〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

「啄木 うたの風景 第 10 回」岩手日報

[ブルーベリー]


第 10 回
第一部 青春の輝き(6)
  遊座さん(国際啄木学会元会長)インタビュー
  古里の美しさ教わる

少年時代の啄木が詩想をはぐくんだ故郷・渋民。啄木が育った宝徳寺(渋民)に生まれた啄木研究者の遊座昭吾さんに啄木と渋民について聞いた。

  • 啄木は1歳で宝徳寺に移り、18歳で上京するまで寺で育った。盛岡に進学した時期も、休みに帰るのは宝徳寺だった。「5歳で渋民尋常小に入ると、同級生(一斉入学ではないので4歳上)に千代治というのがいた。千代治は「一(啄木の本名)は、寺にある炉の灰にやたらと文字を書いていた。奉公人の女の子が理由を尋ねると『俺は文章を書いて飯を食ってみせる』と答えた」。私が直接千代治から聞いた忘れられない話。
  • 堀合節子と結婚後、啄木は代用教員として渋民に戻る。「啄木は初めから先生でしたね。日記には『成人するとは、持つて生れた自然の心のまゝで大きい小児に成るといふだけの事だ(中略)大きい小児を作る事! これが自分の天職だ。イヤ、詩人そのもの天職だ。詩人は実に人類の教育者である』と書いている。啄木にとっては詩人イコール教師ですよ」
  • 啄木が故郷や寺を詠んだ歌は、緑の風景や鳥の声など自然描写が実に鮮やかだ。「私はそこに生まれた。四季ごとの山の風景の違い、木枯らしの音…。古里の風景の美しさは、啄木の歌が耳に入り、頭に入って、それが原点となって、自分の思い出になった。彼に教えられた」

(2012-06-06 岩手日報