◎啄木文学散歩・もくじ https://takuboku-no-iki.hatenablog.com/entries/2017/01/02
四万十市「幸徳秋水碑」から 高知市「石川啄木碑」へ <8>
開架図書は30万冊以上
「大逆事件の衝撃と検閲」
池田功
大島経男宛(1911年2月6日)
- 「今度の裁判が、△△△裁判であるといふことです(中略)あの事件は少なくとも二つの事件を一しよにしてあります。宮下太吉を首領とする管野、新村忠雄、古河力作の四人だけは明白に七十三条の罪に当つてゐますが、自余の者の企ては、その性質に於て騒擾罪であり、然もそれが意志の発動だけで予備行為に入つてゐないから、まだ犯罪を構成してゐないのです。さうしてこの両事件の間には何等正確なる連絡の証拠がないのです。」と記しています。
- 現在の大逆事件研究で明らかになっていることと、ほぼ同じことを指摘しています。啄木は既にこの冤罪事件の真相を知り、それを友人にも知らせていたのでした。そして1月4、5日と幸徳が担当弁護士に送った陳弁書を筆写しています。とりわけ5日の日記には、「火のない室で指先が凍つて、三度筆を取落したと書いてある。無政府主義者に対する誤解の弁駁と検事の調べの不法とが陳べてある。」と記しています。
(『啄木の手紙を読む』池田功 新日本出版社)
啄木クイズ < > 内から答えを一つ選んでください。
「大逆事件」啄木雑学 47
われは知る、テロリストの/かなしき心を──/言葉とおこなひとを分ちがたき/ただひとつの心を、/奪はれたる言葉のかはりに/(略) (「ココアのひと匙」)
この詩は「大逆事件」を念頭において作られた詩で、啄木が密かに書き残した創作ノートの詩集①<『呼子と口笛』・『あこがれ』・『飛行機』>の中に記された詩の一節である。
「大逆事件」とは②<明治・大正・昭和>天皇暗殺未遂計画をめぐる事件で、1910年(明治43年)5月31日に大審院長が予審の開始を決定したが、裁判は開始から判決まで国民に知らされず、すべて秘密裏に運ばれた。それを知った啄木は日記に③<「日本はダメだ。」・「日本万歳」・「天皇万歳」>と記して悶えた。それは国民が良い国の在り方を考える自由を政治の権力という力で奪われてしまうことへの恐怖であり、憤りであった。
歌集④<『呼子笛』・『一握の砂』・『我を愛する歌』>にも、「赤紙の表紙手擦れし〜」や「はたらけど/はたらけど猶〜」など、隠されるように収められた憤りの歌が幾首かある。
(『クイズで楽しむ啄木101』
大室精一 佐藤勝 平山陽 著
桜出版 2019年7月発行)
(答えと解説は次回のお楽しみ)
(つづく)