〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

2012-04-01から1ヶ月間の記事一覧

啄木の命日 101回忌法要

啄木が少年時代を過ごした、盛岡市玉山区の宝徳寺で101回忌法要が行われました。啄木は26歳という若さで亡くなりました。 法要では没後100年記念事業のひとつとして、新たに製作された「啄木かるた」が奉納されました。啄木の詩集、「一握の砂」「悲しき玩具…

「愛される啄木 今後も末永く」 盛岡で101回忌

ことし没後100年を迎えた盛岡市玉山区出身の歌人石川啄木の命日に当たる13日、第101回啄木忌の法要(啄木祭実行委員会主催)が、啄木の父が住職を務めた宝徳寺(玉山区渋民)で営まれた。 地元住民や関係者ら約140人が出席。実行委の嵯蛾忠雄委員長が「節目…

啄木没後100年思いはせる 市民ら墓参 講演会も【函館】

函館ゆかりの歌人、石川啄木の命日に当たる13日、函館啄木会(岡田弘子代表理事)による「啄木忌」が函館市住吉町の東海山地蔵堂で営まれた。関係者や市民ら約70人が参列。没後100年を迎え、大森浜を望む地で安らかに眠る啄木に思いをはせ、静かに手を合わせ…

啄木没後100年―室蘭・海岸町の公園で父に花束捧ぐ

室蘭市海岸町3の公園に啄木の父・一禎さんが住んでいたことを表す文学プレートがあるが13日、設置に携わった2人が花束を捧げ、感慨を新たにした。 設置したのは今はない室蘭中央ライオンズクラブ。「室蘭に父親がいたことを知ってほしい」と願って立てたプ…

没後100年、旭川駅に啄木像 短歌モチーフに

石川啄木の没後100年を記念し北海道旭川市のJR旭川駅に啄木像が設置された。歌集「一握の砂」から旭川ゆかりの短歌が刻まれている。 (2012-04-13 共同通信>写真ニュース)

没後100年 啄木しのぶ

函館で愛好家墓参り 旭川に像と歌碑 函館市住吉町の東海山地蔵堂では啄木忌の13日、啄木の没後100年の法要が行われた。啄木の一周忌に結成され、毎年法要を開く「函館啄木会」(岡田弘子会長)の主催で、道内外の啄木愛好家など約60人が参加した。法要後、参…

啄木の命日:旭川で像の除幕 函館で追悼式

像を建立したのは、「旭川に石川啄木の歌碑を建てる会」(相川正志会長)。10年に、東京旭川会と市幹部が懇談した際、同市出身で国際啄木学会前会長の近藤典彦・元群馬大教授が「旭川駅前に啄木の歌碑を」と提案。市民有志が会を設立し、約800万円の資金を募…

啄木歌碑像、旭川で除幕 没後100年、函館では追悼会

明治の歌人石川啄木の没後100年の命日に当たる13日、市民団体「旭川に石川啄木の歌碑を建てる会」が、市民やファンらの募金で建てた歌碑付きの啄木像の除幕式を、JR旭川駅の旭川観光物産情報センターで行った。 式には東京旭川会会員ら約300人が出席。歌碑を…

講演会 啄木終焉の地で開催

[講演会のようす] 講演「文京区と啄木の歌」について 講師 佐藤 勝 ○ 2012年4月13日 ○ 場所:東京都文京区 中ノ郷信用組合小石川支店(文京区小石川5-24-6) 没後100年の今年、文京区久堅西町会会長の井上義一さんら地元有志が、初めて法要と啄木をしのぶ講…

小社会

啄木は嘘つきでもあった。26歳で早世したとき、与謝野晶子が新聞に寄せた9首の哀悼歌に、〈いろいろに入り交りたる心より君は尊とし嘘は云(い)えども〉などと「啄木の嘘」を詠んだ歌が二つ。切ない思いの一方、冷めたまなざしも感じられる。 新聞社の校正…

産経抄

〈地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつゝ秋風を聴く〉。きょう没後100年を迎える石川啄木による、韓国併合批判の歌として知られる。。 (2012-04-13 産経新聞>産経抄)

コラム > 春秋

石川啄木は、没年の明治45年までの4年間は東京で暮らした。こんな歌も残している。〈浅草の凌雲閣のいただきに/腕組みし日の/長き日記(にき)かな〉 凌雲閣は明治半ばに造られた。れんが造りの12階建てで高さは約50メートル。 凌雲閣が関東大震災で姿を消…

秋田のニュース:北斗星

岩手県で生まれた明治の歌人石川啄木は、鹿角と縁がある。母方の曽祖母熊谷ヱイは、鹿角市毛馬内の出身。長姉サダは、夫が勤める小坂鉱山の長屋で29歳で病没した。そして長詩「鹿角の国を憶ふ歌」の存在。ただし、啄木が実際に鹿角を訪れたかどうかは研究者…

日経-春秋

あすが死後100年にあたる石川啄木が詠んでいる。「草に臥(ね)て/おもふことなし/わが額(ぬか)に糞(ふん)して鳥は空に遊べり」。空はぼうっと眺めるもの、落ちてくるのはせいぜい鳥の糞。平和とはそういうものである。 (2012-04-12 日経新聞>日経春…

風土計

「石川は遂に死んだ」。直接的表現で始まるこの文章は、啄木の歌集「悲しき玩具」のあとがき。刊行を委ねられた友人の土岐哀果(善麿)が記した。 「眼(め)閉づれど、/心にうかぶ何もなし。/ さびしくも、また、眼をあけるかな。」。歌集の2番目に掲載…

越山若水

「あともう何本もすうわけではないからと 禁煙のうやむやに 年改まる」。三行歌の先駆者、土岐善麿は94歳まで長生きした人だが、晩年に禁煙を試みたようだ。 「我は今のこる最後の一本の煙草(たばこ)を把(と)りてつくづくと見る」。善麿の友人、石川啄木…

コラム 筆洗

震災後一年になる少し前、石川啄木の故郷、岩手・盛岡を訪れることがあった。市内の北上川沿いにある渋民公園はまだ雪に覆われていた。よく晴れた日で、啄木の歌碑ごしに真白い岩手山の堂々たる姿が見えた。 この歌人が、わずか二十六年の生涯を閉じたのは明…

きょうの潮流

7万本の松が津波で消えた、岩手県陸前高田市の高田松原。残る一本松、転がる流木や水に没した根元が、わずかな形見です。松原にあった石川啄木の歌碑の再建へ、市民や啄木ファンが動き出しました。 「いのちなき砂のかなしさよ/さらさらと/握れば指のあひ…

盛岡 啄木没後100年で法要

13日は、父親が僧侶だった啄木が幼いころを過ごした盛岡市の「宝徳寺」で法要が営まれ、全国から啄木のファンや研究者などが参列しました。 ことしは、地元の有志などが企画して、啄木の歌からえりすぐった100首を使ったかるたが新たに作られ、祭壇にささげ…

石川啄木の歌碑付き像除幕式 -旭川市

旭川に石川啄木の歌碑を建てる会が旭川市民や出身者らに募金を呼びかけて建立した歌碑付きの啄木像の除幕式を命日の4月13日に合わせて行う。 デザインしたのは旭川出身の造形作家、中村園(その)さん。台座の階段を3段上ると、啄木の隣の席が空いていて、…

啄木ゆかりの街並み追体験 盛岡で企画展 4/11~7/14

石川啄木が青春時代を過ごした盛岡の街並みを、イラストなどで紹介する企画展「啄木と盛岡――美しい追憶の都」が11日、もりおか啄木・賢治青春館(盛岡市中ノ橋通1丁目)で始まった。 盛岡市在住の元教員吉田矩彦さんが、啄木が20歳の頃に発表した小説「雲は…

ふるさとの歌 啄木没後百年・3

盛岡に暮らし、石川啄木の歌を聞いたことはあった。でも、「郷土の偉人というと取っつきにくい感じがして」。岩手大教育学部付属中学2年の石川隼人君(13)が啄木に興味をもち始めたのは、同付属小5年生のとき。 百回忌だった昨年、盛岡市玉山区で開かれた…

小国露堂:啄木の社会主義傾倒に影響 啄木の死から100年、写真見つかる /岩手

歌人、石川啄木の北海道時代に濃密な交際を重ね、啄木が社会主義に傾斜していくのに影響を与えた宮古出身の新聞記者、小国露堂の写真が見つかった。写真からは、啄木に社会主義と記者の道を熱く説くことになる露堂の若き日の信念が見て取れる。【鬼山親芳】 …

「啄木 うたの風景 第2回」岩手日報

[「石川啄木終焉の地」解説板] <碑でたどる足跡> [啄木 うたの風景 第2回] 終焉の地(東京都文京区) 等光寺(台東区) 孤独際立つ都市生活 小石川区久堅町、今は文京区小石川5丁目にかつてあった「石川啄木終焉の地」の石柱は姿を消し、家があった場所…

啄木と節子、最晩年の姿 函館市文学館で企画展

日記や書簡は、遺族から寄贈・永久寄託を受けて管理する函館市中央図書館と函館啄木会の協力により展示。 節子の手紙は、1908(明治41)年8月27日付の宮崎大四郎宛ての直筆書簡を初公開。道内各地を転々とした後、文学で身を立てようと妻子を函館に置いて上…

啄木の直筆日記など展示 函館市文学館

啄木直筆の日記を展示した特別企画展 今年で没後100年を迎える歌人・石川啄木を資料でたどる特別企画展「石川啄木の終焉と妻節子」が、函館市文学館(市内末広町)で始まった。 直筆展示コーナーでは、啄木の日記や書簡など直筆8点を含む25点を紹介。1911年…

4月12日付・啄木没後100年

子どもの頃、家が貧乏なのは石川啄木のせいで、啄木を石川五右衛門の弟かと思っていた、と国語学者の故金田一春彦が「わが青春の記」に書いている。 貧窮と遊蕩、矜持と失意。葛藤の中から、広く愛誦される歌を紡ぎ出した。「安っぽいセンチメンタリズム」と…

石川啄木:あす没後100年 各地で行事 /北海道

13日は石川啄木の命日である「啄木忌」。今年は没後100周年に当たり、道内でも啄木ゆかりの地でファンらによる記念イベントが目白押しだ。 函館中央図書館では特別企画展「石川啄木の終焉(しゅうえん)と妻節子」を開催中。小樽市は市内の中高生を対象にし…

啄木の墓なぜ函館に あす没後100年 歌、友…人生に転機

明治の歌人・石川啄木が没してから13日で100年を迎える。故郷の盛岡市のほか、函館・大森浜を眼下に望む立待岬の石川啄木一族の墓でも「啄木忌」が営まれる。啄木の骨は生前132日間しか滞在しなかった函館で土に返った。啄木にとって函館は、永眠するほど縁…

4月12日付 編集手帳

何年か前、『読売俳壇』で読んだ句がある。〈職探す人に幸あれ啄木忌〉(上田久幸)。仕事を探して各地を転々と放浪した歌人に、現代の就職難を重ねている。 石川啄木は最後の記述となった1912年(明治45年)2月20日の日記にも金策の憂いを綴っている。あり…