[スダジイ]
(つづき)
<その6>
第三部
《影踏み》
孝二はおぼえている。
新しき明日の来るを信ずといふ
自分の言葉に
嘘はなけれど──
歌集 “ 悲しき玩具 ” に収められている啄木の歌だ。
孝二もやはり新しい明日の到来を信じている。いや、明日を信じることだけが孝二の生甲斐なのだ。そんな孝二が、それを口にする時、いかにひっしなものが全身にわき立つことか。
(中略)
結局、如何に孝二たちが新しい明日の到来を信じたところで、他方にそれを望まぬ強大な力が存在する限り、実現は到底不可能なのだ。それをなおも信じるのは、 “ 歌は私の悲しい玩具である ” と啄木が言ったのと同様に、所詮エタにうまれたものの “ 悲しい玩具 ” なのではあるまいか?
孝二は更に記憶を辿ることが出来る。
世におこなひがたき事のみ考へる
われの頭よ!
今年もしかるか
しかし啄木の考えた “ 世におこなひがたき事 ” よりも、孝二は自分の考えていることの方が、はるかに “ 世におこなわれがたい ” のではないかと思わないわけには行かない。
(中略)
そこ(兄誠太郎からのハガキ)には次のようにしるされていた。
かにかくに坂田の里は恋しかり
おもい出の葛城川(かわ)
おもい出の蛽独楽(ばい) 似非啄木
省境も国境もいわず降りしきる
雪にいどみつ
きょうも暮れゆく 一兵卒
(つづく)