評論 啄木の長女・京子の短歌を読む
〜遺愛女学校在学中から、結婚後二児の母となるまで〜
水関 清
第一節 はじめに
石川啄木が記した「明治三九年 渋民日記 八十日間の記」の一二月三〇日の項は、以下の一文ではじまる。なお、文中の「トキ」とは「堀合トキ」のこと、啄木の妻・節子の母親である。
「イマブジオミナヲウム○トキ(二十九日午后三時四十分発)」
さらに、日記は以下のように続く。
「予はこの電報を握つて臥床の中より躍り起きぬ。ああ盛岡なるせつ子、こひしきせつ子が、無事女の児——可愛き京子を生み落したるなり。予が「若きお父さん」となりたるなり。天地に充つるは愛なり。…………」
第二節 石川京子年譜
第三節 啄木短歌の中の京子
第四節 節子の啄木への想いと、啄木没後の苦悩
第五節 節子と京子の房州での暮らし
第六節 祖父・堀合忠操と京子
第七節 石川京子の短歌を読む
第八節 まとめ〜京子と啄木の短歌を読み比べてみる〜
⚪︎女学校時代
悲しきはかかる性もつ/我なりき/秋の夕に笛の音をきく(京子)
かなしきは/飽くなき利己の一念を/持てあましたる男にありけり(啄木)
⚪︎結婚後
うるさしと思ひし事の/◾️今更に悔ひられぬ子等の/◾️いねてしまへば(京子)
児を叱れば/泣いて、寐入りぬ。/◾️口すこしあけし寐顔に触りてみるかな。(啄木)
妻として、母として、そして啄木の娘としての京子が営む日々の暮らしの踏み跡として、短歌がしっかりと残されたのである。
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随筆 石川啄木と谷村新司
〜啄木の魅力を歌うということ〜
水関 清
谷村新司が作詞を手掛けた楽曲には、啄木の短歌を想起させる歌詞が目立つ。谷村の「昴」には啄木の『悲しき玩具』の冒頭に置かれた二首に酷似した歌詞が含まれ、「群青」には『一握の砂』の中の四首に似た歌詞が散りばめられている。
(以下割愛)