文京区立 森鴎外記念館
記念館の正面外観(大観音通り)
記念館は生誕150年を記念して、森鴎外の旧居「観潮楼」の跡地に2012年11月1日オープンした。地下2階には約 1万点に上る資料があり、石川啄木からの書簡なども収蔵されている。
1862(文久2)年生まれの鴎外は、1892(明治25)年30歳のときから、1922(大正11)年60歳で亡くなるまでここに暮らした。
2階から東京湾品川沖の白帆を望むことができたため、鴎外自ら「潮を観る楼閣」と命名した。石川啄木、斎藤茂吉、与謝野鉄幹、伊藤左千夫、佐佐木信綱など多くの文人が訪れた。
「手紙で語る鴎外の交流」
コレクション企画「手紙で語る鴎外の交流」ポスターの一部。
企画展会期 2013年1月24日(木)〜2013年4月14日(日)
- 展示
「観潮楼の日々」
歌会参加者たち
壁の地図に「観潮楼」歌会参加者の家(啄木のも)が記されてある。
「観潮楼」門柱跡の礎石と、鴎外も踏みしめた敷石が当時と同じ場所に残されている。
記念館のホームページ「建築について」のところに「この建物は,殆ど全て職人の方々の手作りで出来ています。そのなかのひとつ外壁レンガの削りは,作業服が真っ白になるほどの大変な作業でしたが、若い職人の方々の懸命な取り組みにより素晴らしい壁に仕上がりました」とあった。
記念館入口前、藪下通りにある像「舞」
森鴎外の代表作「舞姫」の作品から、「舞」というテーマで彫刻家・一色邦彦氏が造りあげた。
「青鞜社」発祥の地
平塚らいてうの首唱で、木内錠子、物集和子、保持研子、中野初子の5人が発起人となり、1911年(明治44年)詩歌が中心の女流文学集団として結成された。事務所はここ旧駒込林町の物集和子宅におかれた。雑誌『青鞜』は同年9月の発刊。らいてうの発刊の辞「元始、女性は実に太陽であった」は有名。
文学散歩マップ
鴎外記念館は、千代田線「千駄木駅」下車、団子坂を上ると左側にある。高村光太郎旧居、夏目漱石旧居、青鞜社発祥の地など見どころが多い。