〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

石川啄木 著(P.76〜77)はても見えぬ


[ネジバナ]


我を愛する歌


(P.76)


   はても見えぬ
   真直の街をあゆむごとき
   こころを今日は持ちえたるかな


   何事も思ふことなく
   いそがしく
   暮らせし一日を忘れじと思ふ


<ルビ>真直=ますぐ。一日=ひとひ。


(P.77)


   何事も金金とわらひ
   すこし経て
   またも俄かに不平つのり来


   誰そ我に
   ピストルにても撃てよかし
   伊藤のごとく死にて見せなむ


<ルビ>金金=かねかね。俄かに=にはかに。来=く。誰=た。

石川啄木 著(P.74〜75)男とうまれ男と交り


[ワレモコウ]


我を愛する歌


(P.74)


   男とうまれ男と交り
   負けてをり
   かるがゆゑにや秋が身に沁む


   わが抱く思想はすべて
   金なきに因するごとし
   秋の風吹く
 

<ルビ>交り=まじり。


(P.75)


   くだらない小説を書きてよろこべる
   男憐れなり
   初秋の風


   秋の風
   今日よりは彼のふやけたる男に
   口を利かじと思ふ


<ルビ>初秋=はつあき。彼の=かの。


《つぶやき》
秋が身に沁む・秋の風吹く・初秋の風・秋の風、秋の歌が見開き二ページに広がる。
本日より9月。

石川啄木 著(P.72〜73)顔あかめ怒りしことが


[雨のあと・ヒペリカム・ヒドコート]


我を愛する歌


(P.72)


   顔あかめ怒りしことが
   あくる日は
   さほどにもなきをさびしがるかな


   いらだてる心よ汝はかなしかり
   いざいざ
   すこし呿呻などせむ


<ルビ>怒り=いかり。汝=なれ。呿呻=あくび。


(P.73)


   女あり
   わがいひつけに背かじと心を砕く
   見ればかなしも


   ふがひなき
   わが日の本の女等を
   秋雨の夜にののしりしかな


<ルビ>背かじ=そむかじ。日の本=ひのもと。女等=をんなら。秋雨=あきさめ。

石川啄木 著(P.70〜71)叱られて


[ゼニアオイ]


我を愛する歌


(P.70)


   叱られて
   わつと泣き出す子供心
   その心にもなりてみたきかな


   盗むてふことさへ悪しと思ひえぬ
   心はかなし
   かくれ家もなし
 

<ルビ>子供心=こどもごころ。悪し=あし。かくれ家=かくれが。


(P.71)


   放たれし女のごときかなしみを
   よわき男の
   感ずる日なり


   庭石に
   はたと時計をなげうてる
   昔のわれの怒りいとしも


《つぶやき》
「放たれし女のごときかなしみを」の歌は、この歌集『一握の砂』後、啄木が亡くなってから発行された『悲しき玩具』の歌と≪放たれし女のごと≫のことばが同じである。

   放たれし女のごとく、
   わが妻の振舞ふ日なり。
    ダリヤを見入る。

二つの歌に出てくる男と女の違いが興味深い。

石川啄木 著(P.68〜69)夜明けまであそびてくらす場所が欲し


[バイカウツギ]


我を愛する歌


(P.68)


   夜明けまであそびてくらす場所が欲し
   家をおもへば
   こころ冷たし


   人みなが家を持つてふかなしみよ
   墓に入るごとく
   かへりて眠る


(P.69)


   何かひとつ不思議を示し
   人みなのおどろくひまに
   消えむと思ふ


   人といふ人のこころに
   一人づつ囚人がゐて
   うめくかなしさ


《つぶやき》
「何かひとつ不思議を示し」の歌からは、人生の幕引きを思った。

  • 啄木の妻節子の臨終のようすを宮崎郁雨が伝えている。
    • そして目を閉じて『もう死ぬから皆さんさようなら』と云ひましたが、二三分してまた目を開き『なかなか死なないものですねえ』と云った時はもう皆が泣いてゐた時でした。それからもう一度『皆さんさようなら』と云って目を閉じると、口から黄色い泡を一寸出しましたがそれで永久のわかれでありました。

石川啄木 著(P.66〜67)あたらしき心もとめて


[ワスレナグサ]


我を愛する歌


(P.66)


   あたらしき心もとめて
   名も知らぬ
   街など今日もさまよひて来ぬ


   友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
   花を買ひ来て
   妻としたしむ
   

<ルビ>来ぬ=きぬ。


(P.67)


   何すれば
   此処に我ありや
   時にかく打驚きて室を眺むる


   人ありて電車のなかに唾を吐く
   それにも
   心いたまむとしき


<ルビ>何=なに。此処=ここ。打驚き=うちおどろき。室=へや。唾=つば。


《つぶやき》
「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ」と、啄木は誰しも抱く感情をさらりと表す。啄木の癒しは花に妻。
自分はなんだろうと、思いに耽る。

石川啄木 著(P.64〜65)誰が見ても


我を愛する歌


(P.64)


   誰が見ても
   われをなつかしくなるごとき
   長き手紙を書きたき夕


   うすみどり
   飲めば身体が水のごと透きとほるてふ
   薬はなきか
   

<ルビ>誰=たれ。夕=ゆふべ。身体=からだ。


(P.65)


   いつも睨むラムプに飽きて
   三日ばかり
   蝋燭の火にしたしめるかな


   人間のつかはぬ言葉
   ひよつとして
   われのみ知れるごとく思ふ日


<ルビ>睨む=にらむ。三日=みか。蝋燭=らふそく。


《つぶやき》
「うすみどり」の歌は、キアゲハの幼虫がサナギになるときの様子を思い出す。幼虫は身体中の不要なものを全て出し、透き通る淡い緑色になるという。悶え苦しみながら、しかも自分の脱皮した皮を食べながらだそうだが…。わたしは、透明になりたいと願う啄木の気持ちに未来を感じる。

石川啄木 著(P.62〜63)ある日のこと

[クヌギ]


我を愛する歌


(P.62)


   ある日のこと
   室の障子をはりかへぬ
   その日はそれにて心なごみき


   かうしては居られずと思ひ
   立ちにしが
   戸外に馬の嘶きしまで
   

<ルビ>室=へや。居られず=をられず。戸外=おもて。嘶き=いななき。


(P.63)


   気ぬけして廊下に立ちぬ
   あららかに扉を推せしに
   すぐ開きしかば


   ぢつとして
   黒はた赤のインク吸ひ
   堅くかわける海綿を見る


<ルビ>扉=ドア。推せ=おせ。開き=あき。

石川啄木 著(P.60〜61)邦人の顔たへがたく卑しげに


[焼きたての麺麭に似たり]


我を愛する歌


(P.60)


   邦人の顔たへがたく卑しげに
   目にうつる日なり
   家にこもらむ


   この次の休日に一日寝てみむと
   思ひすごしぬ
   三年このかた


<ルビ>邦人=くにびと。休日=やすみ。一日=いちにち。三年=みとせ。


(P.61)


   或る時のわれのこころを
   焼きたての
   麺麭に似たりと思ひけるかな


   たんたらたらたんたらたらと
   雨滴が
   痛むあたまにひびくかなしさ


<ルビ>或る時=あるとき。麺麭=ぱん。雨滴=あまだれ。


《つぶやき》
自分を肯定し自分を好きだと思うこころは、ひとが生きていくときにとても重要になる。「或る時のわれのこころを…」を読むと、啄木がどれだけ自分を肯定しているかがわかる。焼きたてのパンに似ている「われのこころ」は、こんがりふわっと温かく、酵母の香りがしているのだろう。

石川啄木 著(P.58〜59)遠方に電話の鈴の鳴るごとく

[アカガシ]


我を愛する歌


(P.58)


   遠方に電話の鈴の鳴るごとく
   今日も耳鳴る
   かなしき日かな


   垢じみし袷の襟よ
   かなしくも
   ふるさとの胡桃焼くるにほひす
   

<ルビ>遠方=ゑんぱう。鈴=りん。垢=あか。袷=あはせ。胡桃=くるみ。


(P.59)


   死にたくてならぬ時あり
   はばかりに人目を避けて
   怖き顔する


   一隊の兵を見送りて
   かなしかり
   何ぞ彼等のうれひ無げなる


<ルビ>怖き=こはき。何ぞ=なにぞ。