[ボケ]
(生老病死)心好きたちが頼った歌のリズム 山折哲雄
- 漱石は最晩年、未完に終わった『明暗』を書いているとき、午前は執筆、午後は絵や書や俳句の世界に遊ぼうとしていたようだ。小説書きの苦海から脱出しようともがいていた。
- 彼のいう「則天去私」が、そうありたいと思った理想の境地だったのか、それとも見はてぬ夢想に終わったのか議論の分かれるところだ。「則天」や「去私」が、禅でいう「無私」や「無心」と通じるものだったなら、啄木の「不安」からの脱出、つまり「安心」への道に通じていたかもしれない。
- 啄木の「こころ」は、ときに人を殺したくなるような暗い穴をのぞかせていたが、同時にみずみずしい「十五の心」をみせることもあった。それがガラスの破片の輝きのようにはかないことも承知していた。啄木歌集は、こころのウラとオモテ、その明暗をあますところなくみせてくれる。こころへの偏執が中世の西行のそれに酷似していることにあらためて気づく。
(宗教学者)
(2019-02-23 朝日新聞)
(生老病死)心好きたちが頼った歌のリズム 山折哲雄:朝日新聞デジタル