〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

我孫子の楚人冠と啄木と <その 1 >

啄木文学散歩・もくじ


千葉県我孫子市に啄木を訪ねて <その 1 >


我孫子市ゆかりの文化人紹介板 JR 我孫子駅前」


杉村 楚人冠(すぎむら そじんかん)

  • 1872年(明治5) - 1945年(昭和20)。
  • 新聞記者、随筆家、俳人。本名 杉村 廣太郎(すぎむら こうたろう)。
  • 1903年、東京朝日新聞(のちの朝日新聞社)に入社した。「記事審査部」を創設し、縮刷版の作成を発案、「アサヒグラフ」を創刊する。
  • 1912年、我孫子に別荘を持つ。関東大震災で二男・三男を失う。1924年、一家で東京大森から千葉県我孫子町に転居する。
  • 屋敷を「白馬城」、家屋を「枯淡庵」と称し、俳句を通して地元との交流を深める。



「楚人冠と啄木をめぐる人々」ポスター


杉村楚人冠記念館 平成24年度冬期企画展
「楚人冠と啄木をめぐる人々」
杉村楚人冠石川啄木渋川玄耳土岐善麿。この4人の手紙を中心に、啄木と楚人冠をめぐる人々の交流を振り返る。

  • 会期 2012年10月30日(火)〜2013年1月14日(月・祝)



杉村楚人冠邸園の入口」


筆名「楚人冠」の由来
「楚人冠」の名は東京朝日新聞入社前の職場、アメリカ公使館のシルクハット置き場に付けた目印だったという。自分がシルクハットを被る姿は似合っていないだろうなと考えた時、中国秦代の都、咸陽の人が、秦を倒した項羽を嘲っていった『楚人は沐猴(もっこう)にして冠するのみ』(猿が冠を被っただけ)という史記の一節が思い浮かんで、この名を使うことにした。(サロンの説明ボードより)





「庭から見る母屋 “白馬城” 」
1924年(大正13)完成した母屋は、前年の関東大震災で二男と三男を失ってしまったことから耐震性を重視したものになっている。母屋の屋根を軽くし耐震性を強化するトラス構造(軸組みを三角形で組み合わせた構造)と銅板葺きの組み合わせをとっている。
関東大震災後も、大正13年茨城県地震、大正15年の羽田沖地震などで被害を受け、修繕工事を繰り返した。
大型家具類は耐震性を強化した作り付けの構造である。地震に対する徹底した対策を読み取ることができる。(「楚人冠の生涯と白馬城」より抜粋)


○ 「この時代にトラス構造を一般住宅に使うのは先進的だ。我が子を失った震災を機に耐震性を重視した楚人冠の注文に下田が応えた面はある」。我孫子市文化財審議会委員で元千葉工業大学教授の河東義之さんはこう話す。(朝日新聞>千葉「楚人冠と我孫子」2011年11月05日)



(つづく)