〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

「啄木 うたの風景 第2回」岩手日報


[「石川啄木終焉の地」解説板]


<碑でたどる足跡>
[啄木 うたの風景 第2回]
  終焉の地(東京都文京区) 等光寺(台東区
孤独際立つ都市生活

  • 小石川区久堅町、今は文京区小石川5丁目にかつてあった「石川啄木終焉の地」の石柱は姿を消し、家があった場所に建つマンションの壁に小さな解説板が張り付けてある。
  • 1912年(明治45)4月13日午前9時半。啄木はこの借家で静かに息を引き取った。26歳の短い人生だった。後に若山牧水が記した文章によると、初夏のように暑い日で、庭の八重桜が空を覆うように咲いていたという。
  • 没後100年の今年は、久堅西町会会長の井上義一さんら地元有志が法要と啄木をしのぶ講演会を初めて企画した。
  • 「終焉の地」の石柱は、隣接地との境界に建っていたことから東京都教委が2007年12月に撤去。解説板のあるマンションの所有者も、啄木に家を貸した一家の子孫から別の所有者に代わった。
  • 啄木の葬儀は4月15日、土岐善麿の好意により、土岐の生家、等光寺で営まれた。

   浅草の夜のにぎはひに
   まぎれ入り
   まぎれ出で来しさびしき心

  • 1955年10月27日。等光寺の門を入ってすぐ右側に歌碑が建てられた。黒御影石に啄木の肖像が添えられている。当時の浅草は庶民の歓楽街としてにぎわいをみせていた。繁華街の人の群れの中にまぎれるように入り込み、そって出て来るという情景に、都市生活者の孤独と悲哀を浮かび上がらせている。

○「終焉の地」の石柱について、国際啄木学会東京支部(大室精一支部長)は、地元文京区などに再建を働き掛けている。
(学芸部・小山田泰裕)

(2012-04-11 岩手日報