[キンカン]
筆洗 <東京新聞>
- <こみ合へる電車の隅にちぢこまるゆふべゆふべの我のいとしさ>。石川啄木がこれを詠んだのは二十代半ばか。創作の一方で新聞社で校正係として勤務していた。暮らしのためには働かねばならない。通勤電車の中で「ちぢこまる」自分がいとおしく、褒めてやりたかった。
- 大人なら啄木に「当然のことだろ」というか。けれど、若い人には大人や社会の当然が重荷でもある。大人になるとは重荷を背負い、あの通勤電車の仏頂面の一員になることかもしれぬ。
- 啄木といい、東北の方は電車でちぢこまる傾向があるのか。井上ひさしさん。娘さんが聞いた。「どうしてパパはそんなに小さくなって電車に乗るの?」。人の迷惑にならぬよう。それが社会性だと教えたそうだ(『夜中の電話』井上麻矢さん)。これも大人への切符の一枚。
(2016-01-11 東京新聞)
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