啄木文学散歩・もくじ 北海道から沖縄まで 啄木ゆかりの場所を訪ねて
館山市 ─ 啄木の妻・節子が千葉県の房州北条で暮らした日々を辿る 2025年 <1> <2> <3> <4> <5> <6> <7> <8> <9> <10> <11>
節子親子は餓死を逃れ房州を立つ

城山公園山頂広場からの館山湾(鏡ヶ浦)と街と山
・節子はのちに、函館の青柳町に住み、当時を顧み、そのなつかしさに、今一度房州に行きたいと願ったのはなぜであろう。暖かい房州の北条でのあふれるような人情に包まれた四か月の生活が忘れられなかったのであろう。
・私は初めて房州の地に足を踏み入れて姉節子のいつわりのない気持ちがわかった。
(『啄木の妻節子』 堀合了輔著 洋々社 昭和56年発行(要約))

南国館山に咲くアメリガデイゴ
もしもはない
けれど……
啄木がミス・サンダーの「房州の病院へ行かないか」の勧めを実行し北条に行っていたら……
節子がもう少し長く北条で暮らすことができたら……
十一月十日
午後にミス・サンダーといふ四十位の女と、これ前来た田部とかいふバイブルウーマンとが来た。房州の病院へ行かないかといふことを勧めるためだつた。さうしてミス・サンダーはこなれない日本語で熱心にクリスト教の事を説いた。面白くもあつたし、可笑しくもあつた。
(明治44.11.10 啄木日記 『石川啄木全集 第六巻 日記Ⅱ」 筑摩書房 昭和61年発行)
2025年の年の瀬
はたらけど
はたらけど猶わが生活楽にならざり
ぢつと手を見る
石川啄木
啄木は後ろを向いてはいない
わが手のひらを通して、未来を見ている
夫の死・病気・転居・出産……
乗り越えて生きた節子も前を向いている
北条は気候温暖で温かな人々がいた
厳しく辛い日々のなかで
ゆっくり深呼吸するいとまがあったかもしれない
北条を訪れて節子の辛抱強さと粘り強さを深く感じている
節子がいて 啄木がいる
(おわり)