〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

《私の中の啄木》(1)函館時代  没後100年に 企画特集1

(1)悩みもがく姿 教え続け

  潮かおる北の浜辺の/砂山のかの浜薔薇(はまなす)よ/今年も咲けるや
「函館を懐かしく思う歌なのでしょうか」函館市文学館の前館長森武さんが像に刻まれた作品を解釈してくれた。

  • 函館ラ・サール高校在学中に啄木の歌に魅せられ、啄木歌集を持ち歩いた。卒業後、明治大学文学部に進み、文学で身を立てることを考えた。小説家を目指したが、作品が世に出ることはなかった。北海道に戻り、高校教員の道へ進んだ。
  • 進学、就職、恋愛。思うようにならずもがく教え子たちを目の当たりにした。38歳の時、自主教材「啄木の人生と歌」を作った。「悩み、挫折しながらも、はい上がろうとした啄木を通して、『悩んでいるのは、君たちだけじゃない』と伝えたかった」この教材は15年以上使った。「啄木が身近になった」「啄木も悩んでいたんだね」など生徒たちの反応は予想以上だった。
  • 3年前に定年退職。啄木の資料が多数ある函館市文学館の館長を経て、今は市文化・スポーツ振興財団専務理事。最近、長年潜んでいた虫が騒ぎ出している。          

 「もう一度、小説を書いてみよう」
挫折しながらもはい上がった啄木に倣って……
○ 啄木は、函館や札幌、小樽、釧路と1年近く北海道を流浪した。啄木が1912年に26歳で死去して今年で100年になったのを機に啄木にひかれる各地の人たちを訪ねた。
 (この企画は横山蔵利が担当します)
(2012-06-06 朝日新聞>北海道)