〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

『橋のない川』<その2> 一人かくれて “一握の砂" の頁をくった


[運搬船]


《作品に登場する啄木》
  橋のない川
    住井すゑ 新潮社


(つづき)
<その2>

貞夫もひととき一緒に笑っていたが、
「もう一つまねして作ったろか。“一度でも我に頭を下げさせし 人みな死ねと いのりてしこと” というのを、“一度でも我を小森と嘲りし 奴みな死ねと いのりてしこと” とするんや。どうや孝やん、こんなの、あかぬか。」
孝二は急にだまりこんだ。彼は梯子段をふみ外したように、身も心もがくんと来たのだ。啄木は単に頭を下げることにさえやり切れぬ卑屈さを感じて、怒りを爆発させている。それは異常に自分を高く保とうとする詩人的性格の然らしめるところにしても、人に頭を下げさせる人間は十分非難されるべきだし、時には憎悪や呪詛を買っても自業自得というべきではあるまいか。ところが自分たちは代代にわたって頭を土足で踏みつけられてきながら、なお人間としての怒りを爆発させることが出来ないでいるのだ。……孝二は卑怯者のそしりと、意気地なしの嘲りを背中一杯に浴びせられているようで肩が竦んだ。
(中略)
彼(孝二)は昼休み中も運動場の仲間から遠ざかり、一人かくれて “一握の砂" の頁をくった。
   わが抱く思想はすべて
   金なきに因するごとし
   秋の風吹く
ゆうべからしつこく心にまつわりつく一首だった。貞夫流に焼き直せば、
   わが抱く思想はすべて
   エタなるに因するごとし
   秋の風吹く

(つづく)