〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

「啄木 うたの風景 第 6・7 回」岩手日報


[ツバメ]


第 6 回
第一部 青春の輝き(2)
 渋民小(盛岡市玉山区
  守り継ぐ先輩の感性

  • 渋民・宝徳寺の長男として成長した啄木は1891(明治24)年、就学年齢より1年早く、5歳で渋民尋常小学校に入学する。入学当初、それほど優れた成績ではなかったが、3、4年には首席を争い、卒業時に「神童」と呼ばれるほどになったという。
  • 渋民小は、創立139年を数える。今年4月、啄木の後輩に当たる6年生は、石川啄木記念館で旧渋民小校舎と旧斉藤家の清掃に汗を流した。児童たちは日頃、啄木の作品や人生に触れながら学校生活を送っている。毎朝、校内放送で「今日の啄木短歌」が流れ、総合学習は渋民と啄木の関わり、啄木作品を学ぶ。母校を象徴するものの一つに啄木が作詞した校歌がある。

  春まだ浅く月若き/生命の森の夜の香に/あくがれ出でて我が魂の/夢むともなく夢むれば…

  • 同校は啄木百回忌の昨年から、6年生の修学旅行先を函館に変更。啄木一族の墓などゆかりの場所を訪れ、啄木をより身近な存在として学習に取り入れている。

(2012-05-09 岩手日報
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第 7 回
第一部 青春の輝き(3)
 下橋中(盛岡市
  卒業生の歴史に誇り

  • 1895(明治28)年、啄木は盛岡高等小学校(現・下橋中学校)に進む。9歳の啄木は小柄でかわいらしい子だった。「糸切り歯が見え、笑うと右の頬にえくぼが出た」。啄木の隣の席だった伊東圭一郎は著書「人間啄木」に記している。中学校進学を目指す生徒が集まった。生涯の友人となる言語学者金田一京助との出会いもこのころ。新入生として通学してきた啄木を、4年生の金田一は友人とからかい、怒った啄木に追い回された。真剣で負けず嫌いな姿を「君の生涯を象徴しているように思えてならない」(「新編石川啄木」『生い立の記』)と回想している。
  • 下橋中は今年で創立125周年。歴史を感じさせる石造りの校門を入り、左側の庭園に啄木の歌碑がある。

  その昔/小学校の柾屋根に我が投げし鞠/いかにかなりけむ

  • 同校は啄木、金田一をはじめ多くの先人が学んだ。創立100年を記念して校舎内に整備した校史館に草創期の日誌や写真をはじめ、教科書や卒業生の著作などゆかりの品を展示。階段踊り場などにパネルが並び、偉大な先輩の足跡を伝えている。

(2012-05-16 岩手日報