◎啄木文学散歩・もくじ https://takuboku-no-iki.hatenablog.com/entries/2017/01/02
ふるさとの
尾鈴のやまの
かなしさよ
秋もかすみの
たなびきており
牧水
啄木を看取った若山牧水 そのふるさとは宮崎の坪谷 <1>
若山牧水は、1885年(明治18)に宮崎県東臼杵郡東郷村坪谷に生まれる。1886年生まれの石川啄木とは、1歳違いである。
牧水と啄木の最初の出会いは、1910年(明治43)浅草の路上のことであった。
1912年(明治45年)3月、牧水はひとめぼれした太田喜志子に結婚を申し込む。喜志子は「あんなきれいな目をした人に悪い人はいない」と、牧水との結婚を決める。
その翌月の4月13日、牧水は啄木の死に立ち会う。啄木は、26歳だった。
翌5月、牧水と喜志子の二人は結婚する。
牧水は1928年(昭和3年)9月17日、沼津の自宅にて永眠、43歳。
この牧水像は、牧水公園の銅像制作の際に作ったレプリカ(グラスファイバー製)。
若山牧水のふるさと日向市の説明ボード
「若山牧水記念文学館」へのお誘い。
宮崎県日向市 JR日向市駅前交流広場
後ろの高架橋が日豊線の線路。
明治40年の夏、坪谷へ帰ることにした牧水は、神戸から岡山県に入り、山道をひとりで歩きました。友人に、旅の途中で作った短歌を書いた葉書を出しました。
「幾山河」の歌は牧水の代表作として、一番の人気があります。(こども読本「若山牧水の生涯」若山牧水記念文学館発行)
幾山河
こえさり行かば
寂しさの
はてなむ国ぞ
けふも旅ゆく
牧水
若山牧水の秀歌が出はじめるのは、明治40年の春ごろからで、啄木が北海道放浪中に、牧水は生涯の秀歌の半分を歌ってしまう。(『石川啄木』草壁焰太著 講談社現代新書)
歌碑の説明
旅の歌人として親しまれる若山牧水は。明治十八年八月、現在の東郷町坪谷に生れた。初期の代表作として知られるこの歌は、まだ二十一歳、早稲田大学在学中の牧水が暑中休暇に帰省する途中の作であり、ここはそのふるさとの駅。
昭和51年11月2日 除幕 牧水顕彰会
(つづく)