〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

2019-02-01から1ヶ月間の記事一覧

“ふるさとの山は そこにあるだけで支えてくれる” NHKおはなしのくに

[ひな] おはなしのくにクラシック 「短歌」 NHK Eテレ 2019年3月4日(月) 9時10分~9時20分 近代以降、正岡子規によって確立された短歌は、石川啄木、斉藤茂吉、与謝野晶子らによって、時代ごとの心情を映してきた。俵万智にまでつながる短歌の歴史とその…

幼い啄木は「色の白い、大人のように工合よく上品ぶった…」企画展 2/26〜6/17

[ひな] 企画展 啄木をめぐる人々 2/26〜6/17 歌人・石川啄木の盛岡中学時代を知る人たちの手紙や原稿を通して、啄木の青春時代を紹介する企画展が岩手県盛岡市の盛岡てがみ館で行われている。 会場には、盛岡て がみ館が所有している原稿や写真など14点が展…

キーンさん「自信と不安を背中合わせに描いている」と 啄木の作品を勧めていた

[飛行機] (社説)キーン氏逝く 愛情と苦言を残して 日本文学研究者のドナルド・キーンさんが亡くなった。繊細さとあふれる情熱をもって、骨太でスケールの大きな仕事に挑み続けた学究だった。日本文学は決して日本だけのものではない。世界の人々の心を打つ…

キーンさん 気持ちを込めた日記こそと啄木や紫式部を研究

[飛行機] (天声人語)ドナルド・キーンさんを悼む 日本兵が残した日記を翻訳する。海軍で日本語を学んだドナルド・キーンさんを待っていたのは、そんな仕事だった。部隊が壊滅し、7人だけ残されたという記述があった。それでも新年を祝おうと13粒の豆を分け…

キーンさん死去 『石川啄木』の評伝などを刊行

[飛行機雲] 日本文学研究者のドナルド・キーンさん死去 96歳 日本の古典から現代文学まで通じ、世界に日本文学を広めた米コロンビア大学名誉教授で文化勲章受章者のドナルド・キーンさんが24日、心不全のため、東京都内の病院で死去した。96歳だった。 1922…

先生としての啄木の姿勢が見える資料展示 石川啄木記念館 〜5/12

[ひな] 啄木と尋常小、深いゆかり 日誌、教案など展示 石川啄木記念館の収蔵資料展「啄木と渋民尋常小学校」は、盛岡市渋民の同館で開かれている。 啄木在職時の学校日誌や、啄木が希望者に実施した英語の課外授業の教案など約40点を展示。意欲あふれる啄木の…

遺品の中の「最後の歌」刻む 石川啄木 終焉の地

[終焉の地歌碑 遺品から見つかった「最後の歌」] (訪ねる)文豪・文人ゆかりの地 石川啄木 東京都文京区 最後の歌、静かな希望刻む 茗荷谷駅から通りを渡って坂を下り、東京都文京区の区立小石川図書館を過ぎた住宅街の中。文教地区の小石川で歌人・石川啄…

啄木の「こころ」は、人を殺したくなり・同時にみずみずしい心をみせる

[ボケ] (生老病死)心好きたちが頼った歌のリズム 山折哲雄 漱石は最晩年、未完に終わった『明暗』を書いているとき、午前は執筆、午後は絵や書や俳句の世界に遊ぼうとしていたようだ。小説書きの苦海から脱出しようともがいていた。 彼のいう「則天去私」…

文学散歩~文京区春日・小石川 石川啄木終焉の地にも

[シダレウメ] 日本社会文学会3月文学散歩 「日本社会文学会・文学散歩~文京区春日・小石川=坂と文学をめぐって~」を催します。今回も大和田茂さんにご案内いただきます。 ・日時 2019年3月30日(土) 午後1時 集合 ・集合場所 地下鉄丸ノ内線「後楽園駅…

歌人石川啄木生誕日にちなみ 給食にカボチャやジャガイモの献立も

[ウメ] 地元の黒平豆で給食、味は格別 盛岡、児童生徒と生産者 盛岡市農業振興連絡協議会は20日、市内の小中学校で、同市渋民地区に根付く在来種「黒平豆(くろひらまめ)」を用いた給食を提供した。児童生徒は古里の食材の魅力を堪能し、生産者らは黒平豆の…

友好都市記念碑除幕 啄木のひ孫石川真一さん揮毫 盛岡市と文京区

[盛岡駅前滝の広場 友好都市提携記念碑 石川啄木のひ孫の石川真一さん揮毫(撮影:山田武秋氏)] 啄木の縁 友好都市調印 岩手県盛岡市と東京都文京区 ひ孫真一さん 碑揮毫 金田一さん講演 盛岡市と東京都文京区は20日、友好都市提携を結んだ。両市区は同市で…

2月20日「たっくんハピバー!」石川啄木の誕生日

[河津桜] 石川啄木の誕生日「ぐでたま」2/20(水) 『あさチャン!』【TBS】 1886年の今日は詩人の石川啄木の誕生日。 ぐでたま:たっくんハピバー! 有名なのは「一握の砂」のフレーズ。僕みたいにたくさん働いていたんだね〜。でもね、カンニングで退学になっ…

あすは啄木の誕生日でもある

[河津桜] 盛岡の街を代表する「声」って何だろう。車… 盛岡の街を代表する「声」って何だろう。車の音に囲まれた今と違い、昔の街には風情ある声が響いていた。それが豆腐売りの声だと石川啄木は言う。「午時(ひる)近くなつて、隣町の方から、『豆腐ア』と…

啄木かるた大会 盛岡市渋民にて開催

[ウメ] 岩手)啄木の生誕日に、あわせ、啄木かるた大会 歌人・石川啄木(1886~1912)にちなむ「啄木かるた大会」が16日、出生地の盛岡市渋民にある姫神ホールであった。古里の先人の短歌に、カルタを通じて親しんでもらおうと、石川啄木記念館などでつくる…

啄木が「こころ」の悩みに打ちひしがれていたころ 漱石は…

[ハボタン] (生老病死)行ったり来たり、揺らぐココロ 山折哲雄 前回に挙げたのが、啄木の『ローマ字日記』にあらわれる、不安にみちた「ココロ(Kokoro)」の暗部の一端だった。日本語の「こころ」も「心」も、ともに英語にはならないだろうといった…

露伴、茂吉、啄木らが訪れ、歌会を開いた鴎外の屋敷

[観潮楼の名のついたお菓子] (訪ねる)文豪・文人ゆかりの地 森鴎外 東京都文京区・台東区 1862(文久2)年に生まれ、1922(大正11)年に亡くなった森鴎外。小説家、評論家、陸軍軍医であり要職を歴任した人物。東京メトロ千代田線の千駄木駅を降り、団子坂…

劇団民藝公演「正造の石」に 啄木登場

[クレマチス] 「正造の石」 劇団民藝公演 ・作=池端俊策・河本瑞貴 演出=丹野郁弓 ・2019年2月14日(木)~25日(月) ・ 紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA あらすじ 明治39年、日露戦争の勝利に国中が湧きたっていた頃、北関東にある谷中村では足尾銅…

<友がみなわれよりえらく見ゆる日よ…> 啄木

[ムラサキツクバネカズラ] 今週の本棚・本と人 『こころ傷んでたえがたき日に』 著者・上原隆さん しんどさ抱え生きる姿に共鳴 印象深い書名は、石川啄木の歌集『一握の砂』から採った。赤貧のうちに短い生涯を閉じた歌人は晩年、『時代閉塞(へいそく)の現…

「予の心の底から求めているものは、安心だ」啄木

[クレロレンドルム スペキシオシム] (生老病死)安心求め、もがくKokoro 山折哲雄 啄木は短歌をつくりながら、「こころ」と「心」については区別立てをしていなかった。それは、すぐ目の前の「暗い心」に自分のこころをつかまれていたからだった。漱…

啄木が学び、教えた学校の雰囲気を味わえる 企画展

[ウメ] 企画展「啄木と渋民尋常小学校」/岩手・盛岡市 盛岡出身の歌人・石川啄木が(※本来の表記は「キバ」付の「啄」)母校の小学校で教鞭をとっていた時のゆかりの品を展示した企画展が、石川啄木記念館で開かれています。 記念館の敷地内には、1884年=…

〈 かがやきて木も草も芽ぶく季となりぬ。〉 渡辺順三と啄木

[カンヒザクラ] 渡辺順三の生涯と学ぶこと 碓田のぼる はじめに 渡辺順三は一八九四(明治二十七)年九月十日富山市に生まれ、一九七二年二月二十六日、七十八歳で亡くなりました。没後すでに半世紀近く、新日本歌人協会員の中でも、順三を直接知る人は、ご…

“自分の天職は何” 啄木は小説家になりたかった 

[ユリカモメ] 就活スペシャル [ゴロク]こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて死なむと思ふ――石川啄木 啄木は小説家になりたかった。職を求め、北海道に渡って小学校や新聞社などに勤めたが、どれも長続きしなかった。石川啄木記念館の森義真館長…

啄木・賢治のふるさと「岩手日報随筆賞」作品募集

[ジュズサンゴ] 第14回岩手日報随筆賞 5月20日まで作品募集 岩手日報社は、第14回啄木・賢治のふるさと「岩手日報随筆賞」の作品を募集します。 岩手日報随筆賞は2006年、石川啄木と宮沢賢治を育んだ本県の文芸風土の継承と一層の活性化を期して創設されま…

啄木ニュース映像 「啄木祭」1947年(昭和22年)

[モミジバフウ] NHKニュース映像 アーカイブス [7]逝いて三十六年 啄木祭開く 4月13日、第37回忌啄木祭が日劇小劇場で行なわれました。 石川啄木は、明治18年岩手県に生まれ、北海道から東京まで、常に貧乏と孤独と病苦と闘いつつ、人間の解放についてうた…

着任する前から啄木が弾いたオルガンも 企画展 〜5/12

[モミジバフウ] NHKニュース 盛岡放送局 母校で教べん啄木ゆかりの品展示 明治時代の歌人、石川啄木が母校の小学校で教べんをとっていた時のゆかりの品などを紹介する企画展が始まりました。 啄木は、盛岡市にあった母校の渋民尋常小学校で20歳の時におよそ1…

「代用教員拝命 月俸十二圓」啄木 ライカ北紀行

[トベラ] 【函館へ行って死ぬ】ライカ北紀行 —函館— 第9回 「明治40年6月11日 石川一(はじめ)、函館区弥生尋常小学校代用教員拝命 月俸十二圓」 明治15年の開校当初から綴られ、古びた『彌生小学校沿革誌」。その一ページに記された、石川啄木の足跡である…

金田一京助や石川啄木が先輩 盛岡・下橋中学校

[クリスマスローズ] 立志式 将来への決意発表 盛岡・下橋中学校 岩手・盛岡市の下橋中学校で、伝統の立志式が開かれ、生徒たちが将来に向けた決意を四字熟語に込めて発表した。 金田一京助や石川啄木といった偉人を輩出している下橋中学校では、昔の「元服」…

啄木の「こころ」の鬱屈は幻影を招き寄せる

[スノードロップ] (生老病死)啄木の「こころ」に浮かぶ暗い像 山折哲雄 夏目漱石が「東京朝日新聞」に入って仕事をはじめたのち、石川啄木は校正係として同じ朝日に就職した。やがて三行書きの短歌をつくりはじめる。それが評判になり「朝日歌壇」の選者に…