◎啄木文学散歩・もくじ https://takuboku-no-iki.hatenablog.com/entries/2017/01/02
啄木を看取った若山牧水 そのふるさとは宮崎の坪谷 <3>
牧水生家
祖父健海が弘化2年(1845)に建てた家。
この家で、医者を開業した。
牧水は右側の花が咲いている縁側で生まれた。
牧水は明治十八年八月二十四日の朝生れました。
丁度、旧暦お盆の十五日の朝で座敷に寝ていた母を縁側に移して座敷の掃除をし、そのまま台所で炊事をしていたら母は産気づいて縁側で牧水は生れました 。(「若山牧水」延岡顕彰会HP)
生家玄関
入口の古木。
玄関には牧水・喜志子の写真が飾ってある。
生家の座敷
祖父と父が医師だったため 待合室や診察室がある。
囲炉裏の向こうの説明に「村人は小さな囲炉裏を囲み、診察の順番を待っていた」とあった。
牧水旅の足跡
酒を愛し、旅を愛し、自然を愛した歌人 若山牧水。
歌人 若山牧水はわずか43年の短い生涯の中で実に9,000首(未発表含む)もの多くの歌を残しています。
牧水の歌碑は全国に約300基(2010(平成22)年現在)確認されており、その数は歌人の中で最も多く、旅を愛した牧水の足跡、人気をうかがうことができます。(宮崎県郷土先覚者HP)
バス停
生家前のバス停留所と 牧水出身の坪谷小学校の看板
すみやかに
過ぎゆくものを
やよ子らよ
汝が
幼な日を
おろそかにすな
牧水
裏山の歌碑
ふるさとの 尾鈴のやまの かなしさよ
秋もかすみの たなびきており
昭和22年11月17日除幕
宮崎県日向市東郷町坪谷「牧水生家」裏山
短歌の解説
代表的な歌で歌集「みなかみ」に収められている。明治45年夏、父危篤の報で帰郷するが家庭の事情で東京へ帰れなかった。苦悩の日々で、裏山にのぼり尾鈴の連峰を眺めながら心のかなしみを詠んだ歌である。
(つづく)