〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

“渋川玄耳”のふるさと佐賀県を訪ねて <その5>

啄木文学散歩・もくじ


『一握の砂』の序文を書いた“渋川玄耳”のふるさとを訪ねて


澁川玄耳文学之碑


白木原集落の角に建つ渋川玄耳文学碑。


小田志小学校跡から100メートルほど北へ行ったところ。
カーブした道の角に文学碑がある。







“われかつてここにすめり”


「白木原集落の中心に建つ渋川玄耳文学碑には “吾曽住此(われかつてここにすめり)” とあります」(「『ふるさとの歴史散歩 武雄』小田志の先人」武雄歴史研究会編 平成19年発行 )






碑の文字に入れた金が新しく感じる。碑の周囲にいつもどなたかの目と手が行き届いているように思う。
玄耳がここの方たちに大切にされている様子が伝わってくる。

澁川玄耳文学之碑
   吾曽住此


     略歴
   1 明治五年六月西川登村小田志ニテ出生
   1 日清戦争ヘ陸軍司法官トシテ出征
   1 日露戦争ヘ陸軍司法官部長トシテ出征
   1 明治四十二年朝日新聞社入社
   1 大正元年朝日新聞退社
   1 大正三年日独戦争ヘ新聞記者トシテ出征
   1 大正十五年四月東京都本郷区駒込林田町ニテ死去


      年道金語
      三書
     名○学○
     書○文一○
     著

  • 碑文を拡大して読んだが、終わりのほうは判読できなかった。○は、全く読めない文字、漢字で表した文字も確かではない。





文学碑の後ろ姿。

碑陰の文字は確認できなかった。


  • 文学碑の場所は、武雄・嬉野CCと長崎自動車道を挟んで反対側になる。白木原集会所から100mほどの場所。

(つづく)
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