[シャクナゲ]
「米沢と石川啄木」 北條元一史料の「再発見」 <3>
山崎 潔
- 北村は、下宿などをせず、篠木小学校の宿直室に常直した。北村は、節子が「独り教員室に居残り、手紙を読んでは泣いているのを見」、「啄木からの手紙だなと察し、そっと避けていた」。北村は、「盛岡の家中訛だが、どこか関西弁がかった軟らかみがあった」という節子の言葉や、「顔は丸型で、瞼毛長く眼の下あたりに小さな黒子があるのが印象的で、肩に丸みのある中肉中背」という節子の姿も記録している。「眼の下の小さな黒子」は、とくに興味深い。筆者の検討した限り、節子に関するさまざまな記録に「目の下の黒子」は見いだせず、写真でも黒子は明確ではない。
- 一方、啄木の代表作「一握の砂」には、「手套を脱ぐ時」なる項に、「うるみたる目と 目の下の黒子のみ いつも目につく友の妻かな」という歌がある。啄木は、友の妻に、節子を重ねて見ていた可能性があるのだろうか。北村南州生の記録は、50年以上前の記憶に依っているから、思い違いはあろうが、節子に関する一次資料として極めて重要である。
(つづく)
〇「米沢文化」第47号 所収 2018年3月30日 発行
◦ 著者 山崎 潔(医師 盛岡市在住)