〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

「青柳町」は 啄木にとって幸福な函館のシンボル


[ヤグルマギク]


真生(SHINSEI)2016年 no.300

 石川啄木と花」 近藤典彦
  第五回 矢ぐるまの花


  函館の青柳町こそかなしけれ
  友の恋歌
  矢ぐるまの花

  • 作歌は1910年(明治43)10月。『一握の砂』所収。
  • わたくしが啄木短歌に触れたのは、1953年(昭和28)中学校三年生の時でした。掲出歌はその時から好きでした。中学校時代から数えて30年後わたくしは啄木研究の道に入り、この歌についておおよそ以下のようなことを知りました。
  • 「函館」。この歌に詠まれたころの函館は、東京以北最大の近代都市だった。函館は北海道でもっともハイカラな、もっとも文化的な都市だった。文学青年もたくさん育っていた。啄木は盛岡中学を中退、以後疾風怒濤のように生きた。その結果渋民村を追われ、1907年5月5日、函館に渡る。
  • 思いがけない事が起こる。その夜「天才詩人石川啄木」に憧れる文学青年たちが、青柳町にある苜蓿社(ぼくしゅくしゃ)で歓迎会をしてくれた。たくさんの友人たちが、啄木の住居から働き口まで世話をしてくれた。啄木中心の歌会も始まった。みんなの世話で妻節子と乳飲み子の京子を、ついで母カツを呼び寄せることもできた。中学校中退(満16歳)以後の啄木にとって函館ほど幸福な土地は後にも先にも無い。
  • 「青柳町」。啄木の住まいはずっと青柳町だった。この町こそ幸福な函館のシンボルとなった。
  • 「友の恋歌」。若い人たちの歌会だから、恋の歌が多くなる。歌から逸れて恋愛談義に花が咲く。
  • 「矢ぐるまの花」。ヤグルマギクは「あらゆる青い花のなかでのもっとも完全な青」と賛美する(野草の研究家マシューズ)。……

<真生流機関誌「真生(SHINSEI)」2016年 no.300 季刊>(華道の流派)