《作品に登場する啄木》
『ふるさとへ廻る六部は』
藤沢周平 新潮文庫 平成20年
◉啄木展
- 啄木展の展示品は、啄木の戸籍簿からはじまり、学籍簿、答案、就職のときの履歴書やお金の借用証書、そして啄木の周辺にいた女性たちの写真、手紙、原稿、詩集、歌集の初版本などだった。
- それらを見ているうちに、私は次第にある湿った感慨が胸を占めて来るのをふせげなかったような気がする。ひと口に言えば、啄木の人生は失敗の人生だったということだった。
- 私は啄木展を見た満足感と、それとはべつの湿った感慨とを抱えたまま、駅の地下にある喫茶店に入った。
- 私はコーヒーを飲みながら、会場で求めた二、三冊の啄木関係の本をめくって見た。中で新潮日本文学アルバムの『石川啄木』にある渡辺淳一さんの「あえて、わが啄木好み」という一文がとてもいい文章に思われた。そうしているうちに、私は突然に、啄木がなぜこんなに人気があり、ことに啄木自身はさほど重きをおかなかった彼の短歌がなぜ人びとに好まれるのか、その理由の一端にはたと突きあたったような気がした。
- 人はみな失敗者だ、と私は思っていた。私は人生の成功者だと思う人も、むろん世の中には沢山いるにちがいない。しかし、何の曇りもなくそう言い切れる人は意外に少ないのではなかろうかという気がした。かえりみれば私もまた人生の失敗者だった。失敗の痛みを心に抱くことなく生き得る人は少ない。人はその痛みに気づかないふりをして生きるのである。
- そういう人間が、たとえば『一握の砂』の中の「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむ」といった歌を理解出来るのではないかと思った。
(「庄内文学」昭和62年8月号)
(つづく)
────────────────────────────────────