[モミジバフウの実]
我を愛する歌
(P.56)
うぬ惚るる友に
合槌うちてゐぬ
施与をするごとき心に
ある朝のかなしき夢のさめぎはに
鼻に入り来し
味噌を煮る香よ
<ルビ>うぬ惚る=うぬぼる。合槌=あひづち。施与=ほどこし。欲り=ほり。来し=きし。
(P.57)
こつこつと空地に石をきざむ音
耳につき来ぬ
家に入るまで
何がなしに
頭のなかに崖ありて
日毎に土のくづるるごとし
[モミジバフウの実]
我を愛する歌
(P.56)
うぬ惚るる友に
合槌うちてゐぬ
施与をするごとき心に
ある朝のかなしき夢のさめぎはに
鼻に入り来し
味噌を煮る香よ
<ルビ>うぬ惚る=うぬぼる。合槌=あひづち。施与=ほどこし。欲り=ほり。来し=きし。
(P.57)
こつこつと空地に石をきざむ音
耳につき来ぬ
家に入るまで
何がなしに
頭のなかに崖ありて
日毎に土のくづるるごとし
[ヘクソカズラ]
我を愛する歌
(P.52)
人並の才に過ぎざる
わが友の
深き不平もあはれなるかな
誰が見てもとりどころなき男来て
威張りて帰りぬ
かなしくもあるか
(P.53)
はたらけど
はたらけど猶わが生活楽にならざり
ぢつと手を見る
何もかも行末の事みゆるごとき
このかなしみは
拭ひあへずも
<ルビ>猶=なほ。生活=くらし。拭ひ=ぬぐひ。
《つぶやき》
“はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢつと手を見る”
この方法でGoogle検索をいれたら、17500件ヒットした。興味を覚えたので他の有名そうな歌も検索してみた。
今日の歌
検索方法により違いは出るが、現在、「はたらけど…」がダントツ。今の世に一番フィットしているのだろうか。
我を愛する歌
(P.50)
我に似し友の二人よ
一人は死に
一人は牢を出でて今病む
あまりある才を抱きて
妻のため
おもひわづらふ友をかなしむ
<ルビ>牢=ろう。出で=いで。
(P.51)
打明けて語りて
何か損をせしごとく思ひて
友とわかれぬ
どんよりと
くもれる空を見てゐしに
人を殺したくなりにけるかな
<ルビ>打明けて=うちあけて。
《つぶやき》
「どんよりと」の歌は、2008年6月の秋葉原無差別殺傷事件を思い出す。中止されていた歩行者天国がおととい(23日)再開され、10万人もの人で賑わった。そして今日、検察側が事件の被告に死刑を求刑した。
[サルスベリ]
我を愛する歌
(P.44)
時ありて
子供のやうにたはむれす
恋ある人のなさぬ業かな
とかくして家を出づれば
日光のあたたかさあり
息ふかく吸ふ
<ルビ>業=わざ。
(P.45)
つかれたる牛のよだれは
たらたらと
千万年も尽きざるごとし
路傍の切石の上に
腕拱みて
空を見上ぐる男ありたり
<ルビ>路傍=みちばた。切石=きりいし。腕拱みて=うでくみて。
[浅草の凌雲閣(浅草寿町)]
我を愛する歌
(P.42)
ことさらに燈火を消して
まぢまぢと思ひてゐしは
わけもなきこと
浅草の凌雲閣のいただきに
腕組みし日の
長き日記かな
<ルビ>燈火=ともしび。凌雲閣=りよううんかく。腕組み=うでくみ。日記=にき。
(P.43)
尋常のおどけならむや
ナイフ持ち死ぬまねをする
その顔その顔
こそこその話がやがて高くなり
ピストル鳴りて
人生終る
<ルビ>尋常=じんじやう。人生終る=じんせいをはる。
啄木の息・文学散歩/浅草
[見上げれば…]
我を愛する歌
(P.40)
目の前の菓子皿などを
かりかりと噛みてみたくなりぬ
もどかしきかな
よく笑ふ若き男の
死にたらば
すこしはこの世のさびしくもなれ
<ルビ>菓子皿=くわしざら。
(P.41)
何がなしに
息きれるまで駆け出してみたくなりたり
草原などを
あたらしき背広など着て
旅をせむ
しかく今年も思ひ過ぎたる
<ルビ>草原=くさはら。
《つぶやき》
「あたらしき背広など着て」は、迷わず萩原朔太郎にリンクする。
「旅上」 萩原朔太郎
ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背廣をきて
きままなる旅にいでてみん。
汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもはむ
五月の朝のしののめ
うら若草のもえいづる心まかせに。
[ホオズキ]
我を愛する歌
(P.38)
死ね死ねと己を怒り
もだしたる
心の底の暗きむなしさ
けものめく顔あり口をあけたてす
とのみ見てゐぬ
人の語るを
<ルビ>己を怒り=おのれをいかり。
(P.39)
親と子と
はなればなれの心もて静かに対ふ
気まづきや何ぞ
かの船の
かの航海の船客の一人にてありき
死にかねたるは
<ルビ>対ふ=むかふ。何ぞ=なぞ。船客=せんかく。
《つぶやき》
「けものめく顔あり口をあけたてす」る、その相手を啄木は好きではない。いや、嫌いだ。いくら自分の考えに囚われていったとしても、「けものめく」とは言うまい。