〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

 「米沢と石川啄木」<4(おわり)> 


[シャクナゲ]


「米沢と石川啄木」 北條元一史料の「再発見」 <4>
   山崎 潔

  • 第五代岩手県知事北條元利を軸に、石川啄木、節子との繋がりを紹介した。北條元一は、『北條元利の生涯』の序において、「決して世にある多くの偉人伝のごとく、その人を仰いで書く意志は少しもない。私は幕末より日露戦争の終る頃までの時代を、懸命に生き抜いた一人間として曾祖父を叙述してみたいのである」と記している。確かに、その記録は、実に中立的である。
  • 北條元一は、多忙な耳鼻咽喉科医師でありながら、コンピュータもインターネットもない昭和40年代に、膨大な明治期資料を丹念に調査し、4年半を費やして、『北條元利の生涯』を上梓した。そのエネルギーと誠実さに圧倒される。米沢人・北條元一の矜持に敬意を表すとともに、『北條元利の生涯』執筆中の昭和43年、北條元利が詠んだ歌三首を添えて、稿を終える。


  曾祖父伝にとりくみて一年今宵調ぶるは明治七年の牛肉の値段

  曾祖父住みし盛岡の家尋ね来ぬ秋の水澄む川添の町に(盛岡市愛宕町

  鳶ひくく飛ぶ中津川辺を行く彼方遙かなる岩手山薄雲のなか


〇附記より

北村南州生は、裁判官である父の在任地、奄美大島で生まれた。「南州生」とは、奄美大島ゆかりの西郷隆盛に因んだものと思われる。北村は篠木小学校を6ヵ月で退職し、国学院大学に入学した。北村は、その後、弘前、本荘、小樽、米沢などで、生涯教職にあり、米沢で80歳で歿した。節子は、篠木小学校を1年で退職し、2ヵ月後、よく知られる「新郎不在の結婚式」を盛岡であげた。相馬徳次郎篠木小学校校長は、節子の同校退職3週間前に、咽喉を突いて自死した。理由は不明である。



(おわり)



〇「米沢文化」第47号 所収  2018年3月30日 発行
 ◦ 著者 山崎 潔(医師 盛岡市在住)