[クレロレンドルム スペキシオシム]
(生老病死)安心求め、もがくKokoro 山折哲雄
啄木は短歌をつくりながら、「こころ」と「心」については区別立てをしていなかった。それは、すぐ目の前の「暗い心」に自分のこころをつかまれていたからだった。漱石のように、小説『心』の連載をはじめながら、途中になってはっと気がつき、本にするときに「こころ」と改めたのとは事情を異にするのだ。啄木は啄木で自分の心の暗い穴のかなたに不気味な世界が横たわっていることを鋭く感じていたのである。
彼の歌には青春のみずみずしい心をうたったつぎのような一首も知られている。
不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて
空に吸はれし十五の心
『一握の砂』に出てくる一首だ。けれども、やがて彼の不倫遍歴が愛妻節子のこころに拭いがたい苦患(くげん)の跡を刻んでいく。
真に自分が求めているのは、もはや名ではない、知識でもない、もちろん金ではない。「予の心の底から求めているものは、安心だ、きっとそうだ!」と、絶叫のような声をあげているのである。(宗教学者)
(2019-02-09 朝日新聞)
(生老病死)安心求め、もがくKokoro 山折哲雄:朝日新聞デジタル