見学した。
  • 歌碑は農場のクルミ林にあり、歌集「一握の砂」の歌が記されている。1993年に小井田重雄代表の父与八郎さん(故人)が、クリの木を使って設置。村内にある唯一の啄木の歌碑とされ、参加者は歌に込められた思いを考察しながら、写真を撮影していた。

(2018-10-10 岩手日報

 

「啄木ともりおか」テーマに 啄木資料展 〜11/18

岩手県立図書館「啄木資料展」 16年以降収集 63点展示

 同時開催 テーマ展「啄木ともりおか」

  • 県立図書館が新たに収集した石川啄木関連資料を展示する「啄木資料展」は、盛岡市のいわて県 民情報交流センター(アイーナ)内の同館で開催されている。
  • 啄木と秋田県鹿角市の縁を探った寄稿が掲載された地域文芸誌「芸文かづの」や、16年に生誕130周年を記念して開催した北海道の函館市文学館の特別企画展「函館に守り遺(のこ)されてきた啄木日記」の図録、国際啄木学会の研究年報など多彩な資料が集まった。
  • テーマ展では青春時代から渋民代用教員時代をピックアップして啄木のエピソードや作品、ゆかりの人を取り上げ、盛岡との関わりを紹介している。盛岡中学(現盛岡一高)時代の啄木の級友船越金五郎が遺した日記、4歳年上の先輩金田一京助が著した啄木の伝記風回想録や、啄木の処女詩集「あこがれ」の初版本、文芸雑誌「小天地」なども展示されている。
  • 同館企画広報課の安倍和恵課長は「26年という短い生涯の半分を盛岡で過ごした啄木。どういう生き方をしたのか知ってもらう機会になれば」と話す。
  • 28、29日には映画会「石川啄木~ 負けん気強がり~」、11月3日には啄木の短歌を用いた「啄木かるた」によるかるた大会もある。11月18日まで。

(2018-10-11 岩手日日新聞)

県立図書館「啄木資料展」 16年以降収集 63点展示【岩手】|Iwanichi Online 岩手日日新聞社

釧路 啄木22歳の新聞記者時代 - 心ときめく76日間 <4>

 ◎啄木文学散歩・もくじ https://takuboku-no-iki.hatenablog.com/entries/2017/01/02

 

釧路 啄木22歳の新聞記者時代 - 心ときめく76日間 <4>

  • 「啄木の息HP 2006年夏」からの再掲 + 2018年夏 )
  • 写真について 撮影年が記されていないものは2006年撮影
  • 「1~25」のナンバーは、「くしろウォーキングまっぷ・石川啄木文学コース」(釧路観光協会 平成16年9月発行)による。また、2018年釧路文学館編集の「啄木歌碑・記念碑マップ」も全て同じ順序で並んでいる。

 

5 港文館前


「港文館」は正式名称が「釧路市大町地区港湾休憩所」といい、二階に啄木に関する資料が展示されているため「啄木資料館」とも言われる。
(2002-02-20 港文館だより かわら版2号)
  

f:id:takuboku_no_iki:20181006162057j:plain

「港文館・旧釧路新聞社
 
 右手の人影が啄木像。

  

この新聞社の社屋は昭和四十年に取り壊されたが、その時残された図面をもとに釧路市が同市大町二丁目に復元、この赤レンガ造りの 旧釧路新聞社の建物は「港文館」として開設された。平成五年五月三十一日のことである。これにあわせて、幸町公園にあった啄木像と歌碑も港文館前に移設された。
(「啄木文学碑紀行」浅沼秀政)

 

f:id:takuboku_no_iki:20181006162558j:plain

赤レンガ造りの美しい建物(2018年)

 

f:id:takuboku_no_iki:20181006162636j:plain
「啄木像と歌碑」

本郷新 制作「石川啄木像」。
像の顔を見ながら周囲を廻ると容貌が変化する。
修行僧のようになったり 童顔になったり…。

 

 

f:id:takuboku_no_iki:20181006162730j:plain
啄木歌(2018年)

左下の説明に「釧路時代の啄木ゆかりの人、小奴さんは、最後に『小奴 書』と書くところを『書』の一字を書かなかった。このため初めてこの碑文を読む方は、小奴の作品と勘違いするが、この歌は釧路時代を回想した啄木の名歌である」とある。

 

 
さいはての駅に下り立ち


雪あかり


さびしき町にあゆみ入りにき
 

 所在地 釧路市大町2-1港文館前
 建立

 1972年(昭和47)10月14日

 

 

f:id:takuboku_no_iki:20181006162823j:plain


石川啄木像」制作者 本郷新の言葉(2018年)

 

 

f:id:takuboku_no_iki:20181006162929j:plain

f:id:takuboku_no_iki:20181006162944j:plain

中庭の二本のガス灯に刻まれている歌

 

f:id:takuboku_no_iki:20181006163000j:plain
車止め柱にも歌

「くしろ啄木一人百首歌留多」を拡大した銅板がはめられている。

全部で13柱ある。

 

f:id:takuboku_no_iki:20181006163121j:plain

車止めの歌(2018年)

 

f:id:takuboku_no_iki:20181006163134j:plain

啄木スタンプ(2018年)

 

(つづく)