[終焉の地歌碑 遺品から見つかった「最後の歌」]
(訪ねる)文豪・文人ゆかりの地 石川啄木 東京都文京区
最後の歌、静かな希望刻む
- 啄木、妻、母の3人が後に結核とわかる病を患い、転居を余儀なくされた一家が、この地に落ち着いたのは1911(明治44)年8月。551首が収められた最初の歌集「一握の砂」刊行の翌年だ。弱る体、借金苦、家庭不和などを抱えながらも臨終までの8カ月間、ここで啄木は創作活動を続けた。
- 当時の平屋の家屋は既に無い。跡地の隣に、まだ新しい顕彰室と歌碑が立つ。
「呼吸すれば、/胸の中にて鳴る音あり。/凩(こがらし)よりもさびしきその音!」
「眼閉づれど、心にうかぶ何もなし。/さびしくも、また、眼をあけるかな。」
- 歌碑の2首は、没後に出た第2歌集「悲しき玩具」の冒頭のもの。遺品から見つかった「最後の歌」だ。当初、「死をイメージする歌なんて」と行政は難色を示したらしい。
- しかし、「この地で詠まれた最後の歌だからこそ」と、専門家を含む建立の実行委員会メンバーが集団で訴え、実現した。交渉にあたった国際啄木学会の大室精一副会長は、「この場所にふさわしい歌を残せた意義は大きい」と振り返る。
- 「決して後ろ向きの歌ではない」と解釈するのは実行委員の一人で、「湘南啄木文庫」主宰の佐藤勝さんだ。最後の「眼をあける」に、「静かな希望がある」と見ている。
- 啄木忌は4月13日。「毎年ここで全国のお客様をお迎えするんですよ」と地元の町会長だった井上義一さん。熱いファンと温かい地元のまなざしに守られ、志半ばだった青年の思いは終焉(しゅうえん)の地で生き続けるのかもしれない。(権敬淑)
(2019-02-21 朝日新聞)
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