〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

《私の中の啄木》(2)札幌時代 14日間

  • 1907(明治40)年9月14日、函館を発った啄木は、札幌に到着し「北門新報社」で働き始める。数日後には、友人とともに小樽で発刊されるという「小樽日報」に転職することを密談する。2週間後には、小樽日報に入社するため札幌を離れる。滞在期間は、わずか14日間だったが、のちに札幌の街などをテーマにした4首を作る。
  • 道内で初めて鉄道が通った小樽・手宮―札幌間の道内最古とも言われるレールは、どこの国で製造されたものか――。30年ほど前、小樽保線区長だった太田幸夫さんが抱いた疑問だ。これが啄木にのめり込むきっかけになった。調査の中で出会ったのが、鉄道史に載っていた啄木だった。レールの答えは見つからなかったが、啄木の歌にはまった。

「鉄道の歌は結構多い。汽車の窓から歌った情景は、鉄道マンなら心を打たれます」

  • 太田さんはJR退職後も啄木の研究を続け、1998年、60歳の時に本を出版した。「石川啄木入門 啄木と鉄道」。啄木の人生に加え、啄木が乗った汽車の時刻表、当時の交通事情などを豊富な資料で紹介した。約400ページの大作だ。
  • 5年ほど前、「道内最古のレール」の現物が見つかった。小樽の防波堤のつなぎ目に使われていた。「英国製でした。長年研究していると、新たな発見があるものです」
  • 2002年に札幌啄木会を立ち上げ、代表を務める。いま取り組んでいるのが、札幌で4番目になる啄木の歌碑づくりだ。

「汽車と同じように止まったら駄目なんです。とにかく、命ある限り走り続けていきたいんですよ」
(2012-06-07 朝日新聞>北海道)