〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

札幌は秋風の国なり <その 3 >

啄木文学散歩・もくじ


北海道札幌市に啄木を訪ねて <その 3 >

「天神山緑地」
地下鉄南北線南平岸駅」下車、徒歩15分ほどの豊平区平岸に天神山緑地があり、その中に「札幌平岸林檎園記念歌碑」がある。





「札幌平岸林檎園記念歌碑」
右は、添碑。中央は、啄木歌碑。左は札幌平岸林檎園記念歌碑。一番左は、札幌平岸林檎園記念歌碑保存会員芳名碑。





   石狩の都の外の
   君が家
   林檎の花の散りてやあらむ
              啄木
この歌は、啄木が函館の弥生小学校代用教員時代に同僚であった橘智恵子のことを詠んでいる。当時札幌郊外で果樹園を経営していた智恵子の実家の風景が歌われている。(次回は智恵子実家の予定)






「添碑」
明治四年曾父・父らこの地に入り森を伐り林を焼き麦粟稗を蒔く翌五年北海道開拓使の輸入せる林檎苗木を植林同十四年一果をなし日本林檎栽培の黎明を告ぐ
爾来この地の林檎栽培は年を追って殷盛平岸地区で二百八拾余町歩量産二十五万箱を数う日本林檎の一大産地となり道内京濱阪神はもとより海波のウラジオストック・シベリヤ・樺太上海南方シンガポールにまで販路を拡ぐ
大地にはりつきしぶとく四方に張る老樹の枝その節々の瘤と傷痕それはたえまなく自然の暴威に耐えし樹の記録であると共に先駆栽培百年の苦闘を物語る
されど村の中央を貫流せる疎水もなくいぶし銀のごとき花影、秋陽にきらめく果実の枝も残り少く地域一帯は住宅街と化し世人に謳われし北國の詩情も偲ぶにとゞまる
使命おわり歴史のかなたにきゆるものとしてもなお心つきぬよって栽培者集いてはかり明治四十年札幌を訪れのち東京に居て遠く林檎園の夏に思いをはす歌人石川啄木の歌一首を碑に刻し往時を記念する

     札幌平岸林檎園記念歌碑
           建設委員会
昭和四十一年十月二十三日





「歌碑例祭」

平岸林檎園記念歌碑例祭は、この場所で毎年行われている。今年、2012年の例祭は6月1日にあったと記事で見た。47回目を数えるというから、建碑してから一度も欠かさず開かれていることになる。




「天神山緑地の案内図」
入口は図の下方にある。左上にある久保栄文学碑のほうが探しやすいので、そこから石川啄木歌碑を辿る。




「林檎園日記」
    戯曲 四幕
           久保栄
六月六日(月曜日)晴
 上田の畑からもとの新畑へかけて、今日ぐらゐがもう満開で、うちのは平均して三分咲きほど。乳いろにうす紅をぼかした花が五輪づゝかたまつて咲く梢から、甘ずつぱい匂ひがして来て、そこらにいつぱいになるのをかぐと、どういふわけか、子供の頃百人堀にそつて山の湖水の方へかよつてゐたガタ馬車の、あのピポ、ピポーと鳴らしてとほる笛の音が思ひ出されて、まだ丈夫だつたお母さんが、いまわたしのしてゐる帆前掛をかけて園内作業をしてゐる姿が、眼にうかんで仕方がない。

久保栄 劇作家・演出家・小説家・批評家。1900(明治33)年、北海道札幌市に生まれる。東京帝国大学卒業後、築地小劇場に入る。1958(昭和33)年、死去)


(つづく)