啄木の歌の中の「さみしさ」
『「さみしさ」の力 ── 孤独と自立の心理学』
著者 榎本博明
筑摩書房(ちくまプリマー新書) 2020年5月出版
「さみしさ」を感じるのは自立への第一歩
己が名をほのかに呼びて
涙せし
十四の春にかへる術なし
これは石川啄木の『一握の砂』に収められた短歌である。10代半ばの頃には、だれもがこんなふうに感傷的になったりするものだ。
非凡なる人のごとくにふるまへる
後のさびしさは
何にかたぐへむ
周囲のみんなが大きく見え、それと比べて自分がちっぽけに感じられる。そこで虚勢を張ってみたりするものの、内面の自信のなさを拭い去ることはできず、ますますみじめな気持になる。
自己の個別性への気づきがもたらす「さみしさ」
わがこころ
けふもひそかに泣かむとす
友みな己が道をあゆめり
世わたりの拙きことを
ひそかにも
誇りとしたる我にやはあらぬ
たとえば、友だちと話していて、自分が当たり前と思う理屈がどうしても通じないとき、価値観の違いを痛感する。人を傷つけるようなことを平気で言う友だちに対しては、その無神経さに呆れるし、自分だったら怒るに違いないと思うようなことを言われても平気で笑い飛ばす友だちに対しても、立派だなあと思いつつも、感受性の違いを感じる。
つながっていても孤独
浅草の夜のにぎはひに
まぎれ入り
まぎれ出で来しさびしき心
一人でいるときに感じる孤独も辛いだろうが、多くの人たちの中にいて感じる孤独も切実に身にしみる。周りに多くの人たちがいるのに、その人たちは自分の気持ちとはまったく無関係に存在しているのだ。心の上での何の接点もない。周囲の人たちにとって、自分は単なる景色のようなものなのだ。
このような群衆の中の孤独は、今時のSNSがもたらす孤独に通じるものがある。
『「さみしさ」の力 ──孤独と自立の心理学』
著者 榎本博明 筑摩書房
2020年5月出版 760円+税