〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

啄木は「美意識や抒情よりも 日常生活を詠んだ」から受容されたのでは…

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自著を語る

『世界は啄木短歌TANKAをどう受容したか』 池田 功

  • 石川啄木は、『一握の砂』と『悲しき玩具』の歌集が有名である。これらの短歌は日本で読まれているとともに、現在19の言語に翻訳され海外でも受容されている。日本独自のリズムの短歌は、異なった文化・言語にどのように受容されたのだろうか。本書はこれらの受容を、14人の執筆者にそれぞれの言語を担当してもらい編集したものである。
  • 世界で最初に啄木作品が翻訳されたのは詩であった。1920年に、魯迅の弟の周作人が「呼子と口笛」の詩五編を中国語に訳した。短歌はその2年後の1922年であり、やはり周作人であった。以後、1934年の英語、1935年のロシア語とフランス語等と短歌を中心に翻訳されていく。
  • しかし、植民地下の台湾と朝鮮においては、移住した日本人と日本語を強制された現地の人々によって日本語で受容されていた。台湾における最初の受容は、啄木の死の2年後の1914年のエッセイと短歌であり、その後日本とほとんど時差のない啄木ブームが展開される。
  • 朝鮮では、1920年前後に当時最大の日本語新聞「京城日報」に啄木調をまねた三行詩で生活を詠んだ作品が数多く掲載された。さらに1936年、38年、42年等に啄木についての文章が記され、短歌が受容されている。
  • また、主として日本語と中国語が公用語であった「満州国」においては、1943年に古丁が『悲しき玩具』を中国語に翻訳した。さらに1930年代には「盛京時報」に、『あこがれ』の詩や散文詩、啄木紹介が中国語に翻訳されている。
  • 短歌を中心とする作品の魅力は、一体どこにあったのであろうか。まず考えられるのは、独特の三行書きという形式である。これにより「ポエム」としての親しみを感じさせ、受容の敷居を低くさせていたのではないかということである。また「はたらけど/はたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざり/ぢつと手を見る」が多くの言語に訳されていることから、社会思想や時代批判が評価されていることが考えられる。
  • さらに、ドナルド・キーンが『石川啄木』(2016年)で、啄木短歌が「美よりも真実」を詠んでいるが故に「現代的」であると指摘しているように、伝統的な美意識や抒情よりも、より普遍的で身近な日常生活を詠んでいることが、時代や民族や国境を越えて受容された魅力なのではないかと思われる。本書の編集により、そのような受容が見えてきた。

(2019年12月 植民地文化学会々報 第19号)

 


『世界は啄木短歌TANKAをどう受容したか』

  池田功 編 桜出版
  2019年発行 1800円+税

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