〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

〈 かがやきて木も草も芽ぶく季となりぬ。〉 渡辺順三と啄木

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[カンヒザクラ]

渡辺順三の生涯と学ぶこと  碓田のぼる

  • はじめに  渡辺順三は一八九四(明治二十七)年九月十日富山市に生まれ、一九七二年二月二十六日、七十八歳で亡くなりました。没後すでに半世紀近く、新日本歌人協会員の中でも、順三を直接知る人は、ごくわずかとなってしまいました。順三に長く接することの出来た一人として、知る限りの順三論を、順三を知らない 人びとに伝え、その理解を求めていくことは、当然の責任であると思います。

 

   手のひらに堅きタコあり


   あはれわが


   十六年の錐もむ仕事

  • 啄木にならって、順三の表記は三行書きですが、この作品の第二行は一字下げ て、内ごもるような詠嘆を表現しています。ここにこめた順三の思いは、決して単純でないように思います。
  • 
渡辺順三の短歌とその進路に、決定的な影響をあたえたのは、二十歳の頃出合った『啄木歌集』でした。順三の歌は、以来啄木調に変身しました。第一歌集『貧乏の歌』は、驚くほど、啄木模倣に満ちています。その模倣の中で、順三は己れの歌を砥ぎ出していったのです。

 

   久々に会いしこの友も


   痩せており、

   
吾ら忍苦の日の長かりし。

  • 一九四六年二月、渡辺順三は、「忍苦の日」を生きのびて来た「この友」あの友らと、いち早く新日本歌人協会を結成し、機関誌「人民短歌」(のちに 「新日本歌人」と改題)を創刊し、民主的な短歌運動の、あらたな出発のために全力をつくしました。

 

   かがやきて木も草も芽ぶく季となりぬ。


   芽ぶきくるものの

   
みなぎる力。

 

  • 石川啄木が、かつて「食ふべき詩」で強調したように、詩を高踏的、観念的な、言葉のあそびから引き下ろし、生きて未来 をひらこうとする人間の、生なましい現実とのたたかいを正面に据え、啄木以来の短歌革新の正系を、受け継ぎ、発展させて来たことでした。

  • 渡辺順三が、その生涯を終えたのは、一九七二年の二月二十六日の朝でした。戦争讃歌を、一首も口にしなかった、この稀有の歌人の七十八歳の生涯を浄めるように、この日、しんしんと雪が降り続いていました。(二〇一八・一二・二五)

(2019-02-05 新日本歌人

 

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