[いさりのりんご(盛岡市猪去(いさり))]
「啄木と海」
命の鼓動 魂の叫び
歌人石川啄木の足跡を手繰っていくと、キーワードの一つとして海が浮かび上がってくる。海をめぐる不思議な縁から「啄木特集」をスタートさせたい。(編集委員 黒川伸一)
- 啄木は釧路にいた1908年(明治41)、上京を決意。貨客船で宮古に上陸した。
- 宮古は昨年の津波で、4700戸が全半壊、死者不明 640人。啄木が 6時間を過ごした鍬ヶ崎地区は壊滅的な被害を受けた。
- 内陸育ちの啄木にとって、海は未知の存在だ。海らしい海を見たのは、1900年(明治33)、修学旅行で三陸海岸を訪れた時だった。その 4年前、明治三陸大津波がこの海岸を襲い、2万人以上の犠牲者を出していた。国際啄木学会の森 義真・事務局長は話す。「啄木はこの旅行後、津波で医師不足となり、県から釜石に派遣された医師でいとこの工藤大助宅に宿泊しており、大津波のことを聞かされたはず」
大という字を百あまり/砂に書き/死ぬことをやめて帰り来れり 『一握の砂』
(2012-01-30 北海道新聞)