〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

石川啄木 著(P.36〜37)空寝入生呿呻など

[ヒノキ]


我を愛する歌


(P.36)


   空寝入生呿呻など
   なぜするや
   思ふこと人にさとらせぬため


   箸止めてふつと思ひぬ
   やうやくに
   世のならはしに慣れにけるかな



<ルビ>空寝入=そらねいり。生呿呻=なまあくび。


(P.37)


   朝はやく
   婚期を過ぎし妹の
   恋文めける文を読めりけり


   しつとりと
   水を吸ひたる海綿の
   重さに似たる心地おぼゆる


<ルビ>海綿=かいめん。

石川啄木 著(P.34〜35)剽軽の性なりし友の死顔の


[リンドウ]


我を愛する歌


(P.34)


   剽軽の性なりし友の死顔の
   青き疲れが
   いまも目にあり


   気の変る人に仕へて
   つくづくと
   わが世がいやになりにけるかな


<ルビ>剽軽の性=へうきんのさが。死顔=しにがほ。


(P.35)


   龍のごとくむなしき空に躍り出でて
   消えゆく煙
   見れば飽かなく


   こころよき疲れなるかな
   息もつかず
   仕事をしたる後のこの疲れ


<ルビ>龍=りよう。躍り出でて=をどりいでて。後=のち。


《つぶやき》
あるある探検隊」(…死語?)ではないが、啄木の歌は「こんなことあるある」と思ってしまうことがよくある。ここでは「気の変る人に仕へて」「こころよき疲れなるかな」に共感する。

石川啄木 著(P.32〜33)死ぬことを

[緑オクラ・赤オクラ]


我を愛する歌


(P.32)


   死ぬことを
   持薬をのむがごとくにも我はおもへり
   心いためば


   路傍に犬ながながと呿呻しぬ
   われも真似しぬ
   うらやましさに


<ルビ>路傍=みちばた。呿呻=あくび。真似=まね。


(P.33)


   真剣になりて竹もて犬を撃つ
   小児の顔を
   よしと思へり


   ダイナモ
   重き唸りのここちよさよ
   あはれこのごとく物を言はまし


<ルビ>小児=せうに。

石川啄木 著(P.30〜31)大いなる彼の身体が

[コスモス]


我を愛する歌


(P.30)


   大いなる彼の身体が
   憎かりき
   その前にゆきて物を言ふ時


   実務には役に立たざるうた人と
   我を見る人に
   金借りにけり


<ルビ>身体=からだ。うた人=うたびと。


(P.31)


   遠くより笛の音きこゆ
   うなだれてある故やらむ
   なみだ流るる


   それもよしこれもよしとてある人の
   その気がるさを
   欲しくなりたり


<ルビ>笛の音=ふえのね。故=ゆゑ。

石川啄木 著(P.28〜29)この日頃

[オオバコ]


我を愛する歌


(P.28)


   この日頃
   ひそかに胸にやどりたる悔あり
   われを笑はしめざり


   へつらひを聞けば
   腹立つわがこころ
   あまりに我を知るがかなしき


<ルビ>この日頃=このひごろ。悔=くい。腹立つ=はらだつ。


(P.29)


   知らぬ家たたき起して
   遁げ来るがおもしろかりし
   昔の恋しさ


   非凡なる人のごとくにふるまへる
   後のさびしさは
   何にかたぐへむ



<ルビ>遁げ来る=にげくる。後=のち。


《つぶやき》
「知らぬ家たたき起して 遁げ来る」は、これはもう全くピンポンダッシュそのもの。初めてこの歌に出会ったときは自分の(正しくない)過去がドッと出てきた。

石川啄木 著(P.26〜27)手が白く

[ゲンノショウコ]


我を愛する歌


(P.26)


   手が白く
   且つ大なりき
   非凡なる人といはるる男に会ひしに


   こころよく
   人を讃めてみたくなりにけり
   利己の心に倦めるさびしさ


<ルビ>且つ=かつ。大なりき=だいなりき。讃めて=ほめて。倦める=うめる。


(P.27)


   雨降れば
   わが家の人誰も誰も沈める顔す
   雨霽れよかし


   高きより飛びおりるごとき心もて
   この一生を
   終るすべなきか


<ルビ>家の人=いへのひと。誰も誰も=たれもたれも。霽れ=はれ。終る=おはる。

石川啄木 著(P.24〜25)かなしきは

[アスパラインゲン]


我を愛する歌


(P.24)


   かなしきは
   飽くなき利己の一念を
   持てあましたる男にありけり


   手も足も
   室いつぱいに投げ出して
   やがて静かに起きかへるかな


<ルビ>室=へや。


(P.25)


   百年の長き眠りの覚めしごと
   呿呻してまし
   思ふことなしに


   腕拱みて
   このごろ思ふ
   大いなる敵目の前に躍り出でよと



<ルビ>百年=ももとせ。呿呻=あくび。腕拱みて=うでくみて。


《つぶやき》
静かに思索し静かに闘いの炎を燃やし静かの心でいたいから、男は狭い畳の部屋でのたうちまわる。

石川啄木 著(P.22〜23)何となく汽車に乗りたく思ひしのみ

[ヤグルマハッカ]


我を愛する歌


(P.22)


   何となく汽車に乗りたく思ひしのみ
   汽車を下りしに
   ゆくところなし


   空家に入り
   煙草のみたることありき
   あはれただ一人居たきばかりに



<ルビ>何となく=なにとなく。空家に入り=あきやにいり。煙草=たばこ。


(P.23)


   何がなしに
   さびしくなれば出てあるく男となりて
   三月にもなれり


   やはらかに積れる雪に
   熱てる頬を埋むるごとき
   恋してみたし


<ルビ>三月=みつき。熱てる頬=ほてるほ。


《つぶやき》
「やはらかに積もれる」"雪"……にではないが、どこでもいいどこかそこらへんの何かに埋まってみたいと頓に感ずる。雪の冷たさと柔らかさ、頬の熱さと心の高まりがいっきに襲ってくる。

石川啄木 著(P.20〜21)何処やらに沢山の人があらそひて

[パンダねこ]


我を愛する歌


(P.20)


   何処やらに沢山の人があらそひて
   鬮引くごとし
   われも引きたし


   怒る時
   かならずひとつ鉢を割り
   九百九十九割りて死なまし


<ルビ>何処=どこ。沢山=たくさん。鬮引く=くじひく。怒る=いかる。九百九十九=くひやくくじふく。


(P.21)


   いつも逢ふ電車の中の小男の
   稜ある眼
   このごろ気になる


   鏡屋の前に来て
   ふと驚きぬ
   見すぼらしげに歩むものかも


<ルビ>小男=こをとこ。稜ある眼=かどあるまなこ。


《つぶやき》
「何処やらに」沢山の人が寄り集まって何かに夢中になっている。自分も中に入りたい……が、外にも居たい。このときの啄木の目は俯瞰だったのではないか。

石川啄木 著(P.18〜19)「さばかりの事に死ぬるや」

[杉の大木]


我を愛する歌


(P.18)


  「さばかりの事に死ぬるや」
  「さばかりの事に生くるや」
   止せ止せ問答


   まれにある
   この平なる心には
   時計の鳴るもおもしろく聴く


<ルビ>止せ=よせ。平なる=たひらなる。


(P.19)


   ふと深き怖れを覚え
   ぢつとして
   やがて静かに臍をまさぐる


   高山のいただきに登り
   なにがなしに帽子をふりて
   下り来しかな


<ルビ>怖れ=おそれ。臍=ほそ。高山=たかやま。下り来し=くだりきし。