〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

石川啄木が通った旧制盛岡中の図書庫、盛岡に戻る


[ニガナ]


みちのく建物探訪
 盛岡市・旧制盛岡中図書庫 解体の危機、市民救う

  • 盛岡駅から北上川沿いを車で10分ほど下ると、湧き水が流れる共同井戸や町家が並ぶ通りがある。城下町の風情を残すこの場所は、鉈屋町(なたやちょう)だ。一番端にある町家の通り土間を抜けると、小庭にたたずむ赤い屋根瓦の白い蔵が現れた。建物は、宮沢賢治石川啄木が通った旧制盛岡中の図書庫だった。岩手県宮古市に一時移転されていたが、昨春に古里、盛岡に戻った。
  • 1892(明治25)年建造の蔵は、2階建てで延べ床面積は約112平方メートルになる。啄木は旧制盛岡中に通っていた時、「学校の図書庫の裏の秋の草 黄なる花咲きし 今も名知らず」と詠んだ。
  • 旧制中学の校舎は1917年に移転したが、蔵はそのまま残った。それからは、旧日本赤十字盛岡支部の病院倉庫として使われた。その後、明治の文豪・徳冨蘆花の小説「寄生木(やどりぎ)」の世界を紹介する「寄生木記念館」として生まれ変わった。
  • 記念館の収蔵品が2010年、新設の公民館に移されることになり、蔵はボランティア団体「盛岡まち並み研究会」が引き継ぐことになった。2013年に宮古から解体して盛岡に搬送し、翌年3月に鉈屋町に再建した。 蔵の周りでは静かな時間が流れる。2度の解体の危機を乗り切り、明治の面影を今に伝える。【藤井朋子】

(2015-07-04 毎日新聞

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