『一握の砂』石川啄木 著(P.2~3) 藪野椋十
(P.(2))
非凡なる人のごとくにふるまへる
後のさびしさは
何にかたぐへむ
いや斯ういふ事は俺等の半生にしこたま有つた。此のさびしさ
を一生覺えずに過す人が,所謂當節の成功家ぢや。
何處やらに澤山の人が争ひて
鬮引くごとし <ルビ>鬮=くじ
われも引きたし
何にしろ大混雑のおしあひへしあひで,鬮引の場に入るだけでも
一難儀ぢやのに,やつとの思ひに引いたところで大概は空鬮ぢや。
(P.(3))
何がなしにさびしくなれば
出てあるく男となりて
三月にもなれり
とある日に
酒をのみたくてならぬごとく
今日われ切に金を欲りせり
怒る時
かならずひとつ鉢を割り
九百九十九割りて死なまし
腕拱みて
このごろ思ふ <注 ここから(P.4)>
大いなる敵目の前に躍り出でよと