〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

《私の中の啄木》(3)小樽時代 115日間

  • 1907(明治40)年9月27日、小樽に着いた啄木は、中央小樽駅長に就いていた義兄夫婦を訪ねた。小樽日報社に勤め、家族もそろい、つかの間のだんらんの時期だ。しかし、1カ月ほどで友人と主筆の排斥を企てる。啄木は三面主任として活躍し、主筆は解任された。
  • このころ、札幌に新しい新聞が発刊されると聞き、しばしば札幌に出向く。このことで12月12日、小樽日報社の事務長とトラブルになり、暴力をふるわれたとして、退社を決意、翌日から社を休む。
  • 借金取りに追われながら年を越した。08年1月13日、釧路新聞社の社長と会い、入社が決まる。19日に家族を残し、釧路へ。小樽滞在期間は115日だった。


中学生の歌 息づく日常
   かなしきは小樽の町よ/歌ふことなき人人の/声の荒さよ

  • 石川啄木は約4カ月を暮らした小樽市を、こう詠んだ。市内の水天宮境内には歌碑もある。
  • その小樽でいま、没後100年を記念した短歌を中高生を対象に募集している。小樽啄木会が「啄木と短歌に親しんでもらおう」と主催した。約70首を応募した中学校がある。日本海を一望する丘に立つ市立銭函中だ。

   いやなこと/かき消すように/流れてく/かすかに感じる/風のぬくもり(奥村木歩さん)
   弟が/生まれ家族が/一人増え/家がにぎやか/皆いやされる(吉田悠陽さん)
   美味(おい)しいな/どんなごちそう/にも勝る/僕らを思う/母の手料理(銘形和威さん)

  • 生徒たちの中から、啄木のような歌人が生まれるかも知れない。