[飛行機]
(社説)キーン氏逝く 愛情と苦言を残して
- 日本文学研究者のドナルド・キーンさんが亡くなった。繊細さとあふれる情熱をもって、骨太でスケールの大きな仕事に挑み続けた学究だった。日本文学は決して日本だけのものではない。世界の人々の心を打つ不滅の作品なのだと確信し、期待してやまなかった。
「何より人間に興味がある」
- 本に親しんできた日本人が、テレビやゲームに興じ、古典と向き合う時間をなくしてしまっている風潮も惜しんだ。近年は、現代の私たちに通ずる孤独や、自信と不安が背中合わせの矛盾を描いているとして、啄木の作品を勧めていた。豊かな文化の中に可能性がある――。キーンさんの言葉を、静かにかみしめたい。
(2019-02-26 朝日新聞)
ユーモアと笑顔、憧れだった ドナルド・キーンさんを悼む
小説家・平野啓一郎
- 1975年生まれの私にとって、ドナルド・キーンという名前は、戦後文学の黄金時代と密接に結びついた半ば伝説的な、憧れの対象だった
- 私が初めてキーンさんにお目にかかったのは、2006年に公開対談を行った時だった。楽屋に挨拶に伺ったはいいものの、そこから会話が始まってしまい、本番前に二時間も喋って、このあと九十分も舞台で話がもつだろうかと肝を冷やした。
- キーンさんとはその後、何度となく、色々な場所でお話しさせて戴いたが、二度目にお目にかかった『私と20世紀のクロニクル』刊行時の記念対談では、別れ際に手を差し延べられて、「友達になりましょう!」と仰(おっしゃ)り、私は恐縮するやら、感激するやらで、慌てて両手で握手をした。
- キーンさんが谷崎や三島と、どこかで再会して談笑している光景を思い描くと、何とも言えず胸がいっぱいになる。その会話にこそ、私も参加したくなる。
(2019-02-26 朝日新聞)
ユーモアと笑顔、憧れだった ドナルド・キーンさんを悼む 小説家・平野啓一郎:朝日新聞デジタル
2月26日 編集手帳
- 松尾芭蕉の終焉の地は大坂の御堂筋だった。花屋の貸座敷で病に伏しながら詠んだ句は知られる。<旅に病んで夢は枯野をかけ廻る>。
- 司馬遼太郎さんはドナルド・キーンさんを連れて御堂筋を散歩したことがある。そのときキーンさんから「花屋」跡を尋ねられ、困惑した。大阪人でありながら 場所が分からない。方々歩き回り、やっとのことで碑を見つけた。
- 教えてもらうことのほうが多かった。芭蕉、近松門左衛門、石川啄木、太宰治…研究や翻訳のすそのは広い。文学のうちに繊細な美意識や感受性を見つけ海外に伝えるばかりか、日本にこれでもかというほど再発見という贈り物をくれたキーンさんが96歳で亡くなった。
(2019-02-26 読売新聞)
2月26日 編集手帳 : 編集手帳・よみうり寸評 : 読売新聞オンライン