〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

「盛岡の人と友達になれてうれしい」 文京区から小学4年生 啄木の古里へ

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センニンソウ

ようこそ啄木の古里へ 文京区から児童、文化学び自然体験

  • 盛岡市と今年2月に友好都市提携を結んだ東京都文京区の小学4年生15人は9日、同市を訪れた。「啄木ふるさとツアー」と銘打ち、両市区の交流のきっかけとなった歌人石川啄木(1886〜1912年)の出身地・玉山地域などを2泊3日で巡っている。
  • 同市渋民の石川啄木記念館で啄木の歌や生涯について学んだ後、同市薮川の市外山森林公園で玉山地域の小学生19人と交流。木工工作体験やバーベキューなどを一緒に楽しみながら親睦を深めた。窪町小の渡辺宥心(ゆうじん)君=同区白山=は「山が多くて空気がきれい。盛岡の人と友達になれてうれしい」と目を輝かせた。
  • 同ツアーでは、姫神山登山や野菜の収穫を体験するほか、「玉山夏まつり」にも参加し、地域や自然と親しみながら、啄木の古里に理解を深める。

(2019-08-10 岩手日報

 

ようこそ啄木の古里へ 文京区から児童、文化学び自然体験 | 岩手日報 IWATE NIPPO

 


啄木ふるさとツアー 盛岡市と文京区

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ヤブガラシ

ふるさとツアーで交流促進 盛岡市と文京区 啄木の渋民など小学生15人

  • 石川啄木を縁に盛岡市と友好都市提携している東京都文京区の小学生が11日まで2泊3日の啄木ふるさとツアーで同市を訪れている。参加しているのは、文京区内の7校の小学校4年生15人。農村体験や地元小学生との触れ合いを通じて、両市区の市民レベルの交流促進につなげる。
  • 渋民駅前での歓迎セレモニーでは、地域住民が「文京区の小学生の皆さんようこそ盛岡へ」と書かれた横断幕を掲げて児童を歓迎。ようこそ啄木の里渋民へとデザインされたバッジと啄木の詩が書かれたうちわを児童にプレゼントした。
  • 渋民地区自治会連絡協議会の佐々木由勝会長は「次代を担う子どもたちなので、啄木が育ったこの景色を感じ、こういう環境があの詩につながったことを理解してほしい」と期待した。

(2019-08-10 盛岡タイムス)

 

盛岡タイムス Web News

 


お盆を故郷で 「ふるさとの山はありがたきかな」啄木

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まわれ まわれ
[河北抄]

なぜ、8月11日が山の日なのか

  • きょうから9連休という人もいるのではないか。12日までの3連休は、11日の日曜日が祝日「山の日」で、翌日が振り替え休日となる。この祝日、3年前に始まった。なぜ、8月11日が山の日なのか。
  • 山にまつわる特別な由来があるわけではない。当初の案は8月12日。でも、この日は1985年、日航機が御巣鷹の尾根に墜落し、520人もの尊い命が失われた。鎮魂の日に祝日はそぐわない。1日ずらして11日で落ち着いた経緯がある。
  • お盆を故郷で過ごす人の帰省はきょうがピーク。「ふるさとの山はありがたきかな」と石川啄木は詠んだ。懐かしい山の姿を目にして、帰郷を実感する人もいるに違いない。
  • 慰霊の夏。山を仰ぎ、先人や日々の暮らしに思いを寄せる日があってもいい。

(2019-08-10 河北新報

 

河北抄(8/10):きょうから9連休という人もいるのではない… | 河北新報オンラインニュース / ONLINE NEWS

 


モテモテ啄木 愛したのはどっち?

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港文館前の石川啄木

なぜかモテた啄木 芸妓と看護師、愛したのはどっち?

  • 歌人石川啄木は1908(明治41)年1月21日夜、北海道の釧路駅に降りた。21歳。当時の釧路新聞の記者として4月5日まで76日間だけ釧路で過ごした。芸妓(げいぎ)の小奴(こやっこ)や看護師の梅川操と親密になったが、啄木が愛したのはどちらだったのか――。
  • 広い額、大きな目と耳、りんと結んだ口もと。外套(がいとう)姿の若者が腕組みして立つ。釧路市大町2丁目の港文館前に啄木のブロンズ像がある。

「さいはての駅に下り立ち/雪あかり/さびしき町にあゆみ入りにき」

  • 啄木は釧路の料亭で酒を覚え、芸妓遊びを知り、芸妓のこぼれ話「紅筆便り」を連載した。

「小奴といひし女の/やはらかき/耳朶(みみたぼ)なども忘れがたかり」

  • 小奴が啄木の恋人だったという説は一般的だ。
  • 「いや、小奴が地元有力者の妾(めかけ)であることは啄木は知っていた。本命は梅川操だった」と主張するのは、釧路啄木会会長で民間研究家の北畠立朴さんだ。「操は明治期には珍しく積極的な女だった。操にのめり込みそうで『危険』と思ったのだろう」と北畠さんは推測する。

「一輪の赤き薔薇(そうび)(バラ)の花を見て火の息すなる唇(くち)をこそ思へ」

  • 啄木は新聞社を退職し、文学での野心を持ち上京。1912年肺結核で死去。26歳だった。北畠さんは「啄木にとって釧路は短い人生の中のオアシスだった」と話している。(高田誠)

(2019-08-09 朝日新聞

 

なぜかモテた啄木 芸妓と看護師、愛したのはどっち?:朝日新聞デジタル

 


啄木がつないだ盛岡市と文京区の絆 1.2トンのお米を!

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フジバカマ

啄木がつなぐ盛岡市と文京区

 1.2トンのお米をご寄付いただきました!

  • お米のご寄付をいただいたきっかけは、岩手県盛岡市と文京区が友好都市として提携を開始したことです。岩手県の県庁所在地である盛岡市は、豊かな自然と、歴史ある建物や寺院が残る魅力的な街です。歌人石川啄木の生誕地であり、宮沢賢治が青春時代を過ごしたことでも有名です。
  • 一方文京区は、石川啄木が晩年を過ごした地域。両都市は、石川啄木の縁で交流を深め、ついには、友好都市として提携することになったのです。また、今回はお米の寄付に加えて、文京区内の障害者の就労支援にもつながっています。(山崎 岳)

(2019-08-09 NPO Florence)

 

石川啄木がつないだ絆。盛岡市からこども宅食にお米を寄付!

 


短歌甲子園 啄木ゆかりの盛岡市へ向け合同練習 8/16-18

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ヘクソカズラ

短歌甲子園へ合同練習 茨城県西の2校

 下館一高、3連覇へ意欲 結城二高、集大成目指す

  • 高校生が創作短歌の評価を競う「第14回全国高校生短歌大会(短歌甲子園)」に、本県の下館一高(筑西市)と結城二高(結城市)が出場する。両校文芸部は6日に下館一高で合同練習。与えられたテーマで制限時間内に短歌を詠んだり、審査員の質問への対応を考えながら、16日に開幕する本大会に備えた。
  • 下館一高は3年連続11回目の出場で、過去3回優勝。今回は3連覇が懸かる。結城二高は3年ぶり7回目の出場になる。(冨岡良一)

(2019-08-09 茨城新聞

 

【茨城新聞】短歌甲子園へ合同練習 県西の2校

 


四万十市「幸徳秋水碑」から 高知市「石川啄木碑」へ <10>

◎啄木文学散歩・もくじ https://takuboku-no-iki.hatenablog.com/entries/2017/01/02

 

四万十市幸徳秋水碑」から 高知市石川啄木碑」へ <10>

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ドキンちゃん

 

高知は、アンパンマンの作者やなせたかしさん縁の地。

やなせたかしさんは、1919年生まれ。今年は生誕100年になる。

 



 

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しょくぱんまん


ドキンちゃんしょくぱんまん

 


やなせたかしさんは東京に生まれ、5歳のころに父の縁のある高知に移住。

中学校(現在の高校)まで高知。東京の工芸学校(現在の大学)卒業後、徴兵され出征。

戦後、高知新聞入社。

1947年に上京。漫画家として独立するまでは大変だったという。

 

2013年に逝去。

 

 

 

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アンパンマンもいる

アンパンマン
ばいきんまん
メロンパンナちゃん

 

 

 そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
 たとえ胸の傷が痛んでも

 

アンパンマンのマーチ』は、歌うほどに もの凄いことばに気づく。


♩ 何のために生まれて 何をして生きるのか

 

♪ そうだ! 恐れないで みんなのために

 

♫ 行け! みんなの夢 守るため

 

(『アンパンマンのマーチ』)

 

 

(つづく)

 

 

四万十市「幸徳秋水碑」から 高知市「石川啄木碑」へ <9>

◎啄木文学散歩・もくじ https://takuboku-no-iki.hatenablog.com/entries/2017/01/02

 

四万十市幸徳秋水碑」から 高知市石川啄木碑」へ <9>

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目指す本がすぐ見つかる!

お探しの本まで一直線 アプリ開始
  オーテピア高知図書館

 探したい本のタイトルや著者名をアプリに入力すると、その本の現在の書棚が表示される。

(2019年2月のニュース)

 


「啄木短歌に現れる幸徳秋水
        近藤典彦

  • 石川啄木は文学上の飛躍をなしとげるにあたり、いつもまず理論的・思想的準備を先行させた。準備が万全であるほど飛躍は大きく、成果は輝かしかった。啄木の生涯においてもっとも大きな影響を与えた日本人の思想家を二人挙げるなら、一人は高山樗牛、もう一人は幸徳秋水であろう。

 

    赤紙の表紙手擦れし
    国禁の
    書を行李の底にさがす日
          (『一握の砂』)

  • 作歌は1910年(明治43)7月27日朝。この年の6月1日大逆事件の容疑者として幸徳秋水が湯河原から拘引された。

 


時代閉塞の現状を奈何にせむ秋に入りてことに斯く思ふかな
          (「創作」10月号)

  • 作歌は9月9日である。8月下旬~9月初めに執筆されたと推定される有名な評論「時代閉塞の現状」と同一のフレーズが詠みこまれた歌である。「時代閉塞」とか「閉塞状況」といった語が現代においてもしばしば使われるのは、この評論のタイトルが一時代の特質を世にもあざやかに表現したからであり、日本の近代がその特質をくりかえし再生産して、このフレーズをくりかえし人々の脳裡によみがえらせるからである。
  • 『平民主義』の中で幸徳秋水が全身全霊をかけて闘っているのは、まさに時代閉塞の現状そのものなのである。そのことはこの書を読む者誰しもが感得するであろう。したがって掲出歌も秋水の『平民主義』と血脈を通じているのである。

 


地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつゝ秋風を聴く
          (「創作」10月号)

  • 作歌はやはり9月9日夜である。日本帝国主義が一国の独立を惨殺し終え、その国を併合したのは「日韓併合ニ関スル条約」に調印が行われた8月22日のことであった。
  • 韓国併合の過程においてこれをもっともきびしく批判したのは木下尚江をはじめとする幾人かの社会主義者たちであったが、この8月下旬という時期はまさに大逆事件の暴風が吹きあれて社会主義者の主な者はほとんどが獄中にあり、獄外の者もひっそくしていた。木下はすでに社会主義運動から身を退いていた。したがって日本中誰一人抗議の声をあげる者がなかったとき、一人石川啄木のみは掲出歌を詠み、若山牧水主宰の「創作」にこれを発表したのであった。


(『『一握の砂』の研究』近藤典彦 おうふう)

 

 

 

 

8月6日の「啄木クイズ」の答えと解説

大逆事件」啄木雑学 47

 大逆事件幸徳秋水の刑死と啄木 47の解説 佐藤 勝

 冒頭の詩は啄木の私家版詩集ノート<①『呼子と口笛』>に記された詩である。「大逆事件」とは<②明治>天皇暗殺未遂計画を問うもので、「幸徳秋水事件」ともいう。

 裁判は秘密裏に運ばれたが、新聞社に勤めていた啄木は判決の日の日記(明治44年1月18日)に<③「日本はダメだ。」>と記した。それは桂太郎内閣が言論や思想の統一を政治の権力で弾圧し、全国の社会主義者ら数百人を捕縛して取り調べた事件でもあった。

 翌年の判決で幸徳以下12名が死刑。残り12名を無期懲役。2名は有期刑とした。

 歌集<④『一握の砂』>の中には、これらをひそかに告発する幾首かの歌が含まれている。

 

(『クイズで楽しむ啄木101』

  大室精一 佐藤勝 平山陽 著
     桜出版 2019年7月発行)

 

(つづく)

 

 


四万十市「幸徳秋水碑」から 高知市「石川啄木碑」へ <8>

◎啄木文学散歩・もくじ https://takuboku-no-iki.hatenablog.com/entries/2017/01/02

 

四万十市幸徳秋水碑」から 高知市石川啄木碑」へ <8>

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高知図書館 収蔵能力は200万冊以上

開架図書は30万冊以上

 

 

大逆事件の衝撃と検閲」
     池田功

 

大島経男宛(1911年2月6日)

  • 「今度の裁判が、△△△裁判であるといふことです(中略)あの事件は少なくとも二つの事件を一しよにしてあります。宮下太吉を首領とする管野、新村忠雄、古河力作の四人だけは明白に七十三条の罪に当つてゐますが、自余の者の企ては、その性質に於て騒擾罪であり、然もそれが意志の発動だけで予備行為に入つてゐないから、まだ犯罪を構成してゐないのです。さうしてこの両事件の間には何等正確なる連絡の証拠がないのです。」と記しています。
  • 現在の大逆事件研究で明らかになっていることと、ほぼ同じことを指摘しています。啄木は既にこの冤罪事件の真相を知り、それを友人にも知らせていたのでした。そして1月4、5日と幸徳が担当弁護士に送った陳弁書を筆写しています。とりわけ5日の日記には、「火のない室で指先が凍つて、三度筆を取落したと書いてある。無政府主義者に対する誤解の弁駁と検事の調べの不法とが陳べてある。」と記しています。

(『啄木の手紙を読む』池田功 新日本出版社

 

 

 

 

 

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閲覧席 600席以上

 

 

啄木クイズ < > 内から答えを一つ選んでください。

 

大逆事件」啄木雑学 47

 [大逆事件幸徳秋水の刑死と啄木 出題 佐藤 勝

 われは知る、テロリストの/かなしき心を──/言葉とおこなひとを分ちがたき/ただひとつの心を、/奪はれたる言葉のかはりに/(略) (「ココアのひと匙」)

 この詩は「大逆事件」を念頭において作られた詩で、啄木が密かに書き残した創作ノートの詩集①<『呼子と口笛』・『あこがれ』・『飛行機』>の中に記された詩の一節である。

 「大逆事件」とは②<明治・大正・昭和>天皇暗殺未遂計画をめぐる事件で、1910年(明治43年)5月31日に大審院長が予審の開始を決定したが、裁判は開始から判決まで国民に知らされず、すべて秘密裏に運ばれた。それを知った啄木は日記に③<「日本はダメだ。」・「日本万歳」・「天皇万歳」>と記して悶えた。それは国民が良い国の在り方を考える自由を政治の権力という力で奪われてしまうことへの恐怖であり、憤りであった。

 歌集④<『呼子笛』・『一握の砂』・『我を愛する歌』>にも、「赤紙の表紙手擦れし〜」や「はたらけど/はたらけど猶〜」など、隠されるように収められた憤りの歌が幾首かある。

(『クイズで楽しむ啄木101』

  大室精一 佐藤勝 平山陽 著
     桜出版 2019年7月発行)

 

 

 

(答えと解説は次回のお楽しみ)

 

 

(つづく)

 

 


四万十市「幸徳秋水碑」から 高知市「石川啄木碑」へ <7>

◎啄木文学散歩・もくじ https://takuboku-no-iki.hatenablog.com/entries/2017/01/02

 

四万十市幸徳秋水碑」から 高知市石川啄木碑」へ <7>

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新図書館

オーテピア高知図書館

 

2017年12月にオープンした新図書館複合施設「オーテピア」。

 

1階「オーテピア高知声と点字の図書館」

2~4階「オーテピア高知図書館」

5階「高知みらい科学館」

 

 

 

 

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建築の美

オーテピアの建築

 

各階外装のパネルは約1000枚ある。

木目調になっているが、GRCでセメントモルタルとガラス繊維の複合体。

重くて大きいため取り付けに苦労したそうだ。

 

 

 

 

 

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幸徳秋水絶筆

(「幸徳秋水四万十市教育委員会 平成29年発行)

 

報告──『時代閉塞の現状』と現代

        三枝昻之

 

明治43年(西暦1910)6月2日

東京各新聞社、東京地方裁判所検事局より本件の犯罪に関する一切の事の記事差止命令を受く。各新聞社皆この命令により初めて本件の発生を知れり。命令はやがて全国の新聞社に通達せられたり。

 

  • なにも情報のない事件が、いきなり記事の差し止めという先制攻撃によって、新聞社の知るところになった。異様な事件であることを暗示する書き出しである。
  • 秋水への死刑判決を受けて「畜生! 駄目だ!」と地団駄を踏みながら取りかかった作業であり、「これは後々への記念のためである」は秋水の死刑執行当日夜の記述である。怒り、嘆くだけでなく、記録性の高いこの仕事によって、啄木は大逆事件に関する歴史の証言者にもなった。
  • こうした一連の動きの中で「時代閉塞の現状」と「強権に確執を醸す」を理解したいものである。
  • 実は啄木、身体の不調を自覚しながらこの作業に身を削っていた。日記の1月27日には「五六日前から腹が張つてしやうがない」とあり、29日は「腹がまた大きくなつたやうで、坐つてゐても多少苦し」くなり、電報を打って勤務先の東京朝日新聞社を休んだ。1月30日には出社したが、これが啄木最後の出社となった。自分の非力を強く自覚するから、せめて歴史の証言者となるべく身を削る。そんな啄木がここにはいる。

    (「現代短歌」2016年3月号
      特集 よみがえる啄木 石川啄木生誕130年
              『時代閉塞の現状』と現代)

 

(つづく)