〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

モテモテ啄木 愛したのはどっち?

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港文館前の石川啄木

なぜかモテた啄木 芸妓と看護師、愛したのはどっち?

  • 歌人石川啄木は1908(明治41)年1月21日夜、北海道の釧路駅に降りた。21歳。当時の釧路新聞の記者として4月5日まで76日間だけ釧路で過ごした。芸妓(げいぎ)の小奴(こやっこ)や看護師の梅川操と親密になったが、啄木が愛したのはどちらだったのか――。
  • 広い額、大きな目と耳、りんと結んだ口もと。外套(がいとう)姿の若者が腕組みして立つ。釧路市大町2丁目の港文館前に啄木のブロンズ像がある。

「さいはての駅に下り立ち/雪あかり/さびしき町にあゆみ入りにき」

  • 啄木は釧路の料亭で酒を覚え、芸妓遊びを知り、芸妓のこぼれ話「紅筆便り」を連載した。

「小奴といひし女の/やはらかき/耳朶(みみたぼ)なども忘れがたかり」

  • 小奴が啄木の恋人だったという説は一般的だ。
  • 「いや、小奴が地元有力者の妾(めかけ)であることは啄木は知っていた。本命は梅川操だった」と主張するのは、釧路啄木会会長で民間研究家の北畠立朴さんだ。「操は明治期には珍しく積極的な女だった。操にのめり込みそうで『危険』と思ったのだろう」と北畠さんは推測する。

「一輪の赤き薔薇(そうび)(バラ)の花を見て火の息すなる唇(くち)をこそ思へ」

  • 啄木は新聞社を退職し、文学での野心を持ち上京。1912年肺結核で死去。26歳だった。北畠さんは「啄木にとって釧路は短い人生の中のオアシスだった」と話している。(高田誠)

(2019-08-09 朝日新聞

 

なぜかモテた啄木 芸妓と看護師、愛したのはどっち?:朝日新聞デジタル