〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

2012-04-13から1日間の記事一覧

小社会

啄木は嘘つきでもあった。26歳で早世したとき、与謝野晶子が新聞に寄せた9首の哀悼歌に、〈いろいろに入り交りたる心より君は尊とし嘘は云(い)えども〉などと「啄木の嘘」を詠んだ歌が二つ。切ない思いの一方、冷めたまなざしも感じられる。 新聞社の校正…

産経抄

〈地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつゝ秋風を聴く〉。きょう没後100年を迎える石川啄木による、韓国併合批判の歌として知られる。。 (2012-04-13 産経新聞>産経抄)

コラム > 春秋

石川啄木は、没年の明治45年までの4年間は東京で暮らした。こんな歌も残している。〈浅草の凌雲閣のいただきに/腕組みし日の/長き日記(にき)かな〉 凌雲閣は明治半ばに造られた。れんが造りの12階建てで高さは約50メートル。 凌雲閣が関東大震災で姿を消…

秋田のニュース:北斗星

岩手県で生まれた明治の歌人石川啄木は、鹿角と縁がある。母方の曽祖母熊谷ヱイは、鹿角市毛馬内の出身。長姉サダは、夫が勤める小坂鉱山の長屋で29歳で病没した。そして長詩「鹿角の国を憶ふ歌」の存在。ただし、啄木が実際に鹿角を訪れたかどうかは研究者…

日経-春秋

あすが死後100年にあたる石川啄木が詠んでいる。「草に臥(ね)て/おもふことなし/わが額(ぬか)に糞(ふん)して鳥は空に遊べり」。空はぼうっと眺めるもの、落ちてくるのはせいぜい鳥の糞。平和とはそういうものである。 (2012-04-12 日経新聞>日経春…

風土計

「石川は遂に死んだ」。直接的表現で始まるこの文章は、啄木の歌集「悲しき玩具」のあとがき。刊行を委ねられた友人の土岐哀果(善麿)が記した。 「眼(め)閉づれど、/心にうかぶ何もなし。/ さびしくも、また、眼をあけるかな。」。歌集の2番目に掲載…

越山若水

「あともう何本もすうわけではないからと 禁煙のうやむやに 年改まる」。三行歌の先駆者、土岐善麿は94歳まで長生きした人だが、晩年に禁煙を試みたようだ。 「我は今のこる最後の一本の煙草(たばこ)を把(と)りてつくづくと見る」。善麿の友人、石川啄木…

コラム 筆洗

震災後一年になる少し前、石川啄木の故郷、岩手・盛岡を訪れることがあった。市内の北上川沿いにある渋民公園はまだ雪に覆われていた。よく晴れた日で、啄木の歌碑ごしに真白い岩手山の堂々たる姿が見えた。 この歌人が、わずか二十六年の生涯を閉じたのは明…

きょうの潮流

7万本の松が津波で消えた、岩手県陸前高田市の高田松原。残る一本松、転がる流木や水に没した根元が、わずかな形見です。松原にあった石川啄木の歌碑の再建へ、市民や啄木ファンが動き出しました。 「いのちなき砂のかなしさよ/さらさらと/握れば指のあひ…

盛岡 啄木没後100年で法要

13日は、父親が僧侶だった啄木が幼いころを過ごした盛岡市の「宝徳寺」で法要が営まれ、全国から啄木のファンや研究者などが参列しました。 ことしは、地元の有志などが企画して、啄木の歌からえりすぐった100首を使ったかるたが新たに作られ、祭壇にささげ…

石川啄木の歌碑付き像除幕式 -旭川市

旭川に石川啄木の歌碑を建てる会が旭川市民や出身者らに募金を呼びかけて建立した歌碑付きの啄木像の除幕式を命日の4月13日に合わせて行う。 デザインしたのは旭川出身の造形作家、中村園(その)さん。台座の階段を3段上ると、啄木の隣の席が空いていて、…

啄木ゆかりの街並み追体験 盛岡で企画展 4/11~7/14

石川啄木が青春時代を過ごした盛岡の街並みを、イラストなどで紹介する企画展「啄木と盛岡――美しい追憶の都」が11日、もりおか啄木・賢治青春館(盛岡市中ノ橋通1丁目)で始まった。 盛岡市在住の元教員吉田矩彦さんが、啄木が20歳の頃に発表した小説「雲は…

ふるさとの歌 啄木没後百年・3

盛岡に暮らし、石川啄木の歌を聞いたことはあった。でも、「郷土の偉人というと取っつきにくい感じがして」。岩手大教育学部付属中学2年の石川隼人君(13)が啄木に興味をもち始めたのは、同付属小5年生のとき。 百回忌だった昨年、盛岡市玉山区で開かれた…

小国露堂:啄木の社会主義傾倒に影響 啄木の死から100年、写真見つかる /岩手

歌人、石川啄木の北海道時代に濃密な交際を重ね、啄木が社会主義に傾斜していくのに影響を与えた宮古出身の新聞記者、小国露堂の写真が見つかった。写真からは、啄木に社会主義と記者の道を熱く説くことになる露堂の若き日の信念が見て取れる。【鬼山親芳】 …

「啄木 うたの風景 第2回」岩手日報

[「石川啄木終焉の地」解説板] <碑でたどる足跡> [啄木 うたの風景 第2回] 終焉の地(東京都文京区) 等光寺(台東区) 孤独際立つ都市生活 小石川区久堅町、今は文京区小石川5丁目にかつてあった「石川啄木終焉の地」の石柱は姿を消し、家があった場所…